093.全てを終わらせるために
穏やかな春の海。
彼がわたしを誘ってくれた。
まだ少し肌寒い砂浜は、人影もまばら。
波は小さく静かで、浜辺に打ち寄せる音が心地よく響く。
明るい日差しを浴びて眩しい海を見ているだけで、気持ちが少し軽くなる。
砂浜沿いの遊歩道を二人で歩く。だけどあまり会話は続かない。
二人ともおしゃべりなタイプではないけれど、頭上の青空とは違って晴れない雰囲気が流れる。
玲奈さんはもういない。
わたしが消してしまった。
彼はそれを受け入れきれないでいるようだ。
それはわたしも同じだった。
彼女は本来は、この世界にいてはいけない存在。
そうなのであれば、そもそもいなかったことにしてしまえば、彼女についての記憶を消してしまえば悩みも消えるだろうか。
そんなこと、できるはずがない。
わたしが人格を持たなければ、ただ役割をこなすだけの存在であれば、こんな悩みもなかっただろう。
ならば、この人格を捨ててしまいたいのか?
なかった方がよかったのか?
それも違う。
喜びが大きければ、悲しみも深くなる。
それは感情を持ってしまえば、避けられないこと。
そうだったとしても、大切な人たちと過ごした記憶は、わたしにとってはなにものにも代え難い宝物。
痛みに耐えなければならないとしても、守りたいこと。
—— 必ず、あなたの記憶を取り戻すから
—— わたしたちの思い出を、取り戻すから
それはわたしが生きていくために必要なものだから。
多くは語らないけど、彼も悩みながらも同じように感じてくれていたと思う。
—— 大丈夫だよ。ぼくたちはきっと、うまくやれるよ
わたしもそう信じていた。
楽観できる状況ではなかったけれど、なぜか悲観的には感じなかった。
わたしはもう一人ではなかった。
以前と違って、一緒にいてくれる人がいる。
話せないこともなくなった。
話題や言葉も選ぶ必要もなくなった。
受け入れられるか悩むこともなくなった。
このまま彼の記憶を維持できるように、やることをやりきればいい。
きっと大丈夫。二人がそう思っているのなら。
そうすればまた昔のように…。
◇
街全体が一望できる展望台の上。
誰かと一緒にここに来るのは初めてだった。
ベンチに腰掛けて見える風景は、いつもと同じはずなのに少し違って感じられる。
彼を世界の裏側に連れて行った。
初めて見る景色に驚いていたけれど、すぐに状況を理解してくれた。
予想していた通り、彼にはわたしが見えなかったものが見えていた。
隠された扉を見つけて、それを開けることもできた。
その向こうにある、外部世界との接点。
あとはそれの解析を終えて、封鎖してしまえばいい。
この封鎖が成功すれば、外部世界からの干渉は遮断できる。
そうすれば平和になるはず。少なくとも当面の間は。
新たな経路で干渉があったとしても、どうすればいいかやり方はもうわかっている。
もう少しでやり切れる。
ものすごく時間はかかったけど。
いまよりずっと穏やかに過ごせる日々が手に入るはず。
だけど、思っていたほどには時間の余裕はなさそう。
干渉が活発になってきていた。しかもこれまでにない激しさだった。
なにか一つ、壁を超えたような感じ。
新しい段階に入ったのかもしれない。
のんびりはしていられない。
それはつまり、これまで以上に危険な状態になったということ。
わたしたちが直接的な痛みを伴う形で、この世界が壊されるようになる。
街が破壊され、人々が亡くなる。
その状況に新たな不安が湧いてくる。
これはひょっとしたらもうすでに、わたしの手に負えないものかもしれない。
もしそうだったとしたら、それ以上は考えたくないけれど。
◇
その日は強い雨が降っていた。
この時期には珍しく雷鳴が鳴り響く。
なにか嫌なことを暗示するかのような空模様。
そして、この世界が危険な状態にあることは、誰の目にも明らかだった。
四角く切り取られる異変が再発していた。
それも、以前よりもずっと激しく。
空襲を受けているかのように、街が破壊されていく。
いままでも不安や絶望を感じることはあったけど、恐怖という感覚をこれほど強く意識したのはこれまでなかった。
でもこれを乗り越えなきゃ。
わたしが欲しいものはその先にある。
彼と再び世界の裏側に入っていく。
隠されていた外部世界との接点。「通路」と呼んでいたもの。
赤銅色のそれは、わたしの予想を超えるほど状況が悪化していた。
どうか、間に合って。
それなのに、こんな時に崩壊が起きるなんて。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ブックマーク・いいね・評価ポイントいただけるとうれしいです。




