094.桜が咲く頃
春になっていた。
桜の花びらを散らす風のように、時間は無情に過ぎていく。
日差しは明るく暖かく、水は緩んで道沿いには色鮮やかな花壇が並ぶ。
街も学校も、平穏に見える。
平穏であってほしい。
しばらく前に世の中を騒がせていた「四角く切り取られて消滅する事件」は、起こらなくなっていた。
世間では原因不明で未解決の事件のまま。
ニュースにならなくなると、次第に人々の話題からも消えていく。
水菜月が言っていた通り、玲奈の存在が関係していたというのは正しかったのだろうか。
玲奈のことがあって以来、水菜月との接し方というか距離感というか、
それまで通りにできないところが出てきてしまっている。
きっと彼女もそのことに気づいていると思う。
いまでも彼女に対する気持ちは変わらずあるけれど、
あのことの衝撃というかどのように受け止めたらいいのか、まだ整理がつかないでいた。
水菜月は思い詰めているようだった。
きっと深く傷ついている。
必要なことだったとはいえ、よく知る人を自分の手で亡き者にした。
しかもそれまでにも、数え切れないくらい同様のことを繰り返してきたのだろう。
ぼくの戸惑いなど、彼女が背負うものと比べれば全く取るに足らない。
彼女の苦しみを少しでもやわらげてあげたいのだけど…。
玲奈はもういない。
水菜月の説明では、玲奈は本来この世界にいてはならない存在だったことになる。
であれば、彼女がいないこの状態が本来は正しいということ。理屈の上では。
感情的にはそうじゃない。
彼女はとても魅力的で友達も多かった。
失踪事件の犠牲者になってしまったことを、多くの人たちが悲しんでいる。
たくさんの人とたくさんの記憶と思い出を作ったあとに、いなくなってしまった。
しかしその彼女の人格さえも、侵入者としての機能に付随していただけものだったという。
記憶と思い出も消えてしまえばよかったのか?
そうすれば悲しみも感じないではないか?
確かに悲しみは感じないかもしれない。
だけどそれがいいこととは思えない。
彼女は確かに存在した。
記憶と思い出まで消してしまったら、彼女は本当にいなくなってしまう。
彼女の存在した事実を消してしまうぐらいなら、彼女を失った悲しみに耐える方がずっといい。
ぼくが彼女と出会ってからこれまでの記憶。
初めの頃の記憶はぼくが体験したものではなく、作られたものなのかもしれない。
そうだったとしても、失っていいわけじゃない。
ぼくたちの意思がそうだとしても、この世界では記憶というのが不安定なのが気がかりだ。
なにかのきっかけで玲奈のことも忘れてしまうことがあるのだろうか。
ぼくが水菜月を忘れてしまうように。
冬の校庭で撮影した椿の花と振り袖姿の玲奈の写真。
とても素敵なそれが誰なのか、わからなくなる時が来るのかも知れない。
そうなったとしても、ぼくたちは悲しみを感じることもないのだろうか。
誰かの写真がなぜか部屋にある。
ただそれだけのことになってしまうのか。
—— そばに…いて欲しい。わたし自身が壊れてしまわないように
いつか水菜月はそう言っていた。
なにをするわけでもなくても、ぼくがそばで彼女を気遣っていることを示すだけでも、
気休めぐらいにはなるだろうか。
なにもできないもどかしさが、積み上がっていく。
◇
いつも通りの朝。
中央駅から大通りの緩い坂を生徒たちの行列が、いつものように登っていく。
この時期になると、ここの街路樹が桜だったことを一年ぶりに思い出す。
学校は見た目はいつもとさほど変わらない雰囲気。
普通に交わされる朝の挨拶。とりとめもない会話。
知っているはずなのにあからさまには話題にならないのは、みんなそれを口にしたくないからなのか。
同じ学年から二人めの失踪者。
気味の悪い不安が広がっていくのがわかる。
誰も気にしたくないけれど、脳裏からそれが離れない。
授業中。
スクリーンに表示される写真や図表。
教師の説明を聞きながらメモをとる。
こうしている間にも、新たな侵入者がどこからか来ているのかもしれない。
侵入者の存在に誰も気づかないまま、水菜月に始末されるのであればそれほど問題にはならないのに。
なぜ人格を持って人々と交わって、記憶と思い出を共有してしまうのか。
それが外部世界のやり方なのか。
放課後の談話室の畳の間。
玲奈に会いたい時にまず行くところだった。
面影を探すように自然と足が向く。
重い木の扉を開けると、茶道部員の女子生徒たちがいた。
「あ北山くんだよね?玲奈ちゃんのお友達の」
たびたび顔を出していたからか覚えられていた。
抹茶を点ててくれる。お茶請けには桜餅。
「あの子がいなくなる前に、なにか気になることとかなかった?」
あれこれ聞かれたが、正直には答えられない。
大事なことを知っているのにそれを話せないというのは、思いのほか苦痛が伴う。
玲奈の思い出話でしばらく盛り上がる。
あれこれエピソードが多すぎて、いつまでも話が続く。
だけどみんな努めて明るく振る舞おうとしているのが、感じられてしまうことに胸が痛む。
誰もが彼女が無事戻ってくることを願っていた。
ぼくだってそう願いたい。
叶わないのはわかってはいるけれど。
失踪者が出るたびに、その周辺ではこのようなことが繰り返されるのだろう。
◇
いつもの高台のカフェの前で水菜月と待ち合わせ。
肩からかけた白とピンクのボストンバッグが目に沁みる。
春の風が咲きそろう桜の花びらを散らして、彼女の栗色の髪にまとわりついている。
手を振って笑顔で迎えてくれる彼女と、これからもずっと一緒にいられるだろうか。
大きな窓の向こうは春の街。
公園や川沿いに桜の木が並び、薄紅色の花が咲いているのが街並みの中に小さく見える。
柔らかい日差しに、少しかすんだ青い空。
静かな店内に微かに声のないの音楽が流れている。
こんなにも平和なのに。
テーブルを挟んでぼくたちは、ほどんと言葉を交わさなかった。
緩やかな音楽と空気の中で、パフェスプーンがグラスに当たって無機質な音を立てていた。
きっと同じことを考えていたと思う。
同じ苦しみと悲しみを共有できることが、救いだった。
単独で行動する動物と、群れを成す動物がいる。
人間は後者だ。
孤独を好む人もいるが、病める時にはさすがに辛いはず。
水菜月を一人にしてはいけない。
それだけは守ろう。
というかそれぐらいしかできないけど。
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