060.書店で水菜月
最近は水菜月と玲奈の二人で出かけることもあるようだ。
水菜月に新しい友人ができたのはいいのだが、玲奈が余計なことしていないかはちょっと心配。
校内には書店が併設されたコンビニがあった。むかしは購買部と呼んでいたらしい。
授業や課外活動、そのほか生活に必要なものはだいたい何でもここで買えた。
このコンビニと食堂があれば学校に住めそうなぐらい。
店舗にないものはオンラインで注文できた。
有希葉がマニアックな画材を取り寄せたり、玲奈が怪しげなお茶っ葉を品定めしているのを見たことがある。
放課後、談話室に向かう途中で校内コンビニに立ち寄る。飲み物とおやつを購入。
セルフレジで電子決済。むかしは小銭を数えて支払いしていたのだろうか。
書店に立ち寄って、当てもなく書棚に並ぶ本の背表紙に視線を走らせる。
こうすることで普段あまり意識していないものに、興味を向けるきっかけになる場合がある。
目に留まった文庫本を手に取ってみる。ある哲学者の著書だった。
真実や真理というものをどう定義するか。古典的な哲学でありがちな話題。
まず思いつくのは、神様が決めたような絶対的な真実や真理というものがあって、それに人がどこまで近づけるか、という発想。
直感的には妥当なような気がする。真実は一つって考え方。
まったく違うアプローチもある。絶対的な真実や真理などというものはなく、その人にとって都合のいい解釈が真実であり真理である、という発想。
一見とても自己中心的で、現実にはかなり無理があるような気がする。
だけどそうでもなかったりする。
理想の自動車とはどんなものか?
と考えた場合、むかしむかしはとにかく速く走れる高出力のエンジンを搭載した自動車が望まれた。
しかし実用的に十分な基本性能が達成されると、使い勝手や乗り心地などのより高機能な性能が重視されてくる。
さらに環境汚染が社会問題になってくると、有害物質の排出が少ないものが良いとされるようになる。
理想の自動車というのは、その時代や社会の要請によって変わってくる。
絶対的な真実や真理などはなく、その時々の人々にとって望ましいものが真実であり真理になる。
なんてことをページをぱらぱらしながら考えていると、斜め後ろに人の気配を感じる。
「哲学書なんて読むんだ」
聞き覚えのある声に振り向くとすぐそばに水菜月の顔。
息がかかりそうな距離。
笑みを浮かべながら本をのぞき込んでいる。
慌てて半歩引き下がる。
「そんなにびっくりしなくていいじゃない」
「近くない?」
「なに恥ずかしがってるのよ」
いたずらっぽい笑顔でこっちを見てくる。
「人いっぱいいるし」
「いやなの?」
「そんなことないです」
なぜ今日はそんなに積極的なのか。
「ずいぶん真剣な顔で読んでたね。興味あるの?」
「まあぼちぼち」
「じゃあたとえば哲学ってなに?って聞かれたらなんて答える?」
「誰も聞かないよ。そんなこと」
「わたしが聞いているの」
「むずかしいこと聞くね」
哲学とはなにか?という問い自体が哲学的だと思う。
格言のようなものを思い浮かべることが多いかもしれないが、百人いれば百通りの解釈があるような話。
哲学とは思考を明確にすることであり学説ではなく活動である、というようなウィトゲンシュタイン的な定義を好んでいた。
「考えるということの学問かな。それか考えるという作業自体がそれかも」
「どんな学問だって考えるじゃない」
「人はなにを考えることができて、なにを考えることができないのか。考えることができるとしたら、それをどのように表現できるのか、みたいな話」
…へえ、みたいな顔している。
「そうすると、そんなの何の役に立つのか、という話になったりするんだけど」
「何の役に立つの?」
「頭の体操かな」
「高尚な体操ね」
「大きな書店に行くと哲学書の棚はあるし、多くの大学で哲学の専攻はあるから、何らかの価値は認められてはいるんだよ。本当に無意味だったら消えていくだろうし」
哲学という学問がどう役に立つのかの説明は難しい。
工学や医学と違って具体性のある成果や効果を示しにくい。
しかし高い知能で生存競争を勝ち抜いてきたホモ・サピエンスという種が、考えるということについて考えることには意味がある気がする。
獅子が牙を研ぐようなものではないか。
「水菜月だっていろいろ考えることあるだろ?自分こと、知り合いのこと…この世界のことか。それらをどうしようかと考えること。その営みのことだよ」
「哲学者って呼ばれる人たちは、もっと難しいこと考えている気がするけど」
「それだって哲学者って呼ばれる人たちが、自分の興味のあることについて自分なりの考えを述べているだけだよ。考える対象が違うだけで、やっていることは大差ないよ」
向こうの通路に有希葉がいるのが水菜月の肩越しに見えた。
ぼくに気づいたように見えたが、しばらくこちらの方を見ていたかと思うと、どこかへ行ってしまった。
今日の夜は一緒に晩ごはんを食べる約束をしていたのだが。
「北山くんはこの後予定あるの?」
「談話室で本でも読もうかと」
「一緒に行っていい?」
「いいよ。玲奈がいればお茶たててくれるんだけど」
本校舎と談話室のある図書館をつなぐ渡り廊下。
ガラス張りの向こうに街と海を見下ろせる。
「なんか楽しそうだね」
「そう?」
並んで歩く水菜月はいつもより上機嫌だった。
◇
「二人一緒だったんだ。仲良しだね」
「書店で偶然会っただけだよ」
やっぱり玲奈が畳の間にいた。ここに住んでいるのだろうか。
手際よく抹茶を点ててくれる。色とりどりな和菓子付き。
「正直に言いなさいよ。北山くんはみなちゃんのことどう思ってるの?」
「ただの友達だから」
「ほんとかなあ。そんな雰囲気じゃない気がするんだけど」
まあいろいろあると言えばあるのだけど。そんなこと言えないし。
水菜月は赤い顔して俯いている。
しばらく何気ないおしゃべりを楽しんだ後、玲奈と水菜月は帰って行った。
ぼくはそのまま一人で談話室に残って静かに読書をしていた。
窓の外では次第に日の光が西に傾いていく。
(考える、ということの学問か)
書店での水菜月との会話を思い出していた。
人がなにかを考えるという行為、というかその現象自体が自然の中で不思議な存在のような気がしてきた。
無生物の環境では生じない現象。知性のある生命体だけが行える行為。
なぜそのようなことが可能になるのか。どうやって可能になったのか。
(ぼくはなぜこの世界に、この時代にこの姿で出現したんだろうな)
答えようのない問いが頭に浮かぶ。
椅子に背中を預けて窓越しに空を見る。
あるとすれば、ただの偶然で理由などない、ということぐらい。
自分がここにいることが実感できているのであれば、その意味は自分で作ればいいってこと。
夕方。日が暮れてすっかり暗くなった。
広い談話室にいる生徒はほとんどいなくなっている。
本を鞄にしまって学校を後にした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ブックマーク・いいね・評価ポイントいただけるとうれしいです。




