098.春の海
自宅の最寄り駅近くのスーパーで、値下げした惣菜と弁当を調達して帰宅する。
もうすっかり日は暮れて、見上げた視線の先には暗闇の空しかなかった。
電子レンジで温めた食料を口の中にかき込む。
自分で作る場合もあるが、自宅では一人で食事をとるのが普通だった。
ぼくとぼくたちの周りでは。というかこの世界では。
他の世界では違うのかもしれない。
家族の存在が一般的な世界では、普段からみんなで食事するのだろうか。
自室のベッドの上。
仰向けに寝ころびながら橘香さんが言っていたことを考えていた。
—— 静かな二人の時間が作れればそれでいいので
それで解決するなんて、相当の信頼関係のある恋人同士とかでないと無理なのでは。
—— お二人ならそれを乗り越えられると思います
本心なのか社交辞令なのか。
うれしい言葉ではあるけれど。そのとおりであって欲しいけど。
そう思えるだけの自信はまだ持てないでいた。
玲奈がいなくなった日のことを思い出す。
忘れようのない出来事。
いまでも現実だったとは思い難い。
あの時の水菜月は震えていた。怯えていた。
—— 北山くん、わたしが怖い?
—— どうしてこんなことが、わたしの役割なのかしら。
水菜月が怖いんじゃない。
こんな仕組みになっている、彼女にそんな役割を与えている、この世界が怖い。
彼女のことを考え出すと、いろんな感情が止まらなくなる。
横断歩道で初めて会った時は、不信感いっぱいだったのに。
本当の最初の出会いは、あれではないんだろうけど。
(水菜月のそばにいたい。そばにいてあげるんじゃなくて、ぼくがそこにいたい)
この感覚はなんだろう。
彼女がかわいそう?いやそんな上から目線なものじゃない。
義務感?正義感?道徳的というか人道的な意識?
そんな堅苦しい話でもない。
もっと単純なこと。
うすうす気づいてはいたけれど。
(恋、なんだろうな)
そういうことだ。
ぼくは水菜月が好きなんだ。
きっとずっと前から。
白い天井をながめてまた考える。
どうしよう。
別に悩むことじゃないか。
ベッド横のサイドテーブルの上に手を伸ばしスマホを探す。
メッセージを送ってみる。
『次の週末はどこか出かけない?』
しばらくして返信が届く。
『うん。いいよ。どこ行く?』
しばらく天気はよさそうだ。
橘香さんの助言どおり、海を見にいくことにした。
◇
週末の朝。
予報通りのいい天気。
水菜月と二人で会うこと自体は珍しいことではないけれど、今日はいつもとは違う気分だった。
中央駅の改札内で待ち合わせ。
どこかにお出かけらしいグループやカップルが、駅の構内を楽しそうに談笑しながら行き交っている。
今日の水菜月は、白と黒のツイードジャケットにチャコールのパンツ。
大人っぽい感じで来た。
ぼくはだいぶラフな格好。失敗したかもしれない。
「おはよ」
「おはよう」
笑顔で手を振っている。
先日会ったときよりは元気そうだ。
楽しみにしてくれていたのならうれしいんだけど。
「晴れたね」
「うん」
頭端式の地上ホームに向かうと、目的地方面の列車がすでに停車していた。
ボックス席で進行方向を向いて並んで座る。
水菜月が窓側でぼくが通路側。
出発のアナウンスが流れ、ドアが閉まる。
列車がゆっくり発車していく。
高層ビルの谷間を抜けて市街地を離れると、住宅街が広がる。
まばらに花びらの残る桜の木が、通りや公園に並んでいる。
「今日はどうして海に?」
「この時期だと空いているし、気持ちいいんじゃないかと思って」
少しでも気持ちが落ち着けばと思って。
「街を離れてみるのも気分転換になるだろうし」
現実逃避ってことじゃないけれど。
住宅街を過ぎると田園風景の向こうに海が見えてきて、列車はしだいに海沿いを走るようになる。
穏やかな海面が日の光を乱反射している。
「きれい」
水菜月が窓の外を流れる景色をうれしそうに見ていた。
本当はきみとの時間が欲しかったから。
◇
海岸近くの駅で列車を降りると、微かな潮の香りに包まれる。
改札を抜けて浜側の出口を出ると、眼下には砂浜と青い海が広がっていた。
予想してた通り、あまり人影はなかった。
砂浜の手前の遊歩道をジョギングしたり、犬の散歩をする人がいる程度。
春の朝の風は、まだ肌寒い。
ややかすんだ春の空に波の静かな海。
まばらにしか人のいない砂浜。
はるか沖では行き交う船が、水平線上に浮いていた。
海の匂いのする心地よい風を感じながら、二人で歩いていく。
列車で30分程度の距離だけど、いつもの騒がしい街の中とは別世界。
聞こえてくるのは風の音と波の音だけで、人工的な音はほとんどしなかった。
時折やってくる列車の走る音が、遠くから聞こえるぐらい。
見上げる高層ビルもなく、視界を遮るのは広い砂浜の奥にある松林だけ。
青い空が大きく広がる。
「風が気持ちいいね」
言葉数は少なく、腕がわずかに触れるくらいの距離。
目を合わせるのもためらうけど、そばにいるだけで安心感とちょっとくすぐったいようなうれしさ。
これが橘香さんが言っていた「静かな二人の時間」になるだろうか。
水菜月はどう思っているんだろ。
一方通行だったら悲しいんだけど。
◇
遊歩道をしばらく行くと松林の向こうが海浜公園になっていて、最近リニューアルされた水族園がある。
広い敷地にいまどきなデザインの特徴的な大きな建物と、その上に巨大な鉄骨の屋根が見えてくる。
屋根の下に大型のプールがあり、イルカとシャチのショーが行われていた。
先ほどまでの静かな海岸とは違って結構な数の人がいて、入場ゲート前の広い空間に行列ができている。
「ねえ」
「はい」
「あれ観たい」
イルカとシャチのショーの看板を指差して、水菜月が服の裾を引っ張ってくる。
入場チケットをスマホからオンラインで購入。
ぼくたちも行列に並ぶ。
建物に入って最初のフロアはいわゆる水族館。
たくさんの水槽が並び、各種水生動物が飼育されている。いろいろな魚とかクラゲとか。
エイやサメなど大型の魚が、巨大な水槽の中を優雅に泳いでいる。
一つ上のフロアに上がると、そこはイルカとシャチのショーが行われる大型プールの水面下。
大きなガラス張りの向こうで、白と黒の海獣たちが泳いでいるのを間近に見ることができた。
さらに進むと屋外のテラスに出る。
そこではペンギンやアザラシなどが飼育されている広いエリアになっていて、飼育員たちが餌付けをしていた。
その向こうには屋上へと続く広い階段。
上がっていくと、ショーが行われるスタジアムに到着する。
半円状の観客席と、その前にある巨大なプール。
前の方の席は水がかかりますの注意看板と、それを防ぐための大きな透明シートが見える。
「どうする?」
「…後ろの方でいい」
それがいいと思います。夏場じゃないし。
今日の水菜月のジャケット高そうだし。
観客席の間の階段を登って後方の席に隣り合って座る。
やがて開演のアナウンスが流れ、軽快なBGMと共にイルカたちが登場する。
元気な子供達を連れた賑やかな家族連れが少し離れた席にいた。
スタッフのお姉さんが子供達にショーの間はおとなしくよい子にしているよう注意していたが、ショーが始まって10分もしないうちに缶ビールと焼き鳥の串を握りしめた父親が、騒ぎながら警備員につまみ出されて行くのが見えた。
(この世界にも家族というのが、あることはあるんだよな)
彼らはそういう設定なだけでみんながそうではないらしいのだが。
確かに若い夫婦と小さな子供たちという家族ぐらいしか見たことがない気がした。
イルカとシャチが飛んだり跳ねたり。
その度に盛大に水飛沫と歓声があがる。
彼らはどう思っているのだろう。
餌をもらうために仕方なくやっているのだろうか。
それとも観客が彼らのパフォーマンスを観て喜んでいるのを、理解しているのだろうか。
水族園でも動物園でも飼われている生き物たちは、どう考えているのだろう。
施設内に閉じ込められるというのは、自由はないけど危険もない。
大事な食料と水は、苦労することなく与えられる。
外敵に襲われることもなく、寿命を全うできる。
彼らは幸せだろうか、不幸だろうか。
箱庭世界に住むぼくたちは、どうなんだろう。
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