10.勝敗の行方
「シュタイン……?」
「どうしたらよかったんだ。ただ、……強い男だと認めてほしくて」
私は呆然とシュタインを見上げる。幼い頃、負けたときはいつも泣いていたシュタイン。
だらしないと良く言われていたが、負けず嫌いのやり場のない感情が真っすぐ出ているようで、私は嫌いではなかった。シュタインが泣いているときは頭を撫でてやった。
久しぶりにシュタインの涙を見た。その涙は今、上からぱらぱらとふってくるのだが。
しかし、今回は勝ったのではないか。約束通りいう事を聞くと言っている。何を泣くことがあるのだ。
「強い男が好きだと言っていたろう、だから強くなったんだ」
そしてシュタインが絞り出した言葉に私は目を見開いた。
「……シュタインが好きだと、言って欲しくて」
「……え?」
「愛してる、リーゼ。愛しているんだ」
泣き笑いの表情で、はっきりと目を見て繰り返す。
愛している? 私を? いや、私も愛してはいるな、シュタインは家族のようなものだから。でも、……そこまで私も馬鹿ではない。今伝えられた言葉が、姉弟の意味ではないことくらいは分かる。
「な、何を突然」
「なんだ、本当に気づいていなかったのか? 多分俺がリーゼを好きなのを分かってないの、リーゼだけだぞ」
涙の溜まった目が愛おしそうに私を見つめている。分厚い手が、そっと頬を撫でた。
今まで、そんなこと考えたこともなかった。聖冠騎士を目指すために必死で、そんなこと考える余裕は無かったのだ。
「し、しかし、私たちは同じ師の元で共に聖冠騎士を目指し切磋琢磨しあう仲であり」
「ああ、聖冠騎士になれば貴女より強いことが証明できる」
「……」
「だからなった」
シュタインはため息を一つつき、目を閉じる。こんな時なのに、意外と睫毛が長いことに気が付いた。部屋の灯りで俯いた顔に影が出来る。
「前に、自分より強い相手でないと嫌だと言っていた。強い男が好きだとも。だったら聖冠騎士を目指すしかないだろう? そうなれば一番強い。弟ではなく、どうすれば男として見てくれるか。これ以外に思いつかなかった」
確かに、今まで……いや、今この瞬間だって、シュタインは弟のようなものだ。
「……貴女がまさか、俺に一度負けたくらいでそうなってしまうとは思わなかった。聖冠騎士の称号は確かに大きいが、それがなくなったからと言って騎士のリーゼがいなくなるとは、思わなかったんだ」
シュタインは目を開ける。また睫毛からぱたぱたと水滴が落ちた。
「俺の事を見て欲しかったのに、何も見てない。……それなのに、言う事は聞くなんて。こんなのリーゼじゃない」
シュタインは微笑んだ。それはそれは優しそうな、慈愛に満ちた微笑だった。
「……なあ、もう一度やろう。そうしたら俺」
金色の目が、部屋の灯りのせいか蜂蜜を固めた飴玉のようだ。
とろとろの、甘い瞳。
「今度は負けるからさ」
その言葉に、どきん、と心臓が大きく跳ねた。
「……そうしたら、元には戻るだろう?」
それは、「愛している」なんかよりよほど私の胸を刺した。
「そうだよ、そうすればいい。挑戦を受けて俺が負ければ、リーゼは聖冠騎士に戻れる。そうしたら、また元のリーゼに戻る」
……今こいつはなんて言った……?
”今度は負けるから”……だと?
私は大きく目を見開いていた。
「リーゼ?」
優しそうな、労わるような声。そして優しい眼差し。それもまた……私の心に火をつけた。
どきんどきんと早鐘のように鼓動が鳴る。目頭が燃える様に熱い。
「……ふざけるなよ」
私は聖冠騎士になるしかなかった。だから……勝ち続けてきたのだ。誰よりも努力し、力の弱さは他でカバーし、勝つことに執着するしか道は無かった。自分の道を、自分で切り開いてきたのだ。
確かに負けたが、できる限りのことをして、そして、負けたのだ。
それを簡単に……
”今度は負けるから”……だと?
それは、それだけは駄目だろう!?
「歯ぁ食いしばれ」
「え」
ばちん!!
「ぶっ」
平手で思い切り頬をはたいた。力が入るような体制ではないが隙をつくことはできたようでシュタインの身体がブレる。そして膝でみぞおちを蹴り上げた。
「ぐっ……」
くそ、重い。だが、身体を転がす隙間はできた。そこから横に逃げる。
ベッドから転がり落ちるように足元に降り、シュタインの片足を肩に背負って全力をかけて投げ飛ばした。
「せいやあああ!!」
「うおっ」
どおおん、と、邸が揺れるような衝撃。シュタインはベッドから床へ仰向けに投げ出される。
固い地面と違って、ふかふかの絨毯の上だ。擦り傷もつかない。
起き上がる前にシュタインの胸をドンと片足で踏みつけた。
シュタインが身体を起こそうとする。片足では押さえられない。次は……と考えるが締め上げたドレスのせいで動きにくい。忌々しく思ってスカートをたくし上げ、腹にまたがる。乗り出して、両腕で首を絞めるように抑えた。
「や、やめろリーゼ!!!」
シュタインは反撃せずに情けない声で叫んだ。見ると顔が真っ赤になっている。
「参った!負けだ!お、お前なんて格好、どいてくれっ! む、胸っ スカート……っ」
そこまで言うと手で顔を覆った。その手の隙間から……血がつつっと垂れてきた。
この程度で血が出るとは、投げた時、頭の打ち所が悪ったのだろうか?
シュタインは指の隙間からチラチラと下を見ている。見てはいけないが誘惑に勝てないような、そんな見方だ。
「ん?」
……シュタインの視線を追って気が付いた。
寄せられて大きく盛り上がった私の白い胸が、ドレスから溢れそうにシュタインの身体に乗っかっている。その角度では……うん、かなりきわどいところまで見えているであろう。
恥ずかしい、というより、新たな弱点を発見したようで嬉しくなった。
にやっと笑い、腕に力を入れ締め上げる。
「なんだ情けない。わざと負けてやろうなどと言うのはどの口だ? ああ?」
「ひょ、は、はなぢ、床、よごしちまう」
ふと見ると、分厚い絨毯の上に血の滴が落ちかけている。
「あああ! やめてくれ! お母様に怒られる!!」
私は慌ててハンカチを滑り込ませる。
間一髪で絨毯は無事だった。絨毯の無事を確保してから、シュタインには止血用の布切れを渡す。
床に座り込んで、鼻に詰め物をして。
何とも情けない風情でシュタインは言った。
「はあ、戻ったようでよかった……」
そしてホッとしたような顔で笑った。
それに釣られたように、私も微笑んだ。何だか久しぶりに、まともにシュタインを見た気がする。
「これで私の564勝563敗だな」
私も床にしゃがみこんで、シュタインに適当な数字を言った。