007.岩倉旗章
この街の中央駅。ぼくたちの学校の最寄駅だった。
駅ビルの構内にあるファーストフード店。
放課後のこの時間帯は、学校帰りの生徒たちでそこそこ混んでいた。
うちの学校だけでなく、近隣の他の学校の生徒たちも多い。
夏休みも近いこの時期。
楽しそうにおしゃべりして、休み中の計画でも話しているのだろうか。
目の前で大男がものすごい勢いで、テリヤキチキンバーガーをがっついている。
岩倉旗章も同級生。親友と呼んでいい仲だと思う。
「ななおさあ」
大抵の男子生徒には「ななお」と呼ばれている。
「七」が発音しにくいので、誰も本名で呼んでくれない。
「最近なんかあっただろ」
「なんか?」
「ときどきうわの空になってるぞ。なにか考え事でもしているのか」
旗章は無骨な見かけによらず妙に鋭い。
無意識のうちに横断歩道で世界が消滅した事件と、謎の桂川氏について考えていたのを悟られたらしい。
「特になにもないけどな。最近暑いからバテただけじゃないか」
「ならいいが」
相談しようにも頭の整理がついてない。
いま無理に話しても心療内科に行けという以上の助言が得られる気がしない。
試しに聞いてみるか。
「たとえばの話なのだが」
「おう」
「横断歩道を渡っている最中に突然見知らぬ女性に腕を掴まれて、気が付けば全世界が消滅していたとして」
「心療内科に行け」
未来は基本的には予測できないものと考えていたが、今回はそうではなかったようだ。
旗章は常識的で分別があるタイプだった。意見の相違があった場合、たいてい彼が正しい。
「そうだよな」
「おう」
旗章がバケツみたいなカップに入ったオレンジジュースを飲んでいる。
「最近それがあったのか?横断歩道で謎の女に拉致されて世界が滅ぼされたという」
「そんなB級ソシャゲのシナリオみたいなわけないし」
まあ、あったんだけど。
拉致はされていないし、世界も復活したけれど。
「大学どうする?」
「行くよ」
ぼくたちは高校ニ年生だった。来年は受験生になる。
この辺りでは名門のそれなりの進学校であり、進路をどうするかは大きな関心ごとではあった。
「そうなんだろうけど、専攻とか」
「法学かな」
「邦楽」
「法学だ」
「弁護士か裁判官か」
「それもいいけど、検察官でも官僚でも企業の法務担当でも」
「それはなぜ」
「基本的にルールというものが好きじゃない」
「ならば法律というのは最も遠い存在になるのでは」
「多くの人がルールというものを好まない。なのに大昔からたいていの国家でわざわざ作られている。なぜか」
「自虐的な人間が多いから」
「その方が便利なんだよ。であればそれを利用する術を知るのは意味があるだろう」
将来の悪徳弁護士がここに。
「ななおはどうなんだ」
「まだよくわからないな」
自分の進路を決めあぐねていた。
将来の夢というようなものは明確にはなかったし、世の中を渡っていくためにこういうスキルを身につけたい、というような考えも持っているわけではなかった。
人生においてなにに重きを置くのか、自分はなにが得意かなにであれば興味を維持できるのか、そんなことを考えて行く先を決めていくのだろうけど。
未来はどうなるかわからない、という理由で先のことを考えないという人もいるけれど、それは賢い考え方ではないと思う。
未来が不確定なのはその通りだがそれでも予測はできるし、なにより自分がどうしたいかは考えることができる。
どうなるかわからない未来のために、いまはなにができるのかを考えた方がいい。
「今年の自由研究は?」
「史記」
これはまた渋い選択。
法律家を目指すのであれば、相応しいか。
「二千年以上前の書物だ。それが古いのか古くないのかを確かめたい」
「それは古いだろ」
「そうかな?」
テリヤキチキンバーガーの包み紙を丁寧にたたみながら、旗章は話を続ける。
「史記が起源とされる故事成語は数多くある。それらがいまでも有効なのであれば、否定的な意味で古いとは言えないだろう」
「科学技術は進歩するが、人のやること考えることは二千年経ってもそんなには変わらんようだ」
「不易流行とでもいうのか、時代を越えるものとそうでないものがある。その区別は難しいかもしれんがな」
新たなテリヤキチキンバーガーの包み紙が開かれて、旗章の胃の中に吸い込まれていく。
「その区別を考察したいと」
「そうだな。それをどこまで批判的に…ここでいう批判というのは否定的な意味ではなく哲学的な批判、客観的な検証ができるかの意味でどこまで考えられるか、が今年のテーマかな」
無骨な見た目に似合わない知的な題材。
「効果的な筋トレとプロテインの摂取」とかの方が似合いそう。
「で、大沢とはどうなん?」
毎度の質問。
「まあ仲良くはしてます」
「お前たちほんとよくわからない関係だよな。側から見ていると付き合っているようにしか見えんのだが、二人とも否定するし」
きっとそうだと思う。
「週末もよく会ってるんだろ?」
「この前、またゆきの買い物に付き合わされた」
「普段は?」
「だいたい毎日寝る前には通話しているかな」
「そういう状況を付き合っているというんじゃないのか?」
「形だけ見ればそうかもしれんが」
「気持ちが伴っていないと?」
「そんなこともないけど…」
旗章はあきれた顔して新たなテリヤキチキンバーガーを手にしている。
「ま他人があれこれ言う話でもないけどな。だけどな、大沢を狙っているやつが大勢いるのはわかっているだろ?取られたくないのであれば、はっきり宣言しておくほうがいいと思うけどな」
それが心置きなくできるのならそうしたい。
そこになぜ抵抗を感じるのかは、自分でもよくわかっていない。
「夏休みはなにか予定あるのか?」
「大きな計画は特にないかな。旗章は?」
「主に部活」
青春だね。
「休み中もたびたび学校には来るだろうな。エアコンが効いてて快適だし、食堂も開いているし、図書館に行けばいろいろ読むもの観るものあるし」
実はうちの学校、夏休みの宿題というものがない。
生徒たちの自主性に任されていた。
「せっかくの休みなのだから、なにかやること探した方がいいんじゃないか?」
「学校で考えるよ」
「なにか部活に入ればどうだ?」
「それも考えたんだけどね。どれか一つに絞ることができなくて。広く浅く興味があるというか」
「よくある話だが、それだとなにも身に付かんぞ」
まあそうなんだけど。
「いまはあれこれ広く見ることにするよ。いずれなにかに興味が湧くかもしれないし」
進路と同様に、どうやらぼくはなにか一つに絞るのが苦手なようだ。
それに部活というのはあまり自分に向いていない気もしていた。
図書室で思索に耽っている方がいいかもしれない。




