23.天才少年
「おかえり、リーゼおねえちゃん」
家に戻ると、ノアが松葉杖でひょこひょこと出迎えてくれた。
「ただいま。調子はいい?」
「うん。喉乾いたから水飲んできた」
「そうか。ちゃんと飲めた?」
「心配しすぎだよ。厨房でお菓子もらった。おいしかったよ」
お菓子が食べられる事にじーんとする。なぜならノアは、我が家に来てから一ヶ月、ほとんど寝たきりだったのだ。
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家に連れて帰ったあの日、ノアを見た父と母は青くなった。
「リーゼ、離れろ!」
父はおもむろに叫ぶと手を突き出した。鋭い光がノアに伸びる。
「う…」
「え、ノア?」
ノアは小さくうめいて、その場に崩れ落ちた。父の魔術を浴びたのだ。
父が使える魔法は一つだけ。しかしそれだけなら、国中の魔法使いが束になっても敵わない。だがその魔法は普通の人間には効果がない。
それが、効く、ということは。
「アンデットだ! リーゼ、シュタイン、お前たち何を連れてきたんだ!」
父は母をかばうように警戒しながら、ノアに近づく。やがて不思議そうに手を下ろした。
「……ん? ちがうな? あれ?」
「さすがにアンデットなら気づきますよ! あいつら臭いし! ノア、大丈夫か!?」
私は慌ててノアを抱き起す。
「じゃあ、何で倒れた……?」
父の唯一の魔法はアンチマジックという。どんな魔法も無効化する魔法だ。
魔力で動いているアンデットや使い魔はこのように動けなくなるのだが、ノアは、そういうのではない。そのくらいは私にもわかる。……と、思う。
「え?」
「……こんなだったか……?」
しかし、改めてノアを見て私は驚いた。シュタインも覗き込んで呟く。
明るいところで見たノアは骨と皮ばかりで、まるで骸骨のようだったのだ。くったりと伸びた身体は異常に軽い。まさか本当にアンデット?
いや、アンデットは意思の疎通はできない。だって死体が魔力で動いている状態だから。
一体なんなんだ? そう思ったとき
「ああ、びっくりした」
ノアは私の腕の中で目をあけた。
「いきなり、まほう、とけんだもん」
喋ってはいるが、さっきよりゆっくりで、舌たらずだった。口を動かすのも億劫なようだ。
「魔法……?」
「まったく、からだ、うごかないから、さ、まりょくで、からだ、うごかしてんだよね」
「……え!?」
ゆっくり喋る言葉をまとめると、衰えて全く動かない身体に魔力を張り巡らせ、自分の身体を操り人形のように操って動いていたということらしい。
それでアンチマジックをくらって、動けなくなってしまった、と。
動けなくなった理由はアンデットと一緒だったが……自分で自分を操るなんて聞いた事がない。
シュタインが乾いた声で問いかけた。
「魔法の師匠は……? 実は高名な魔法使いの弟子、とか……?」
「なにそれ。ふつう、できるでしょ、こんくらい」
我々は顔を見合わせる。
魔法については門外漢だが、魔法の基礎的な知識は学園で教わった。これが当たり前ではないことは私でもわかる。
「いや、普通ではないな……」
魔力で基礎体力をあげたりする事はよくあるが、物を操るとなると魔術だ。魔術を、道具を使わず常時発動させるのは相当高度な技だ。
……これだけの才能だ、しっかり育てれば必ず大魔法使いになるだろう。もしかしたら剣術道場で拾ってはいけなかったかもしれない。
「何をしているの! アンデットでないなら早くベッドに!」
強さにしか興味のない我々に、母の叱責が飛んだ。
そうだ、こんな衰弱した子供をそのままにしておくわけにはいかない。急遽、療養のための部屋が用意された。このままでは食事も難しいだろう。
「まほう、つかわせてくれれば、だいじょうぶなのに」
抵抗もできないノアはそう言うが、こんなやり方では魔力が尽きればおそらく死んでしまう。
身体を拭かれ清潔な服に着替えさせられ、先ほどまでスラムにいた子供はあっという間に我が家の客人となった。
そうしてノアは、我が家に迎え入れられた。
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近頃はやっと、食卓に座ってご飯を食べる事が出来るようになったが、まだ足の力が弱っていて、杖がないと歩けない。
「こんなことしなくても、動こうと思えば魔法で動けるのに。ホント疲れる」
身体が重いと言って魔法を使いそうになるノアのために、邸全体にアンチマジックの結界が張られている。
おかげで、ちょっとした魔道具も使えなくて少し不便だ。でもノアのためという事であまり不満は出ていない。
「元気になったら魔法の師匠も探そうな」
「習わなくても使えるからいいよ」
「そういうわけにはいかない。魔法は危険なんだ。正しい使い方を覚えなくては」
ノアは首をすくめてみせると、お小言は十分とばかりに、ひょこひょこと部屋に戻っていった。
私は怒る気にもならず、苦笑して見送る。
ノアはこういう、生意気なところも妙に可愛らしいのだ。
++
「あれ、リーゼロッテ様、出場者はあちらですよ」
「いえ、……今年は、後輩の応援です」
冬の終わりに開かれる剣術大会には、出場しなかった。
会場で顔見知りに会い、出ないと言うと驚かれる。「引退した」という話はさほど話題になっていないようだ。騎士団に所属していると思われているのもあるのだろう。
5年ぶりの観戦席だ。歩けるようになったノアを連れて見に行った。
「リーゼロッテ様は出ないのですか……少し、残念だなあ」
「リーゼおねえちゃん、あっちで飴売ってたの食べたい」
「ああ、……では、失礼します」
声をかけられたり、熱い戦いを見ると、つい、本当は私もあちらにいるはずなのにとやるせない気持ちになってしまう。
出場しなかったのは私の判断だ。誰かに止められたわけではない。
剣は嗜み程度、と言われはしたが、自由にやらせてもらっている。やろうと思えばまた現役に戻れるだろう。
しかし、一度折れた心はなかなか奮い立たず、結果、稽古時間は半減している。出場したとしても、優勝できないのはもちろん、すぐに負けるだろう。
恥をかきたくなくて、出る前から諦めた自分の弱さが情けない。
つい、そんな暗い気持ちが首をもたげるが、そのたびに目をキラキラさせているノアに救われた。
「リーゼおねえちゃん、つかれたー」
「うん、少し休もうか」
「シュタインにいちゃんはいつ出るの?」
「シュタインは聖冠騎士だから大会には出ないよ。優勝者が挑戦してきたら、防衛戦だね」
優勝者は現在の聖冠騎士への挑戦権が得られる。その挑戦をする場合は、すべての試合の後に行われる。今は、そのシュタインは観戦する国王の横に立ち、すました顔で試合を見ている。
「まあ、今年は大丈夫だろ。シュタインが抜きんでている」
「おれ、魔法使えばシュタインにいちゃんにだってまけないぜ」
おれも出たかったなー、と、ノアは子供らしい強がりを言う。
「剣術大会は魔法禁止だよ。こっそり使ったとしても、聖冠騎士には魔法は通じない」
「へえ?」
「シュタインがつけてるサークレットがあるだろ? あれは強力なアンチマジックの魔道具なんだよ。自分も、相手も、魔法が使えない。魔術での攻撃も効かないけど、自分の強化も回復もできないから、本当に肉弾戦になるんだよね」
「ふうん……」
魔法での肉体強化は一般的だ。魔力を持っている者だと、術を組むまでもなく身体に魔力を馴染ませて使えるらしい。らしい、というのは、私はまったく魔力がないからその感覚がわからないからだ。
魔力が無くても、戦うときには防具などに魔石を使った魔道具を仕込んで肉体強化をする。
ただ、父が魔道具を使うのを良しとせず、たとえ仕込んでもアンチマジックで解除されてしまうので、私やシュタインは幼い頃から生身が普通だった。
ノアは、大きな目をきょろりとさせて、じっとシュタインを見ている。魔法使いとしては、気になるところだろう。