11.勝者の報酬
翌日。
「寝室で投げられても心変わりしないなんて、そんな貴重な殿方逃すんじゃありませんよ」
母に苦々しい顔で言われる。
確かにその通りかもしれないが、シュタインでなければ投げようとは思わない。
投げた原因も誤解されている気がする。大人しく襲っておけば襲われてやったというのに……
そう考えれば、あのままシュタインがふざけた事を言い出さなければ私も淑女でいられたのかもしれない。
貞淑な、とは言えなかったかもしれないが。
「……」
「聞いてる?リーゼ」
「はい……」
「まあ、シュタイナーなら大体の事は大丈夫でしょうから、あなたもたまにはお父様に付き合っても良いわよ」
母は不本意そうに眉を寄せて言う。
「え!?」
私が顔を上げると母は慌てて付け足した。
「たまにはよ! 剣は嗜み程度になさい!」
それはつまり、本職でなければ剣を握っても良いという事だろうか。
「あ、ありがとうございます」
どうしよう、母の許可は思ったより嬉しい。
もう二度と剣を握れないと思っていたのだ。
それどころか昨日まで、握りたいとも思っていなかった。
負けた事を引きずっていたのだろうか、全く私らしくなかった。
「ですから、屋敷の中での闘争は禁止ですよ」
「……はい」
成程そういうことか。
昨日、あの衝撃で下の階にあった母お気に入りの壷にヒビが入って、結局しこたま怒られた。
そんな訳で、私は久々に剣術道場の隅で木剣を振っている。
父の剣術道場にはいくつか訓練場があり、ここは屋外の宮殿寄りの端の方だ。庭園に面していて、景色が良い。
すかんと晴れた青い空と樹々の緑。庭園から聞こえる鳥の声と、他の訓練場から聞こえる野太い声がハーモニーを奏でている。
ひゅ、ひゅ、と空気を切る感覚が心地よい。集中していくと余計な音もだんだん聞こえなくなり、世界の一部になるような気がする。
ひどくさっぱりした気分だった。騎士という身分にはもうなれないが、あまり悔しいとも思わなかった。
私も結局は称号や身分にこだわっていただけなのかもしれない。
どのみち王宮騎士団には入れないのだから、剣を国のために使う事もないのだ。
聖冠騎士は国王の護衛だが、余程のことが無ければ出番はない。ない方がいい。言ってしまえば名誉職である。
私が騎士になりたいと思っていたのは、どういう意味だったのだろう。そんなに、騎士と名乗りたかったのだろうか。
そういう考え方も男のようだったな。淑女であれば身分にこだわらず己のために剣を振るべきだろう。
剣を振るのも淑女の嗜みであるとする前提だが。
私が久々に訓練場にいると噂が立ったのか、気がつくと見学者が増えいた。素振りを止めてこちらを見るお嬢様方に手を振る。きゃーっと、可愛い声とともに、手を振りかえしてくれた。
中には舞踏会にいた伯爵令嬢もいた。
昨日あの後どうなったか知りたくて近づくと、ご令嬢はあわあわと赤くなった。可愛い。そして意を決したように、小さな拳を握りしめて叫んだ。
「リーゼロッテ様! ご婚約おめでとうございます!!」
「!?」
「シュタイナー様とお幸せに!!」
きゃー!と周りも盛り上がっている。
なぜだ? 君はシュタイン目当てではなかったのか? 私は、好きな男を取った憎い女では無いのか?
「お、推しカプが! 結婚! もう私、思い残す事はありません!!!」
おし…かぷ?
耳慣れない言葉に??? と、ハテナを飛ばしていると、お嬢さんは私の後ろを指差して興奮した様子で飛び跳ねる。
「き、きました!きましたよ!! どうか!私達には構わず! 壁だと思って!」
指さす方も気になるが、お嬢さんの様子も心配だ。顔が赤い。目が爛々として、息が上がっている。……壁ってなんだ。
「リーゼ!」
後ろから聞こえた声は予想通り。
シュタインが向こうから大きく手を振りながら走ってきた。
今日はジャラジャラとした正装ではない。見慣れた動きやすい格好にマントを羽織っているだけだ。
髪も固めていない。濃茶の短髪は何もしなくてもスッキリしていて、こちらの方がよほど良いと思う。
それにしても聖冠騎士は暇なのだろうか。自分の任期中を思い返してみると……うん、確かに国王の外出がなければ結構自由だった。
シュタインはとてもうれしそうだ。尻尾があったらちぎれんばかりに振られていただろう。
私はお嬢様方に手を振ってからシュタインの方へ向かった。後ろから、「わんこ騎士尊い……」と、呟きが聞こえたがこれは無視した方が良い気がする。
「ここにいると聞いた。やはり、こちらの方が似合う」
私も今日はドレスではない。剣を振れるようなパンツスタイルだ。髪も邪魔にならないように結い上げている。
私もこちらの方が似合うと思う。
「そうか、ありがとう」
笑って迎えると、シュタインはぱちぱちと目を瞬いた。そしてわざとらしく咳払いしながらマントを脱ぐと、自分も木剣を取った。
「久々に手合わせ願おう」
そういって私に向かって構える。こうしてきりっとしていると、先ほどの犬らしさはどこへやら、聖冠騎士の称号にふさわしいと思わせられる。
望むところだ。
三か月のブランクがどう影響するかわからないが、聞けばシュタインも就任式やら異動の手続きやらダンスやマナーの練習やらで、実戦に出ることもなくろくに訓練できていないらしい。
私は剣こそ握っていないが、筋トレ基礎トレくらいは部屋でこっそりやっていた。
今の私の実力を測るのにはちょうどいい。
二人向かい合い、構える。じっと動かず、お互い間合いを図り、隙を探る。
静かに集中していく。この世界に、二人しかいないような……
しばし見つめ合う。金色の鷹のような目。真剣な眼差しは鋭くて美しい。
……あれ、シュタインはいつもこんな目つきをしていただろうか。
不意に、昨日の目を思い出す。鷹のような鋭い目、その中の縋るような光。
部屋の灯りで揺れるギラギラとした瞳……
どきん、と、自分の鼓動が耳につく。
……いやいや、何を。相手はシュタインだぞ。
「愛している」と、ささやく声は聞いた事の無い響きだったが、私だって前から愛してはいる。弟として!
きっとあれは何かの勘違いだったんだ。
私が変に落ち込んでいたから、変な空気になっただけだ。だってこの通り、ほら、シュタインだっていつも通り、まったく気にしていない……
そう思って改めてシュタインの目を探る。
その瞬間、考える前に身体が動いた。
気が付いたのだ。真剣なシュタインの目の奥が僅かに揺れていることを。
それに反応した。
ガッ
私の打ち込みをシュタインの剣が止める。
交差した剣を挟んだシュタインの顔。
間近で見るその目は、やはり何か揺れている。集中出来ていない。
「試合中に何を考えている」
問うと、シュタインはごくりと喉を鳴らした。そして口を尖らせつぶやくように言う。
「……やはり美しいなと思って」
「は?」
動揺して、慌てて離れる。
「な、なにをいいだす」
「リーゼはまるで蝶の様に可憐で、優雅で美しい」
「え、え?」
なんだ、なんだ突然!? かあーっと顔が熱くなる。ドキドキと胸の音が大きくなる。
それを見て、ふっふっふ、と、シュタインが、勝ち誇ったような顔をした。
「今日は笑わないんだな」
「いや、だって、突然そんなことを言われたら」
そういえば、確かにダンスの時にも同じような事を言っていた。
あの時はおかしくてたまらなかったのに……なぜだ……今は胸がむずむずし、顔が熱くなる。
そんな私にシュタインは木剣を突きつけた。
「やっとわかったか! よし、俺の目的は達成したぞ!」
はははと声を上げて高らかに笑う。そして再度剣を構えた。さっきより楽しそうだ。目もキラキラしている。
「リーゼ、勝負だ。俺が勝ったら……」
シュタインは悪いいたずらを思いついたように、ニヤリと口の端をあげた。
「まずは、デートからだな」
「な、なんだと!?」
「嫌なら俺に勝つんだな!」
こんなに動揺している時に、そんな勢いで来られて勝てるわけがない。い、いや、でも、勝たないと……と、慌てて剣を構える。
……ん? デートとは二人で出かける事だろう? そのくらい別に普通ではないのか……?
「いくぞリーゼ!」
「ちょ、ちょっと待てシュタイン心の準備が!」
「問答無用!」
かーんっ!
混乱する私の木剣は簡単に叩き落とされ、からからと乾いた土の上に転がった。
「今回は俺の勝ちだ!」
嬉しそうに威張るシュタインに困惑する。
デート? いや、冗談だよな? 別に二人で遊びに行く分には構わないが、特別な事は全く思い浮かばないのだが……
「ちょうど来週、豊穣祭だからな。空けておけよ」
「え? あ、ああわかった……」
豊穣祭、毎年一緒に行っている気がするのだが。
……え? なにか、別の意図でもあるのか?
ぽかんとする私にシュタインはなんとも嬉しそうな顔を向けた。
こちらに駆け寄って、私の耳に唇を寄せると、低い声で囁く。
「楽しみにしている」
マントをばさりと羽織って、手を振って去っていくシュタイン。
私は呆然と、耳を押さえて立ちすくんでいた。
ドキドキと心臓の音がうるさい。
こうして、私の新しい日常が始まった。
淑女……には、なりきれていないかもしれないが、貴族令嬢としての日常。
……まさかそのせいで、止まっていた物語が始まる事になるとは……思ってもいなかったのだが。
次章、デート編に続く!
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パワーカップル(物理)の、剣と魔物の物語はここからでございます。なかなかの長編になる予定です。
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