064.家族の存在
失われた友人がいるというは、衝撃的な話だった。
時間が経つにつれ、ことの大きさがじわじわ感じられてくる。
(人が突然いなくなって、しかもその周囲の人々の記憶からも消えてしまうなんて…)
しかし水菜月だけがそれを覚えている。
つまりこのことにより、人が消えて忘れ去られるという現象とそれに関する水菜月の特殊性の二つの不可解な事象が見られたことになる。
そしてこのあと、水菜月からさらに頭を悩ます話を聞くことになる。
◇
いつもの高台のカフェで水菜月と話している。
普通に話しているつもりが、時々何とも言えない不安感に襲われる。
グラスの氷を回しながら、彼女が唐突にこんなことを聞いてくる。
「北山くんには家族がいる?」
「家族?」
家族。知識としては知っている。血縁関係があるもの同士の集団。
父親と母親がいて、その子供がいて、両親を同じくする兄弟と姉妹。さらには祖父母や孫。
しかし自分にはそれに該当する人物は、いない。
ぼくだけじゃない。誰からもそんな話を聞いたことがない。
考えたこともなかった。
「いないでしょ?」
「…」
「現実世界では、両親がいてその元に子供が生まれるわけだけど、私たちは生成された存在だから両親というのは不要なの」
「でも街で家族連れらしき人々を見かけることはあるけど…」
「そのように設定することは可能だけど、必要なものではないわ」
自宅には自分一人だ。同級生たちも同様だ。
映画やドラマの中などで、家族というものが存在しているのは何度も見ている。
しかしそれを自分の状況と比較して疑問に感じることはなかった。
だとすれば、ぼくはどうやって産まれてここまで育ってきたのか?
生活費や学費は…銀行口座にあるお金はどこから来たのだろう?
「…あの」
「あなたはお母さんから赤ちゃんとして産まれて育ったわけではないの。その姿でその記憶で生成されたのよ」
産まれたではなく、生成された…。
「子供の頃の記憶というのはあるのだけど」
「それも用意された物で、あなたが実際に体験した物ではないんじゃないかしら」
にわかには信じ難い話。
だけど実態と実感に照らし合わせても、矛盾しない。反証できることがない。
子供の頃の記憶というのは確かにあるのだが、なんというか実感が乏しいことは以前から気にはなっていた。
それにあるはずの両親についての記憶というものがない。
ぼくは父親も母親も知らない。同級生からもそんな話を聞いたことがなかった。
「水菜月もそうなの?」
無言で頷いている。
「気がつけばこの姿でこの世界に存在していた。そんな感じでしょ?」
確かにそうだった。
しかしそれについて深く考えることはなかった。
特に問題になることもなかったし、誰もそんなことを話題にしなかった。
「それともう一つ」
水菜月はじっとぼくを見ている。
「この街から出たことある?」
「列車で海水浴場に行ったり、最近でもバスで山の方に行ったことはあるけど…」
「そうじゃなくて、もっと遠くの別の街や別の国。特急列車や飛行機で行くようなところ」
そんな経験はなかった。
せいぜいこの街とその郊外ぐらいまでだ。
「ないでしょ?」
少し間をおいて水菜月が続ける。
「この世界は箱庭なの。この街とその周辺が全て。その外はないわ」
他の地域のことはテレビやネットや本とか、いろいろなものから情報は入ってくるけど、自分で体験したことはない。
ぼくだけじゃない。みんなそうだ。
そしてそれを疑問に感じたこともなかった。
「…気にしたこともなかった」
「そういう世界なの。この世界は」
とても信じられないような話ではあるが、実感とは一致する。
だいぶ前に玲奈が土佐日記の調査をするために旅行すると言っていたが、なぜか取りやめていた。
有希葉と五十鈴がロケットの打ち上げを見に行くと言っていたのも、延期になって結局そのまま行かなかったようだ。
ぼく自身も特急列車で遠出したいと思いつつも、具体的に実行しようとはしていない。
不思議なのは、言われるまで気にもしていなかったということ。
それと、なぜ水菜月はそのことに気づいていたのだろう。
「なぜいままで気にならなかったんだろう」
「必要ないからじゃないかしら。無意識のうちにそっちの方向に思考が行かないようになっているのかも」
「水菜月はなぜそのことを?」
「なぜだかはわからないけど、わたしは最初から知っていたの。他の人は気づいていないけど」
「最初から?」
「たぶんわたしの役割に必要だからってことなんだと思う。この世界の限界についての理解が」
彼女だけが他の人とは異なる立場にあるということ。
「水菜月がその…水菜月自身が他の人とは違うものがあることに気づいたのは、いつ頃?」
「それも最初から。というか当然のことのようにわかってたよ。わたしが他の人とは違うってこと」
「どんな感覚?」
「アザラシの群れの中にいるペンギンみたいな感じかな」
「そんなに明確な違い?ぼくには同じに見えていたけど。きっと他の人たちはいまでも」
「見た目はそうかもしれないけど…普段はね」
—— 普段はね
それは普段と違うことがあるのを暗示している。
水菜月とぼくも含めたそれ以外の人たちとでは、世界認識に明確な違いがある。
彼女はぼくとは違う存在なのだろうか。
手を伸ばせばすぐそこにいるのだけれど。
この世界はこれまで思っていたのとは、ずいぶん違う姿を見せ始めている。
信じがたい話ではあるけれど、信じがたい事実が確かに起こっている。
そうだとしても、ぼくたちは与えられたこの世界で生きていくしかないのだが。
◇
帰り際。
水菜月と二人で坂道を下っていく。
「いろいろ混乱しているんじゃない?」
「そうだね。信じられないことが多過ぎて」
少し間をおいて水菜月が言葉を続ける。
「…北山くんを巻き込んでしまっているのは、わたしもどうしていいのか悩むところもあって」
「どうして?必要なんじゃないの?」
「だけど、本当はわたしが一人で解決しないと…」
「それはだめ」
「えっ?」
思わず声が大きくなり強い口調になってしまった。
だけどこれは言わなきゃいけないことだった。
「一人で悩まないでほしい。ぼくにできることがなにもなかったとしても、それでも一人にはならないで」
水菜月が唖然とした表情でぼくを見ている。大きな瞳に驚きの色が浮かぶ。
本心がためらいもなく声になって出てくる。
「ぼくは水菜月を一人にはしたくない」
彼女の口元がなにかを話そうとしていたが、言葉にはならなかった。
「それがきっとぼくの役割だと思うので」
ぼくの手に水菜月の指が触れる。
彼女は俯いたままじっと黙っていた。
真冬の夕暮れに吹く冷たい風が、ぼくたちを包み込む。
だけどそれを打ち消すような熱いものを、胸元に感じていた。
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