081.海沿いの公園で
店を出ると、空にはまだ重苦しい雲が立ち込めているものの、雪はやんでいた。
刺すような冷気が顔を覆う。
水菜月は両手を胸の前で組んで目を閉じて俯いている。
なにかに祈るような姿。
「北山くん。行こうか」
ぼくの方を振り返ると、微かに笑みを浮かべるような表情で言った。
喜びのない微笑み。輝きのない瞳。
ただ運命に従うだけのような、希望のない表情。
この少女がいまからすることを、どう理解すればいいのだろう。
ぼくはただそれを黙認するだけなのだろうか。
この世界はいま、なにか重大な危険に晒されている。
そこにはもう、疑いの余地はない。
物が破壊され、多数の犠牲者まで出始めた。
被害は拡大していき、いずれは世界全体が壊されてしまうかもしれない。
水菜月の説明では、異世界からの干渉を受けているのだという。
とてもあり得ないような話が、それが現実だと信じてしまうほどのものを見てきた。
この世界は、それまでぼくが知っていたものとは違っていた。
玲奈がいなくなる。しかも水菜月がそれをする。
理由は世界をその危険から救うため。
まったく意味がわからない。嫌な夢なら早く覚めてほしい。
顔を上げるとずっと向こうに、片方だけになったツインタワーが見える。
夢ではない。現実なのだ。
少なくともぼくの認識ではそうなっている。
ぼくと水菜月は駅までの坂道を、落ち着かない足取りで下って行った。
◇
中央駅で列車を降りる。
周囲はしだいに暗くなってきていた。
薄暗い空の下、人々はこわばった表情で足早に歩いていく。
街はいつもとは明らかに様子が違っていた。
サイレンを鳴らす緊急車両が何台も、大通りを走り抜けていく。
ツインタワーの周辺は立ち入り禁止になっていて、ざわついた雰囲気が漂っていた。
大勢の警察か機動隊と思われる人たちが、物々しいヘルメットと盾を装備して警戒にあたっている。
路上には閃光灯を光らせたパトカーや救急車に消防車、軍用車両のようなものが何台も連なって停車していた。
そこからいくらか距離を置いて、一般の人々が不安な表情でツインタワーの方を見ている。
涙を流している人もいる。知り合いがあそこにいたのかもしれない。
(これらの原因の一つが玲奈ということになるのか…)
まったく実感が湧かない。
普通に考えればとても信じられる話じゃない。
水菜月はそれらに目もくれず、ただ真っ直ぐに前を見て歩いていく。
その表情は明らかに硬く、緊張以外の気持ちは読み取れなかった。
迂回して待ち合わせ場所に向かう。
冷たい風が表情と心を、一段とこわばったものにした。
点灯し始めた街灯の光が刺すように感じられた。
◇
玲奈との待ち合わせは、海沿いの公園。
巨大な魚が跳ねたような形をした金属製のモニュメントのそばで、ベージュ色のロングコートを着た玲奈が手を振っている。
「ちょっと北山くん。みなちゃんとわたしのデートを邪魔する気なの?」
「玲奈が水菜月におかしなことしないか見張りにきたんだよ」
落ち着かない。これから起きることに。
普段どおりの態度を、なんとか取り繕う。
「さっきまで北山くんとお茶してたの。その流れで一緒にって」
「正直に『玲奈ちゃんに会いたかった』って言えばいいのに」
「はいそうです」
この後、どうするのだろう。
三人で公園を歩く。
「玲奈さんと北山くんって、どこで知り合ったの?」
水菜月が素朴な質問をしてくる。
「それがね、実はいきなり告られたの♡」
「そんな事実は1mmもない」
「ほとんどそんな感じじゃない。北山くんに初めて言われてたこと覚えているよ」
「あれは振り袖のことを言っただけじゃないか」
「『きみは』って言ってた」
「口が滑っただけだ」
「知り合ってからも恥ずかしがり屋の北山くんは、学校で見かけてもなかなかわたしに話しかけられなくて」
「別に話しかける気もなかったし」
「仕方がないので、わたしから声をかけてあげたの」
「玲奈の方が興味があったみたいなこと言ってなかったか?」
「なんか面白そうとは思ってた」
談話室でお茶をお呼ばれするようになったのは、確かにそんなきっかけではあった。
さすがにいきなり告白はしてないけど、初めて会った時からとても好印象だったのは正しい。
改めて考えれてみれば、ぼくの中で最も一目惚れに近い出会いだったかもしれない。
第一印象は有希葉よりも水菜月よりもよかった。
そもそも水菜月の第一印象は不審者だった。
が、そんなこと言ったらますます調子に乗りそうだ。
「二人は仲が…いいんだね」
水菜月の言葉に締め付けられるものを感じてしまう。
だけど玲奈はそんなことはもちろん知らない。
「北山くんとは仲良しだけど、みなちゃんから奪ったりはしないよ」
玲奈はいつものように、表情豊かな明るくて眩しい笑顔。
いつものように、とても魅力的だった。
玲奈と会話していると最近のあの一連の事件に、ここからでも見える片方が消滅したツインタワーに、玲奈が関係しているなんてとても想像がつかない。
これから水菜月がしようとしていることも、全く実感がわかない。
このまま三人でどこかその辺りの洒落たレストランで食事して何事もなく帰宅する、なんていう方がずっと現実的に思える。
思わず水菜月に、あれはなにかの間違いではないのか、水菜月の勘違いってことはないのか、なんて言いたくなる。
けれど、きっとそうじゃない。
玲奈の無邪気な笑顔を見るのが心苦しい。
「北山くん、なに暗い顔してるのよ。かわいい女の子を二人も連れているのに」
その通りだ。きみたち二人はとても素敵だ。
なにも知らなければ、なにも起きなければ、どれだけ楽しかっただろうか。
玲奈が点ててくれた抹茶をいただくことも、もうなくなるなんて、わかっているようでわかっていない。
水菜月が「あの話はね、実は冗談だったの。びっくりした?」なんて言ってくれないか、なんてありそうもないことを考えている。
まじめな彼女がそんな悪ふざけをするわけないのに。
岸壁に近い開けた空間。
辺りはもうすっかり暗くなっていた。
海の向こうの人工島と、その反対側には街の中心部のビル群の灯りがきれいに見える。
気候のいい時期の昼間なら、家族連れなど多くの人々が散歩したりくつろいだりするところだった。
いまはツインタワーの騒ぎのせいもあってか、人影はなかった。
水菜月が俯いたまま黙っている。
歩幅が小さくなり、やがて立ち止まる。
玲奈が少し心配そうな顔をして、水菜月の方を振り向く。
「みなちゃん?大丈夫?気分が悪いの?」
息詰まる空気に胸が苦しくなる。
「玲奈さん…わたしを許して…」
声が震える。
泣き出しそうな水菜月の声。
「みな…ちゃん?」
水菜月の姿が炎に変わる。
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