077.校庭の椿
新しい年が来るたびに季節もまた繰り返す。
四季折々の花が咲き、そしてまた散っていく。
去年も今年も、そしておそらく来年も。
花にとってはその繰り返しが当然のこと。
いつかそれが、枯れ果てるまでは。
うちの学校の校章は、椿の花をかたどったものになっている。
校内のいたるところに椿が植えてあり、この時期になると赤や白の花が咲き始める。
古来から詠まれた花ではあるが、この学校での由来は創設者がアレクサンドル・デュマ・フィスを好んだからだとか。
つまり校訓とか格言とかそんなのではなくて、ただの創設者の趣味。
学校にふさわしい由来だろうかという気がしないでもない。
八重咲きの淡いピンク色の花は、女子生徒に特に人気があった。
休み時間や放課後になると、そこらじゅうで生徒たちが咲きそろった椿の花と映える写真を撮っていた。
中庭にある茶室の近く。
和服の女子生徒の集団がいる。
「あ北山くん。こっちこっち」
茶道部のみんなで写真撮りたいからって、カメラ係を頼まれていた。
「顧問の先生とかいないんだっけ?」
「いるけど部活には全然来ないの」
そんな顧問でいいのか。
「じゃこれでお願い」
カメラを渡される。
かなり立派な一眼レフ。LEICAって書いてある。
「これって誰の?」
「部の備品」
なぜ茶道部にこんな高級カメラがあるのか。
「そんなの決まっているじゃない。麗しいわたしたちの肖像を後世に残すためよ」
やることやってさっさと帰ろう。
上着を教室に置いてきたので寒いし。
「お礼に愛しの玲奈ちゃんのブロマイドを北山くんにあげるから」
いりません。
「神棚に祀って一日五回祈りを捧げなさいね」
いりません。
だけど女の子たちはみんな華やかな麗しい振り袖姿で、八重咲きの椿がとても似合っていた。
そんななかに地味で場違いなカメラ係が一人。
縁なし部長の仕切りで撮影会が始まる。
満開の椿を背景に一人ずつあれこれポーズを取ったり、複数人でなんかしたり、全員の集合写真を撮ったり。
最初は静止画だけだったのに、動画も撮りたいとか言い出したり。
そのあと結局、昼休みいっぱい撮影に付き合わされた。
「みなちゃんも誘ったんだけど、断られたのよね」
それがいいと思う。
でないとまた着せ替え人形にされそうだ。
「みなちゃんの振り袖姿の写真も撮りたかったんじゃないの?」
そこは否定しない。きっととても似合う。
「北山くんも撮ってあげようか?」
遠慮しておきます。
寒いし早く教室に戻ろう。
◇
後日、玲奈の振り袖姿の大きな写真がやたら豪華な額入りで送られてきた。
口髭・あご髭・渦巻きメガネその他の落書きをして送り返してやろうかと考えたのだが、思いのほか上手に撮れていたのでとりあえず置いておくことにする。
うちに神棚はないし、祈りも捧げないけど。
隅々までチェックしたが、盗聴器などは仕掛けられていないようだ。
しかし改めて送られてきた写真を眺めて気づいたことがある。
(…玲奈って、きれいだな)
普段はあまり意識していなかったのだが、実は玲奈も水菜月に負けず劣らず美人だった。
とはいえ知り合いの女の子の大きな写真を部屋に置いておくというのは、なんとなく落ち着かない気分。
額入り引き伸ばし写真。
欲しがる男子がいるかもしれない。
高値で売ろうか。
◇
週末。
有希葉がまたうちに来ていた。
「この前の昼休みに茶道部に中庭に呼ばれて」
「シメられたの?」
「そこまで物騒な人たちじゃない」
「じゃあお茶会?」
「椿の花が見頃だからみんなで写真撮りたいって、カメラマン頼まれただけ」
「ふ〜んいいじゃない。きっとみんな着物でしょ?あそこかわいい子多いし」
「それはそうなんだけど、そのお礼にもらったのがこれ」
玲奈が送ってきたものを見せる。
学校の女の子の写真を額入りで持ってるのなんて、見つかったらなんか言われそうなので先に白状しておく。
「あ〜っ!!玲奈さん?!かわいい☆めっちゃかわいい!!すご〜い!!」
「玲奈と知り合いだっけ?」
「知ってるよ。お抹茶点ててもらったことある」
「カメラ係のお礼がこれってどう思う?」
「かわいいからいいと思う」
「…じゃあもしぼくがなんかのお礼に自分の額入り写真を女の子にあげたらどう思う?」
「それはキモい」
「違いはなに?」
「玲奈さんは美人で振り袖が似合うから許されるの」
「見た目の問題?」
「見た目の問題。だって写真だもん」
そうですか。
「じゃあ部屋に飾ろうかな」
「それはだめ」
「なんで」
「なんでも。クロゼットにしまっといて」
有希葉が真顔で反対している。
まあ本気で飾る気はなかったけど。
「ね〜」
「はい」
「わたしもこんな写真撮ってほしい」
「スマホのカメラしかないよ」
「それでいい」
「じゃ来週のどっかで昼休みに」
「やった☆」
◇
校庭の椿の花が咲く季節。年度末が近づく。
年度が変われば学年が一つ上がる。
それは当然のことだったはずなのだが、最近はそうとも思えなくなっていた。
—— 子供の頃の記憶というのはあるのだけど
—— たぶんそれも用意された物で、あなたが実際に体験した物ではないんじゃないかしら
ぼくたちに現実の過去がないのであれば、未来もないのではないか。
記憶を失って、何度も同じ時を繰り返しているだけなのか?
そうだとしても気づけない。
全ての人がそうなのであれば。
例外がいるとすれば、ぼくが知るかぎりではただ一人。
ぼくたちは永遠に高校生。
毎年同じ花を咲かせる木々のように。
そういう世界なんだろうか。
だとしても、それは不幸なことだろうか。
そのように感じている人は誰もいない。
それは知らないからなのか。
となると知ると不幸になる、ということなのか。
真実は知るべきなのか。必ずしもそうではないのか。
いや知ったとしても、不幸になるだろうか。
永遠に歳を取らないということであれば、むしろ好ましいと捉える人もいるだろう。
少なくともぼくにとってこの生活は、最近はややこしいこともあるけれど、基本的には楽しくて快適なものだった。
平和で平穏な生活が送れるのなら、ずっとこのままというのも悪くはない。
だけど、どちらにしても置かれた境遇を受け入れるだけではないか。
だとすれば、こんなこと考えるだけ無駄かも知れない。
どうにもできないのであれば。
しかし、未来永劫このままが続くというのは、それも不自然なものを感じる。
自分たちの住む世界について全てを知ることは不可能だとすれば、知り得る範囲の理解で納得するのが落ち着く先になるのだろうか。
もうすぐ今年度の自由研究の提出と研究発表会がある。
それが終われば、もう春は近い。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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