079.最近、水菜月の様子がおかしい
「四角く切り取られる事件」は頻繁ではないものの、その後もたびたび発生していた。
薄暗い雨雲が音もなく地平の彼方から広がるように、気味の悪い不安感が人々の日々の暮らしに影を落としていく。
生徒の間ではあまり直接的には話題にならないが、それは関心がないのではなく、話すのがタブーであるかのような陰鬱な雰囲気が漂い始めていた。
それと関係があるのかないのか。
最近、水菜月の様子がおかしい。
近頃はましになったとはいえ、もともとそれほど感情豊かなタイプではなかったのが、このところ一段と無表情。
意識が飛んでいると言うか、心ここに在らずな感じ。
学校で見かけても、目が死んでいるような表情。
声をかけてもすぐに気づかないことがあった。
なにかよくないことでもあったのだろうか。
気にはなるけれど、こういうのってどうすればいいのか難しい。
不用意には踏み込めない一方で、助けられるものを見過ごしてもいけない。
なんて声をかければいいのか。
◇
いつもの高台のカフェ。
今日は一段と寒い。窓の外は灰色の世界。
水墨で濁ったような色の雲が街と海を包み込み、降りしきる雪でかすんで見える。
向かいに座る彼女の右手に握られたパフェスプーンから、溶けたアイスクリームが垂れている。
寒がりの水菜月が、店内でコートを着てマフラーを巻いたまま冷たいものを食べているのもシュールだが、それより魂が半分くらい離脱してそうな雰囲気。
「水菜月?」
「…え?あっごめん。なに?」
取り繕ったような不自然な笑顔。
目の焦点が合っていないというか泳いでいるというか。
やっぱりおかしい。
「今日は寒いし、なにかあったかいものをたのむ?」
「うん…そうだね…」
また沈黙。
温製甘党メニューを探す。
ここのお店はいまでも紙のメニュー表で、店員さんに口頭でオーダーする。
タブレットでオンライン注文なんて味気ないことはしない。
「チョコレートフォンデュなんてどうかな?」
ちょっとうれしそうな顔で頷く。
糖分補給の意欲はあるようだ。
今日のところはあまり踏み込まず様子を見ることにする。
チョコはビターにしてみた。
それでもぼくの感覚だと十分に甘いけど。
いちごやスライスしたバナナにキウイ。
マシュマロに小さくカットしたパンにナッツなど。
思ったよりボリュームがある。これだけでお腹が膨らみそう。
水菜月がフォンデュフォークを手に、楽しそうにあれこれディップしている。
「おいしい?」
「うん」
少しは気分が晴れただろうか。
結局この日は会話らしい会話もなく、なんとなく時間を過ごして別れた。
他の人の意見を聞いてみようか。
と言っても聞ける人は一人しかいないのだが。
◇
週明けの放課後。談話室に来ていた。
畳の間の主と化している玲奈と話してみる。
「いつもここにいるよね?」
「住んでるの」
「やっぱり」
「簡単に信じないで」
お茶を一服。
柚子饅頭も合わせていただく。
「おいしい」
「でしょ?茶道部御用達の和菓子屋さんおすすめなの」
上品な甘酸っぱさとほのかな柚子の香り。
それはいいんだけど。
「最近、水菜月と会ってる?」
少し間が開く。
「みなちゃん、このところ元気ないね」
「やっぱりそうか」
「北山くんは原因に心当たりないの?」
「同じことを聞こうとしていた」
「この前も一緒にお茶していたんだけどほとんど会話がなくて、じっとわたしを見て泣きそうな顔をしているの。聞いてもなにも答えてくれないし。北山くんの方は?」
「うわの空というか、魂が抜けているというか。突っ込みづらくてなにも聞けない」
「きっとなんかあったんだろうけど」
「どうしたらいいんだろう」
「話してくれるまで待つしかないかな」
待ってて話してくれるだろうか。
だからって強引に聞き出すわけにはいかない。
こちらの聞く姿勢は示しておいて、やっぱり待つしかないか。
「写真は届いた?」
あれのことね。
「とても素敵なのが届きました」
「そうでしょう?だってモデルが最高だし、額だっていいの選んだんだから。日々欠かさずお祈りしなさいね。信じる者は救われるから」
「もったいなくて大切にしまってあるよ」
有希葉の指示により、クロゼットの最奥部に封印されていた。
「飾りなさいよ」
「神棚ないし」
「枕元に置いておけばいいんじゃない?毎朝目覚めとともに神々しい女神さまを拝むの」
「嫌じゃないのか?男の枕元に自分の写真なんて」
「北山くんならいい♡」
「逆にぼくの額入り写真を玲奈に送ったら、枕元に置くの?」
「なに言ってるの。置くわけないでしょ」
「じゃあどうする?」
「口髭・あご髭・渦巻きメガネその他の落書きをして送り返すから」
やっぱりこの人とは気が合うんだよな。
◇
夜。自宅のベッドの上で天井を眺める。
窓の外は街を覆う暗闇の底。小雪が音もなく降りてくる。
水菜月は玲奈にもなにも話していないらしい。
あの様子からなにか深刻なことがあるのは、容易に想像できる。
玲奈は待つしかないと言っていたが、気長に待てるほど穏やかな気分ではいられない。
彼女がなにかを抱えているのに、それを知ることもなにをすることもできないのが、ひどくもどかしく苛立たしい。
きっと玲奈も同じように、なにもできずにいたのだろう。
(次に会ったときは、少しだけ聞いてみるか…)
聞き方を考えよう。
彼女を傷つけないように、いくらかでも気持ちが和らぐように。
話したくないなら話さなくてもいいように。
◇
再び高台のカフェ。
この時期には珍しく、すっきりしない天気が続く。
空には灰色の垂れ込んだ雲。朝からちらほら雪が舞っていた。
午後の待ち合わせ時間に少し遅れてやってきた水菜月は、悲壮感の漂うやつれた表情。
顔色が一段と悪い気がする。
ちゃんとご飯は食べているだろうか。
いつもの窓際の席に向かい合って座る。
今日の水菜月は珍しく、スイーツの類はオーダーしないで温かい飲み物だけ。
それもシンプルなストレートのダージリン。
ぼくの方にちらちら視線を向けて、なにかを話そうとしているようにも見える。
でもうまく言い出せないようだ。
「なにかぼくが、聞いておいたほうがいい話があったりとか?」
「...」
話しにくいのなら話さなくてもいいけれど。
「一人で抱え込みすぎたりはしてないかな」
「…」
頼ってくれたらうれしいんだけど。
「ぼくにできることはあまりないかもしれない。だけどきみを理解したいとは思ってる」
「…」
無理に聞き出すようなことはするべきじゃない。
少し間を置いてもう一度、静かに話しかけた。
「いつか約束したけど、ぼくはきみのそばに、いるから」
彼女は少し目を見開いてこちらを見る。
その表情はまるで、苦悩と困惑が全身を覆い尽くしているようだ。
なにを抱えているのだろう。
ぼくはそれを聞くべきなのだろうか。
聞いたところで、それに向き合えるようなものなのだろうか。
ゆっくりと口を開きそして話し始めたことは、あまりに過酷で残酷なことだった。
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