061.有希葉と中央駅の上で
中央駅の吹き抜けになったコンコース。
大時計のそばで有希葉と待ち合わせ。
今日は駅ビルの上のレストラン街で晩ごはんの約束をしていた。
帰宅ラッシュの時間帯。駅の構内は人が溢れている。
会社員風の人たちが、カバンやスマホを手にして足早に改札を抜けていく。
併設されたデパートのガラス張りのウインドウの前には、誰かを待つ人々が並ぶ。
有希葉はまだ来ていない。
待ち合わせというのは、いつでも不思議などきどき感があった。
よく知る場所でいつもの人と会って、なにか特別なことをするわけでもないのに。
そうだとしても、それでもそれは二度とない時間だからなのかもしれない。
人混みの中に有希葉の姿を見つける。
彼女も気づいたようだ。手を振って小走りで近づいてくる。
「ごめん。待った?」
「いまさっき来たところだよ」
テンプレのような会話を交わす。
いつもと変わらず有希葉はうれしそうな笑顔。
エスカレーターに乗って二階フロアから駅ビルの中に入っていく。
「今日はこの上のお店に行くんだっけ?」
「来たことある?」
「だいぶ前に友達と食事したことあるよ。でもランチだったから」
広いホールの両側に小洒落たお店が並ぶ。
仕事帰りの社会人や学校帰りの学生たちがあれこれ見ている。
さらに別のエスカレーターを乗り継いでレストラン街のフロアまで。
ここも途中の階まで吹き抜けになっていて、賑やかなビル内を見渡せた。
以前来たことのあるカレーハウス。
店に入ると香辛料の匂いが鼻腔を軽く刺激する。
窓際のカウンター席に案内されて二人並んで座る。
幸いあまり混んでいなかった。
「夜景がきれい」
立ち並ぶきらきらの高層ビル群と、その間を抜けて走る列車が駅を出入りするのが見える。
彼方まで続く線路に乗って、光の列がどこまでも走っていく。
「列車でどこかに行きたいね」
「どこか行きたいところある?」
「遠く」
「どこだよそれ」
「ずっと遠くの、行ったことのないところまで行きたい」
なにか知らないものを見たい、新しいことを始めたい。そんな顔して語っている。
どこかに行きたいというか、日常を離れたいってことなんだろうけど。
「気分転換?リフレッシュしたいってこと?」
「それもあるけど、どこか遠くの知らない場所にいると普段の自分と自分の世界を客観視できるかも。変化がないと刺激がないじゃない?」
毎日は同じことの繰り返しのように見えて、実際はそんなことはない。
日々新しいことが起きている。
だけど、同じ家、同じ通学路、同じ学校、同じクラス、同じ友人知人、することも従来の延長や既定路線であれば、変化がないように感じてしまう。
「小さな変化ならそんなに難しくもなく作れるけど、時々は大きな刺激が欲しいってこと?」
「そうだけど、小さな変化ってどんなの?」
「いまだってさ、このお店は有希葉は初めてだろ?」
こういう些細な新しさも、大事な楽しみや喜びになるものだと思う。
メニューはほぼカレーのみ。
各種トッピングと、それ以外はサイドメニューがあるくらい。
ぼくはビーフで有希葉はシーフード。
それにサラダを一皿たのんでシェアすることにした。
食事をしながら話すのは、学校のこと、勉強のこと、友人のこと、有希葉が描いている絵のこと、おいしいお店のこと、新しいお店のこと、読んだ本のこと、見た映画のこと、聴いた音楽のこと、ファッションのこと、天気のこと、世間で起きている事件のこと。
会話が途切れない。
時間は瞬く間に過ぎていく。
有希葉と過ごすのは、とても心地よかった。
表情豊かで人懐っこい笑顔は、ただそばで見ているだけで心が和らいだ。
穏やかなくつろげる時間。彼女といると不安や戸惑いが消えていくようだった。
「今度またアトリエに来て。話したいことがあるから」
レタスの刺さったフォークを手に有希葉が話す。
「なにか新しい作品?」
「うん。でもテーマがちょっと難しくて。一人で考えてもいいのが思いつかないの」
絵心のないぼくが役に立つ気がしないのだけど。
というか、有希葉の描く絵は基本的にぼくにとって謎なものが多い。
「擬音系のテーマは助言がしにくいかもしれない」
「なにそれ」
いつも通りの快活な雰囲気の有希葉。
だけどそれと正反対の瞬間を見たことがあった。
少し前に有希葉がぼくの家に来た時のことを不意に思い出す。
薄暗くなった部屋で見上げた彼女の顔は、普段とは別人のような表情。
あの時の有希葉は、なにを思ってなにをしようとしていたのだろう。
それとも、ぼくが彼女になにかをするのを期待していたのだろうか。
踏み込めないぼくは、なにもすることができないでいたのだけど。
(あれは…なにもなかったように振る舞うのがいいのか…)
有希葉に真意を聞いてみたいと思いつつ、とても聞けない。
どんな反応が返ってくるのか、想像がつかない。
聞かれたくないかもしれない。というか聞かれたくないだろう。
言葉で説明するような話だとは思えない。
彼女の方からあの時のことを話されることはないだろう。
あったとしたら、どう答えたらいいのかわからない。
今後もしまた似たようなことがあったら。
冷静にまたは冗談っぽくかわすのがいいのだろうか。
彼女を拒絶したようにはならないように。
なんて考え過ぎかもしれないけど。
「…どうしたの?」
有希葉が怪訝そうな表情でぼくを見ている。
右手にはカレーライスとエビの乗ったスプーン。
「え?あ、いやなんでもないよ」
「ふ〜ん。時々意識がとばない?」
「そうだね。疲れてるのかな」
ぎこちない誤魔化しなんて、すぐに見透かされるのだが。
◇
「また明日ね」
「おやすみ」
自宅の最寄り駅で先に列車を降りる。
吹きさらしのホームに立つと、吐く息が白い煙のようになる。
出発のアナウンス。ドアが閉まり列車が走り出す。
有希葉がガラスの向こうで笑顔で手を振っている。
その姿が見えなくなるまで、見送っていた。
水菜月のことを聞かれるかと思っていたが、有希葉は一言もそれには触れなかった。
今日も学校の書店で水菜月と一緒のところは見られていたと思う。
校内で水菜月と話していると、有希葉の怖い視線が突き刺さることはたびたびあった。
だけどそれがいつ頃からか、視線に悲しみが混ざるようになっていたことに、ぼくは気づいていなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ブックマーク・いいね・評価ポイントいただけるとうれしいです。




