065.存在と世界
「焼肉なんて久しぶりだな」
向かいの席で大男が金網の上で焼かれたロースとカルビとタンとレバーを、次々と口の中に放り込んでいる。
生肉が盛られた皿が次々と、瞬く間に空虚になる。
箸で肉を掴みながら、テーブル備え付けのタブレットで追加の肉を注文する。
配膳ロボットが電子音を鳴らしながら皿を運んでくる。
そのルーチンを何度も繰り返す。
食べ放題なのだが、店がかわいそうだ。
旗章とベイエリアのレストラン街で晩ごはんを食べている。
ほとんど無言でただひたすらたんぱく質を摂取する。
時折焼き野菜とわかめスープで植物系の食材も織り混ぜる。
あとはライスにキムチを乗せて炭水化物を補給。
「うまかった」
「もう無理」
胃袋に詰め込めるだけ詰め込んで、勘定を済ませて店を出る。
これで今後しばらくは粗食でも生きていけるだろう。
◇
岸壁沿いにあるテラス。
クルーズ船がすぐそばに停泊している。
右手には海の向こうに人工島が見える。左手には街の中心部の高層ビル街の灯り。
旗章と晩ごはんに焼肉を食べたあと、店の前のウッドデッキにあるテラス席でくつろいでいた。
ちょっと寒いけど。だいぶ寒いけど。
ダウンジャケットの下にもだいぶ着込んできたつもりだったのだか。
それでも週末だからか結構な人出だった。
ライトアップされた街並みの中を、学生と思しきグループが楽しそうに談笑しながら歩いていく。
カップルが夜景を見ながら、身を寄せ合ってなにやら話していた。
周囲は賑やかな声が響く。
海面に反射して人工の光がゆらめいている。
それをぼんやり眺めながら考えていた。
最初に水菜月からいろいろ話を聞いた時、それはあまりに荒唐無稽だと思った。
しかしいまはぼくもこの世界の不自然さに気づき始めている。
これまでそれらに気にも留めなかったこと自体が、奇妙に感じられる。
この世界は何なんだろう。ぼくたちは何なんだろう。
街を行く人たちは、以前のぼくと同じように、そんなことは全く思いもしていないだろう。
「旗章は…自分の存在について考えたことはあるか?」
「いきなり哲学的だな。カントかハイデガーでも読み始めたのか?」
「思想的なことではなく、もっと現実的な目線で」
「それはどういうことを言っている?」
「たとえば」
と言いながらいいたとえ話が思い浮かばない。
「宇宙ができたのは約138億年前だと言われている。地球ができたのは約46億年前」
いきなり話が飛ぶ。
「いまぼくらがいるこの世界が、その世界なのだろうか?」
旗章が缶コーヒーをちびちび飲みながらこっちを見ている。
「我々は実は異世界にいる可能性があるのではないか。ということか?」
「ぼくたちのいる世界はよく知られている現実の世界であると、どうやったら確認できるんだろ」
「観念論的な話だな。それは答えはないぞ。永遠に覚めない夢は現実と区別がつかないんじゃないか?」
「現実ではありえないようなことが起きていれば、つまり何らかの矛盾というか綻びがあればわかるのでは」
「それは現在の我々の理解に基づく矛盾だろ?我々がまだ知らない自然現象や物理学的な法則によるものと区別できるか?」
知りえないものについては考えることができない。
全く未知のものは想定のしようがない。
「天動説を信じている者にとっては惑星の逆行は奇妙な現象だろう。地動説を知る者にとっては何の不思議もないがな」
缶コーヒーを一気に飲み干す。
「この世界が仮想の世界だったとしても、それを知りえないのであれば、現実の世界と捉えたって違いはないのじゃないか?」
「違いというのは?」
「この世界が仮想か現実かの違いだよ。仮想であることがわからないのであれば現実と同じってことだ。覚めない夢ってことだな」
クルーズ船に乗客が乗り込んでいくのが見える。
彼らが認識している現実は、楽しくて華やかで幸せなものだろう。
いつか有希葉にナイトクルーズを催促されていたのを思い出す。
「死ぬまで天動説を信じていた者にとっては、この世界は平らで宇宙の中心にあるんだよ」
「現実とは違っても?」
「地動説を知る我々にとっても同じことは起きる。宇宙の外側がどうなっているか知っているか?」
「わからない」
「であれば宇宙の外側の現実がどうであれ、我々がそれをどのように想像したとしても我々にとってはそれが真実になる。知りようがないのであれば」
「もし知ることができたとすれば?」
「そうすれば話は変わるな。知りえなかったことが知れるようになったとすれば、世界観は変わる」
「旗章にとってはこの世界は現実なんだな」
「そういうことだ。それはななおにとっても同じではないか?この世界が仮想のものだったとして、なにかやることが変わるのか?」
行動に変化が生じないのであれば、そんな差異はないのと同じということか。
「この実感が、俺たちの現実ということじゃないか?」
夜風が身に染みる。
「…冷えてきたな」
「そうだな。風邪ひく前に帰るか」
この世界が何であれ、ぼくたちが何であれ、それがぼくたちの現実なのだ、ということなんだろうけど。
それでもなにか理不尽なものを感じてはいる。
実感するその現実が、納得しがたいものだとすればどうなるか。
「抗えない運命とそうでないものはあるけどな」
旗章はぼくの表情になにかを読み取ったかのように、言葉を付け加えた。
遠くに見える摩天楼の灯りは、いつものようになにも変わらず漆黒の闇に浮かび上がって見えた。
いつもと変わらない実感する風景。現実の風景。
「ぼくたちはどこから来たんだろう」
「そして何者で、どこに行くんだろうな。俺たちは」
イルミネーションが華やかな街並みを照らして、果ての見えない夜の闇に浮かび上がらせる。
ぼくたちはその中を白い息を吐きながら、駅まで歩いて行った。
(それが何であれ、ぼくたちの現実)
手に触れるもの。目に見えるもの。耳に聞こえるもの。
ジョージ・バークリーが言うように存在するとは知覚されることであり、それが我々にとっての真実なのだろうか。
実感するものが現実であり真実だとすれば、その背後にあるものは気にすることではないのだろうか。
◇
駅の改札を抜けたところで旗章と別れる。
乗る列車が別だった。
車窓の暗闇の中を、光の束が後方へと流れていく。
抗えない運命とそうでないもの。
旗章が言い残した言葉が脳裏に引っかかっていた。
水菜月は抗っているのだろうか。
だとすれば、なぜ抗うのだろう。なにに抗っているのだろう。
彼女はなにを望んでいるのだろう。
ぼくは彼女の、何なんだろう。
彼女はぼくの、何なんだろう。
いつか答えが見つかるのかもどうかわからない問いが、脳裏に浮かんでは消えていった。
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