075.過去と未来
ある過去の出来事が誰の記憶にも残らなかったら。どこにも痕跡を残さなかったら。
つまり現在と未来に何の影響も与えなかったら。
その出来事は起こらなかったのと、なにが違うだろうか。
「それは現在と未来に生きる人間の視点での話だな」
昼やすみの食堂。
旗章が、特選国産地鶏照り焼きチキンステーキ丼(特盛)を頬張りながら答える。
「過去において起きたのなら、過去の人間と世界には影響しているだろう。現在と未来においてはそうではなかったとしても」
小皿の漬物を一切れつまんでぽりぽり。
「だとすれば、なにもなかったのとは同じではないだろ。客観的には」
奈良漬けのおいしさが最近わかってきた気がする。
「現在と未来の人間はそのことを知らないってだけの話だ。起こらなかったのとは違うだろ。もし神様がいれば、それはつまり現在と未来においては神のみぞ知るってことじゃないのか」
さざえの壺焼きの青いところはいまでも苦手だが。
「神様にとってはそうかも知れないけど、現在と未来の人間にとっては同じじゃないか?」
「知りようがないって意味ではそうかもな」
ぼくは旗章と同じメニューの並盛を食べていたのだが、それでも結構なボリュームだった。
「そうだとしても現在と未来の人間にとって過去にそれが起こったと認識できないだけで、現在と未来の世界は過去の出来事の結果の総和ではないのか?つまりこの問題は、現在と未来の人間による過去認識の限界を言っているだけということだ」
起こらなかったのと起こったことを知らないのは客観的には別だけど、知らない人には区別ができないだけ。
過去に二人の人物がある大事な出来事を共有していたとして、しばらく後に二人のうち一人がそのことを忘れてしまったとしたら。
「それは薄情だな」
旗章の容赦のない回答。
胸をえぐられた気分。
「過去を知っている人間がいるのなら、なかったことにはできないしな」
ぼくだって思い出したいのだが。
顔が引きつっているのが旗章にばれる。
「ななお。なにか薄情なことをして、誰かに責められているのか?」
「いやそういうわけでは」
責められてはいないが、悲しませてはいるようだ。
むしろそっちの方が心が痛む。
未来は運命論的に決まっているのか、それとも未確定なものなのか。
決まっていたとしても、それを知り得ないのであれば、未確定と同等なのか。
未来は変えることができるのか。
それともその変えようとする行為も含めて、運命論的に決まっているのか。
だがそれさえも知り得ないのであれば、見かけ上は未来を変えることができると見なせるのか。
「運命論は結果論だろ。後からのこじつけに過ぎんよ」
大根の短冊切りの味噌汁。麹味噌の甘味がうまい。
「それが現実的な解釈だとは思うけど、だとすればなぜ多くの人が運命論を好むのだろう」
「自分たちの境遇を納得しやすいんじゃないか。努力で変えられるのなら、不幸な境遇は自分たちの努力不足が原因になる。運命であれば、自分たちに落ち度はない」
「運命論は他責思考なのか。その意見は賛否がありそうだな」
未来は運命論的に決まっているのではなく、未確定と考えるのが自然で合理的ではないか。
というかそうであって欲しいと思う。
未確定ということは可能性があるということ。
可能性は希望と捉えることができる。
なんらかの不幸な境遇にあったとして、それは自責であったとしても他責であったとしても、その状況を自力で克服するのが困難に見える場合、そこから逃れようとすることは好ましくない選択だろうか。
「逃げるということだな。それは常に考えるべき選択肢だろ。つまり好ましくないなんてことはないはずだ」
デザートは自家製わらび餅。黒蜜をかけていただく。
自家製ということは食堂の厨房で作っているのだろうか。
「好ましくないと考える向きがあるが」
「逃げることが卑怯だとする発想のことか。精神論的な価値観から来るものだろう」
逃げるということを単純に悪いこととする向きは確かにある。
逃げることはだめなこと。やってはいけないこと。卑怯なこと。
だけどそれは違う。
大きな地震が発生して津波が来るとなった時に、逃げずに津波と戦うのだろうか?
その状況を回避するというのは多くの場合、有効となりうる手段で考慮すべき選択肢になる。
異常な環境にいるのであれば、留まるより立ち去る方が適切な選択だ。
社会規範的なものもあるだろうか。強くあらねばならない、のような。
「精神論を振りかざす人は多いのだが、正直なところ苦手だ」
「精神論を好む人が多いのはなぜだろう」
「論理的に考えなくていいからじゃないか。高圧的な態度を取るだけで正義だ。論理的に考えるというのは才能も努力も必要だが、精神論はそれを必要としない。都合がいいと捉える人は多いだろう」
「その意見も賛否がありそうだな」
未来のことはいつだってわからない。
未確定であることは可能性であり、希望だろうか。
「そこに異論はないんじゃないか。可能性には正と負があり正の可能性を希望と呼ぶ、ということぐらいか」
「負の可能性は」
「絶望だな」
「未来は希望であってほしいが」
「それは本人の捉え方次第だろう。どちらに転ぶかは未確定なのだから」
「そこは主観的なのか」
「客観的には未確定なのであれば、主観的な立場しか取り得ないだろ」
旗章がわらび餅をおかわりしている。
「これから来るのは、絶望ではなく希望であると考えたいよな。この先も生きていくのであれば」
◇
最近の状況は、未来に不安を感じざるを得ない。
望まない理解しがたいことが起こるだけでなく、どうすればいいかもわからない。
それでも未来が未確定なのであれば、明るい世界線もあると考えることはできる。
過去と現在の積み上げが未来を作る。
そうなのであれば、これまでといまの努力で望ましい未来が期待できる。
少なくともその可能性はあることになる。
というような考えは、気休めに過ぎないのだろうか。
自分たちの努力でどうにもならないことだってある。
巨大隕石の衝突で世界が滅ぶのなら、明るい世界線は神の奇跡ぐらいしか望めない。
状況がそこまで絶望的であることを知らなくて、それでいて明るい世界線を期待していたとすれば。
神様から見れば、ぼくたちは滑稽に映るだろうか。
それともそんなことを気にすることが、滑稽なのだろうか。
未だ確定していないのであれば、どちらに転ぶのかは神様も知らないのだから。
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