062.有希葉の絵
創作活動は気の向くままただ漫然とやるよりも、何らかの目標や期日があった方が動機づけはしやすいだろうか。
しかしプレッシャーは少ない方が、アイデアは出やすいかもしれない。
放課後。
この辺りは冬の間は好天が続くことが多い。
時々積もるほどの雪が降ることもあるが、この数日はきれいな青空が広がっている。
一階のホールから中庭へ出て、美術室にある有希葉のアトリエに向かう。
天気はいいが冷たい風が身にしみる。
ちょっと前に一緒に食事した時に、話したいことがあるから来て欲しいと言われていた。
新しい絵のテーマについて困っているとか。
レトロなキャスト・アイアン建築風の大きな建屋を見るたびに、美術室という平凡すぎる名前が適当なのだろうかという気がしてくる。
かと言って変に気取った名前にするのもなんかちょっととも思うのだが、少なくとも「室」ではないのではないかという気がする。
蜘蛛をイメージした某超人のコスチュームを着た生徒たちが、壁に張り付いて写真撮影をしているのを横目に見ながら正面玄関の扉を通り抜けていく。
胸に大きくS字のマークの入った青色全身タイツのような衣装に、真っ赤なマントを身につけた別の超人とも廊下ですれ違う。
雪だるまが海兵隊の格好をしたような着ぐるみが、のそのそと歩いているのはなんだろう。
◇
「これに応募するの」
アトリエのフロアに入ると、絵画用のエプロンをした有希葉が待ち構えていた。
スマホの画面をこちらに向けている。
某新聞社が主催して複数の企業が協賛する絵画コンクール。
高校生向けとかではなく、一般の本格的なもののようだ。
「賞を取ったらなにかご馳走してあげるね」
入賞すると賞金が出るらしい。
そこまで本格的にやるのなら、美術部に入ってもいいじゃないのという気もするのだが。
そしたら部の予算とか使えるのに。
でもきっと個人で好き勝手にしたいのだろうな。
「話したいって言ってたのはこのこと?」
「うん。いろいろ意見とか聞きたくて」
募集要項を見てみる。
テーマ:未知との遭遇(地球外生物に限らない)
「…ゆき、どんな絵を描くんだ?」
「このテーマだったらなんでもありよね」
「むしろ常識的じゃない方がいいのか。ここのコンクールっていつもこんなノリなの?」
「前回は『予期せぬ出来事』だったかな。その前は『何とかの物体X』みたいなの」
主催者の趣味だろうか。
スツールに腰掛けて廃材を利用した円い木製テーブルの上でパソコンを開いて、過去の入賞作品を見てみる。
シュールな作品が並ぶ。
こういうのって単に奇抜なわけではなく、製作者の意図があってそれを表現しているのだろうけど、審査する側はどうやって評価するのか気になる。
製作者の意図をどれだけ汲み取れるのか、それとも結局は審査する側のウケがいいものが高評価を得ることになるのかもしれない。
だけど、これまでの有希葉の作品の傾向や好みから考えると、ちょっと方向性が違うような。
新境地を開拓するのだろうか。
壁には相変わらずJ.M.W.ターナーの複製画。
「具体的なアイデアはあるの?」
隣に座る有希葉はエプロンをしたまま、両手で頬杖をついて画面を見ている。
「まだ悩んでる。知らないなにかと初めて出会った、ってことだよね?」
「言葉の印象からして、怪しげなものと出くわした、という感じだろうな」
「なにと遭遇するんだろ。『地球外生物に限らない』ってことは地球外生物もありかな?」
「宇宙人との遭遇だとありきたり過ぎない?初めて見る生き物とか、想像上の生き物でもいいだろうし。それか、生き物じゃなくてもいいかも。初めてみる自然現象とか風景でも。なにかに気付いたってことでも」
「なにかと遭遇して、遭遇した人はどう感じるんだろ。びっくり?うれしい?こわい?」
「それはゆきはどんな印象の絵にしたいかで決めたらいいんじゃないかな。ポジティブかネガティブか」
「ポジティブ」
「だったら、初めてだけどなにかいいものと出会ってうれしい、というのになるんじゃない?」
「そうする」
有希葉はなにか閃いたようだ。スケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
こうなると彼女はそれに没頭してしまう。
今日のぼくのお仕事は終了したようだ。
◇
暇になったので建屋内を徘徊する。
壁に無造作に掛けられた絵画や、展示されているのか放置されているのかよくわからないオブジェのようなものがそこらじゅうに溢れていて、生徒たちも好き勝手に作業をしている。
相変わらずカオスな空間だったが、自由と創造性を感じる空間ではあった。
自由という言葉にどんな印象を持つだろうか。
大抵の場合は束縛や制約から解放されるという好ましいものだろう。
しかしなにも書かれていない真っ白なキャンバス、空白の原稿用紙。
好きなようになにを描いてもいい、となった時。
多くの人にとって、自由の苦悩を感じることになる。
自由とは責任が伴うものだ。
なにやっても許されると言う意味じゃない。
選択する権利は自分にある。その場合、その結果には自分で責任を負わなければならない。
いい結果になれば自分の成果だが、悪い結果の後始末は自分でつけることになる。
自由を活かすには、強い意志がいる。価値あるものにするには、力が必要になる。
そうでないものにとっては、自由とは清々しい青空の下の泥沼か砂漠かもしれない。
かつての写実的な中世の肖像画などは、いまの写真の代わりだった。
カメラが発明された時、そのような絵を描くことを生業としていた画家たちは、自分たちは今後どうするべきかを考えざるを得なかっただろう。
記録として写実的な画像を残すだけであれば、機械でやれる。
しかも人がやる以上に高精度で、かつ安価で。
であればこれからは、単にありのままの画像を残すというのとは違うことをやることになる。
その一つが抽象画なのだが、見た目通りに写実的につまり視覚を複製するのではなく、物あるいは物事を人がどのように捉えるかの解釈を絵画で表現する。
物あるいは物事の本質というのは客観的に存在するのか、それとも人の主観的な認識によるものなのか。
前者であったとしても、人の認識を通して描かれるのだろうけど。
創作するにしてもなにをするにしても、最初の構想がその後の結果を大きく左右する。
自分たちはなにを目指すべきか。なにを成すべきか。
それをどれだけ的確に明確に知ることができるか。
間違った道をどれだけ頑張って走っても、間違ったゴールにしか辿りつかない。
なにをしてもなにを選択しても自由、というのはそれはとても困難な課題だと思う。
◇
再び有希葉のアトリエに戻る。
黒褐色のフローリングに置かれた円いテーブルに、有希葉がかじりついているのが見える。
スケッチブックに脇目も振らずなにかを描いているようだ。
ふわふわした赤茶色の髪が頬の横で揺れる。目が真剣。
しばらく様子を見ていたが、こちらに気づく気配もなし。
これは話しかけない方がよさそう。
スマホで先に帰る旨のメッセージを送って退散する。
夜。有希葉からメッセージが届く。
あの後、いろいろドラフトしていたみたいだけど、考えはまとまっただろうか。
『やっぱり日の光がぱあぁぁーって感じのにすることにした』
一周回って元の場所に戻ったようだ。
本人が納得しているのならそれでいいのだけれど。
しかしなにと遭遇するのだろう。
(未知との遭遇…)
絵画コンクールのテーマとは思えない言葉を脳内で反芻してみる。
ここしばらくはぼくが未知と遭遇している気がする。
謎現象に謎少女。
さらにこの世界とぼくたちも、実は未知のものだったのかもしれない。
このことはポジティブでうれしいことなのだろうか。
水菜月との遭遇はそうであって欲しいと思う。
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