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⭐︎箱庭の火の鳥  作者: ゆくかわ天然水


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082.きみの抹茶を飲みたい

玲奈と初めて出会ったのは、入学してまだ間もない頃だった。


一年生の四月、金曜日の夜。

散り残る桜の花びらの向こうに、春らしい朧月が透けて見える。


校舎最上階の食堂で新入生の懇親会が開かれていた。

立食形式で、食べ物と飲み物はセルフサービスで提供される。

参加は任意だったが、食事が豪華なこともありほとんどの生徒が参加していた。


着ているのはもちろん学校指定の制服、のはずが一人だけ、白とピンクの振り袖に派手な髪飾りの女子生徒がいた。

それが上岩瀬玲奈だった。



食堂の中央部にテーブルが置かれ、たくさんの多種多様な食べ物と飲み物が並ぶ。

和食に洋食に中華に、タイ料理かメキシコ料理かなんなのかよくわからないエスニック系など。

なんの冗談か非常食やどこで入手したのか宇宙食まで並んでいて、乾燥させたパック入りのお米にお湯を注いで楽しんでいる生徒たちもいた。


中華のテーブルにフカヒレスープがあるのだが、ほとんど卵スープにしか見えない。

これまでにも中華料理屋で食べたことはあるが、溶き卵とキクラゲぐらいしか入っておらず、フカヒレってなんだろうな、なんて思っていた。

ときどき春雨の切れ端みたいなのが入っていたりはしたが。


などと大型の保温鍋の前で茶碗を片手に思案していたら、振り袖を着た金髪に近い茶髪ショートの女子生徒が丼を片手にぼくの横で順番を待っているのに気づいた。


白地に濃淡のあるピンク色の椿の花が、金色の縁取りとともに大胆にあしらわれている。

重そうな大きな髪飾りがきらきらと揺れていて、下手に近づくとぼくのおでこに突き刺さりそうだった。

間近に振り袖を着る女性を見たのは、これが初めてかも知れない。

その鮮やかな存在感に目を奪われた。


左手には茶碗、右手にはおたまを握りしめながら思わず口が滑る。


「きみは…とてもきれいだ」

「はい?」


その女子生徒は目を丸くする。

それがぼくと彼女とのはじめての会話だった。

背伸びしたくなる年頃であることを差し引いても、初対面の女性にはじめてかける言葉としてはなかなか大胆だったと思う。


「あっいや、その振り袖がとてもきれいだね」


一瞬呆気に取られた様子だったが、すぐに笑顔になる。


「中身は?」

「中身も」

「『も』ってなによ」


テンポのいい言葉。

初対面でも人と気軽に話せるタイプなんだろう。


当たり障りのないたわいもない会話しながら、フカヒレスープを茶碗に一杯いただく。

おたまを彼女に手渡すと、ぼくは知り合ったばかりの同級生のグループに戻っていった。


お揃いの制服の集団の中で一人だけ振り袖姿の彼女は、意識していなくても視界に入ってきた。

多くの生徒たちと楽しそうに談笑している。

遠くからその様子を見ているだけで、社交性の高さが伺えた。


その日はそれ以上の言葉を交わすことはなかった。


その後も時折校内で見かけることはあったが、特に会話することもなかった。

というか、この時点ではお互いの名前も知らなかった。



その次に会話をしたのは、爽やかな季節を通り越して梅雨入りした頃だった。


家を出る時は晴れ間が見えていたので、傘を持ってくるのを忘れた。

こんな時に限って、午後からしっかり雨が降る。


放課後の校舎一階のエントランスホール。

ガラス張りの向こうで雨水がタイル張りの地面と植栽の葉を濡らすのを、眺めながら困っていた。


小降りになるまで待つか、駅まで走るか、売店で傘を買うか。


「振り袖女子が好きな北山七州くん」


名前を呼ぶ声がする方を振り向くと、いつぞやの茶髪のショートヘアが立っている。

今日は普通に制服だった。が、もう夏服になっていた。


「なぜぼくの名前を?」

「友達から聞いたの。振り袖好きなのは合ってるでしょ?」

「そういうわけでは」

「そうなの?四月の懇親会の時はとても興味深そうに見てたけど」


確かに目を奪われるような感じではあったが、特に意識していたわけではない。


「よく覚えているね。少し話しただけなのに」

「ああいうのを着ているとみんな褒めてはくれるんだけど、なんか表面的なのよね。なのにきみは一目見て表情が違ったからちょっと気になってたの」

「あれはとてもよかったと思う。よく似合っていたし、とても素敵だった」


正直な感想ではあるのだが、ほとんど話したことのない、というか名前も知らない相手に対しては馴れ馴れしいだろうか。


「傘がなくて困っているんでしょ?これでよかったら貸してあげる」


そう言って彼女が広げて見せたのは、薄紫色の紫陽花が描かれた和傘。

それはひょっとして、とても高価なものなのではないか?


「いいの?」

「いいよ。でもお気に入りだから大事に使ってね」


たたんでぼくに手渡す。


「返す時はどうすればいい?」


きみの名前もクラスも知らないのだが。


「放課後は図書館の談話室にいることが多いから来て。点ててあげる」


立てるってなにを?


「じゃあまたね!」


そう言うと彼女は別の傘を広げて足早に出て行った。

ぼくの右手には紫陽花柄の和傘。


もう一度、広げてみる。

竹の骨組みに厚手の和紙が貼られ、鮮やかな色彩の優雅な花模様。

正直なところ、ぼくには全く似合わない。


この傘をさして帰るのはかなり恥ずかしかった。



翌日の放課後。

傘を返しに談話室へ行く。

何度か利用したことはあったが、これまではそれほど馴染みのある場所ではなかった。


入り口には木製の大きな扉。

ゆっくりと開くと、あの女子生徒がぼくを待っていた。


談話室の一角にある畳の間。

四月の懇親会で見た、椿柄の振り袖姿。

梅雨の晴れ間の日の光が広い窓から差し込んで、金色の大きな髪飾りがそれを反射している。


ぼくは和傘を手に持ったまま、言葉を失って立っていた。

そこにいた彼女は、とても美しかった。


「…」

「どうしたの?いらっしゃい」


なんとか声を絞り出す。


「傘を…」

「もういいの?急がなくてもよかったのに。しばらく雨が多い日が続くんだし」

「でもこれって、お気に入りなんだよね?傷つけちゃいけないから」


それにぼくには似合わないし。

きみがさしたら様になるんだろうけど。


「お抹茶飲む?」

「抹茶?」

「茶道部なの」


きみはどこまで優雅なんだ。


慣れた手つきで茶碗に湯を入れて茶筅を振る。

きめ細かい泡が緑色の湯の上を覆っていく。


「どうぞ」


両手で茶碗を回してぼくの前に置かれる。

飲み方がわからない。

ただ飲めばいいのだろうか。


「普通に手に取って飲めばいいよ」


それから彼女といろいろ話した。

学校のこと、勉強のこと、着物のこと、茶道のこと、最近読んだ本のこと、美味しいお店のこと。


彼女は話し上手だった。

表情豊かで笑顔が多かった。


「いまさらかもしれないけど」

「うん」

「ぼくはきみの名前を知らない」


彼女が豪快に笑い出す。


「そっか。まだ言ってなかったね」

「聞いてないよ。ぼくの名前はなぜか知ってるくせに」


彼女は上岩瀬玲奈と名乗った。


「昨日はどうして傘を貸してくれたの?」

「困ってそうだったから」


傘を二つも持っていたのはたまたまなのか。


「本当は話しかけるきっかけを探していたの」

「ぼくに?どうして?」

「昨日言った通りだよ。四月の懇親会で会った時、北山くんは一目見て表情が違ったから気になってたの」


どんな顔をしてたんだろう。


「それにいきなり『きみは…とてもきれいだ』なんて、どこのイケメンなのよ」

「いやあれは、ちょっと口が滑っただけだ」


覚えていたのか。


「見惚れてたんでしょ?」

「はい」

「正直ね」


それは確かにそうだった。

今日もそうだった。


「それなのに学校で見かけても、なんか避けているみたいだったし」

「避けてはないよ。懇親会でちょっと言葉を交わしただけなのに、それで話しかけるのは馴れ馴れしいというか」

「まじめね」

「そういうのって、まじめなのかな?」

「じゃあ奥手」

「そういうつもりもないんだけど」


上岩瀬さんは社交的で友達が多そうだった。

ぼくもその一人に加えてもらえたのだろうか。


「きみの抹茶を、また飲みたい」

「いいよ。いつでも点ててあげる」


それからたびたび談話室でお茶をお呼ばれするようになった。



彼女はとても素敵なのだけど、どういうわけか距離のようなものを感じることがあった。

ぼくは彼女が大好きになった。

そこには疑いはなかった。

それでもどこかで線を引いていた。


それがなぜなのかは、いまでもわからない。

だけどひょっとしたら、なにか異質なものを無意識のうちに感じ取っていたのかも知れない。

友人。あくまで異性の友人。だった。


そうこうしているうちに、上岩瀬さんは彼氏持ちらしい、とのうわさを何度か聞いた。

特に驚きはなかった。ショックでもなかった。

まあそうだろうな、という印象。

魅力的な彼女であれば、何の不思議もない。

別に本人に確認しようとも思わなかった。


だけどこれについては、ずっと後になって本人によって否定されることになる。


客観的には不思議な感覚ではあった。

こんなにも魅力的な女の子が身近にいるにも関わらず、恋愛感情というようなものが湧くことがない。


でもきっと友情とは違う愛情はあったと思う。

玲奈は大切な存在だったし、大切にしたいとも思っていた。

その言葉の定義がよくわからないまま、なんとなくで言っているけれど。

だけどそう感じられるだけで、ぼくたちの出合いには共に過ごした時間には意味があると思う。



その後の話は、これまでに語ったとおり。


というのがぼくの中にある、玲奈についての記憶。


とても可憐で素敵で魅力的だったのに。

なぜぼくたちは、この人を失わなければいけないのだろう。

それをするのが、なぜ水菜月でなければいけないのだろう。


ぼくたちの存在に理由がないのなら、ぼくたちの消滅にも理由がないのだろうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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