24.教える人
「リーゼ、ノア、いるか?」
「こんにちは、シュタインにいちゃん」
「ノア、大分元気になったな」
シュタインは相変わらず、暇さえあれば我が家に顔を出している。
しかし最近の目当ては私だけではない。
剣術大会はノアのやる気を引き出した。暇と体力さえあれば剣を握っている。魔法も良いが、魔法頼みでは聖冠騎士には勝てないというのが響いたらしい。剣も魔法も使えるようになるのだと言っている。
それは最強になりそうだが、今のところ、剣術の才能はなさそうだ。
無い、というか、普通。普通の、始めたばかりの子供という感じ。
魔法は、優秀すぎるから調子に乗るかもしれない。まずは剣術で心と体を鍛えたほうが良いのではないかという事で、道場で小さい子に混じって基礎をやっている。
「今日は俺が見てやろう」
「うん!」
剣術大会は結局、シュタインが聖冠騎士の地位を防衛し、もう一年、任期についた。
ノアはあれからシュタインに一目置いているようだ。幼い子からの尊敬と憧れの眼差しに悪い気はしないようで、シュタインもノアを可愛がっている。
魔法が効かない聖冠騎士と、魔法の天才。師弟関係としてはちょうどいい組み合わせかもしれない。
シュタインはノアを連れて訓練場に向かう。
その姿は年の離れた兄弟のよう……というより、大好きな親戚のお兄ちゃんが遊びに来た、というような微妙な距離感だった。
「早く寮で暮らせるようになれよ、リーゼや師匠にいつまでも世話になるわけにはいかないだろ」
「うん。ともだちもほしいし」
寮にいる子達は騎士志望なだけあって、体力も普通の子供よりあり、血の気が多い。こんな、ヒョロヒョロの少年を一緒にするわけにはいかない。
ノアはもうしばらく、我が家で寝起きしながら、体力作りだ。
「友達か。あそこでできるのはそんなものではない、同士であり、ライバルだ」
「そうなの?」
「舐められたら、飯にありつけない。貴族も平民も哀れみもない」
「スラムみたいだねえ」
「しかし、自分次第で楽園にもなる。いろんな人間がいるから学ぶ事も多い」
寮に行かせたいのか行かせたくないのか。シュタインは先輩として、寮生活の楽しさと辛さを話している。楽しさ1、辛さ9、という感じだった。
そういえば最年長の時は寮長をやっていたのだっけ。ノアのような小さな子の扱いも慣れているのだ。どうりで面倒見がよい。
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前言撤回だ。
面倒見がよい? ちがう、鬼軍曹である。よくもまあ、あんな細っこい少年に、ああもビシビシといけるものだ。
腰を落とし、剣を構えた姿勢。じっとしているのがもともと苦手なノアは、すぐに体のどこかが動いてしまう。それがどこであれ、シュタインは見逃さない。
「集中ッ!」
ちらっとよそ見をしたノアは、シュタインの声にびくっと全身が跳ねる。
「腹に力を入れろ。呼吸を意識して」
ひたすら、構えた姿勢をキープさせている。もうずいぶんな時間が経つが、素振りすらまだだと言う。やっている方はまったく楽しくないだろう。
……あーゆーことするから、貴族のチビっこが逃げてしまうのだ……
勘違いしないでいただきたいが、スパルタなのは騎士を目指すクラスだけだ。集団の為に個を滅し、理不尽さに耐える必要もある。シュタインはずっとそのクラスだったのでこうなっているだけだ。
とは言え、ノアは良く耐えている。あれだけ魔法の才能があるのだから、元気になったら剣の修行はせず、魔法の師匠を探すと言う手もあるのに、素直に食らいついている。
ノアは集中しているが、少しフラフラしているように見える。さすがに心配になってきた。
「シュタイン、ノアはまだ病み上がりだ。その辺にしておけ」
「……そうだな」
シュタインが名残惜しそうに言うと、ノアはホッとした顔をした後、目を煌めかせて、元気に叫んだ。
「ありがとうございましたっ!」
なんだ、まだ大丈夫だったかも。
そう思ったら、ノアはその場にぱたりと倒れた。
「おい、だらしないぞ」
「ノア!」
なんて事もないように言うシュタインを置いて慌てて駆け寄ると、ノアは心配するなと言うように、手をひらひら振った。
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花が咲く季節になった。
王宮での事務仕事も慣れたものだ。最近は父の仕事の他に、騎士団全体を手伝っている。
最近、王宮の方がバタバタしている。問題が起きたと言うほどでもないようだが、国外からの賓客が相次いでいるのだ。
そのためシュタインも忙しい。最近道場に顔を出さない。寂しいわけではないが、毎日のように顔を見ていたので、何だか調子が狂う。
「明日からか」
書類をまとめていたら、父がポツリと言った。
「ええ、あっという間でした。思ったより集まらなかったですが」
「新しい事だし、様子見なのだろうよ。街の道場は女性も来るのになあ」
「大体が旦那さんをしばきたいという、あれですね」
「貴族だと、そう思われたら困ると言う事かもなあ」
ついに明日、計画していた女性クラスがスタートする。
ご令嬢の護衛ができるよう、侍女に剣を教えるという内容で募集した。怪しい者が入り込まないように口コミだけ。身元を保証する貴族の推薦が必要という事にしていた。
その要件が厳しかったのかもしれない。結局、二つの家から、合計三人通ってくる事になった。明日が初顔合わせだ、私も期待と不安で胸がいっぱいである。
「わしも予定外に忙しくなってな……顔も出せないが、応援している」
父は申し訳なさそうに眉毛を下げた。
王宮が落ち着かないせいで、父も忙しい。家には寝に帰ってくるだけのような生活になっている。
シュタインも、力になれないが応援している、と、同じような顔をしていた。そんなに私は頼りないだろうか。
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「ええと、アリシア……様……」
「やめてください! 様なんて!! どうぞ、アリシアと呼んでください! お師匠様!!」
「お師匠様もやめてください……ア、アリシア…」
予想外だった。
女性クラスは貴族令嬢の侍女や使用人を想定していたのだ。
希望者は三名。思ったより少なかったが、初めてだし、お試しだし、こんなものか……と、おもったら、まさかの貴族令嬢ご本人がいたのだ。
伯爵家のご令嬢、アリシア様。
よく、訓練場に私たちを見にきていたあの伯爵令嬢である。
「安心してください! 師匠! 私こう見えても体育会系だったんです!」
真っ白い、細い腕を自慢げに振り上げて、アリシア嬢は張り切ったご様子だった。
それにしても師匠って…… 剣術の師弟関係はそれなりに特別な関係なのだ。普通の先生と生徒を超えて、人間性や人生の道標とするような深い関係である。
推し、とか、そういうのとは違うのである。
「あの、普通にリーゼと呼んでいただけますか」
「ええ!? いいのですか!? リ、リーゼ……先生!」
アリシアは何やら顔を赤くしている。
貴族のご子息・ご令嬢の間では、特別な呼び方と言うのは仲の良さ、信頼、親愛などの証なのだそうだ。しかしどうも私は、愛称、というのに特別感をあまり感じない。
だいたい、とっさに注意するときに「リーゼロッテお嬢様!」って、長いだろ。「リーゼ!」で十分だ。だから身近な人、というか道場の師範代から門下生に至るまで、皆リーゼと呼ぶ。
なので一般的なご令嬢の感覚とはズレているのは確かなのだが、道場の中では許してほしい。
アリシアは、リーゼ先生、リーゼ先生と噛み締めるように呟いている。嬉しそうだからいいか。
なんというか、剣術を習いに来たのか推し活の一環なのか微妙なラインだが、どちらにしろ前向きで、やる気は多いに感じられる。雇い主からの命令で来た二人よりは、はるかに。
やる気満々すぎて、少しおかしくなっている感じだ。
その、命令で来た侍女の二人は、ハイテンションのアリシアと対照的に、緊張の面持ちだ。
一人はアリシアの侍女のルイゼ。アリシアがやりすぎないようにお目付け役も兼ねているようだ。侍女らしくクールに、……少し心配そうに呆れたようにアリシアを見ている。
もう一人はヴィンツェルの家の使用人のサーシャ。まだ10代前半の少女だ。これからヴィンツェルの妹の侍女になる予定らしい。こちらは少し居心地が悪そうにそわそわしている。
二人とも、アリシアを気にしているのは確かだ。……しかしこうなったら、本当に同じように接するしかないだろう。そもそも、侍女や使用人を対象としていたのだ。アリシアも特別扱いしないからと言って文句は言わないだろう。
それに、私が忖度してしまったら、二人はとてもやりにくいと思う。
「では、はじめます」
私は自棄になって声を上げた。