054.玲奈の茶室
朝からちらついていた雪がそのまま降り続き、昼頃にはしっかり積もって街は真っ白な雪景色になっていた。
午後の授業が終わるころには雪はやみ、雲の切れ間から日の光がわずかばかりさしてくる。
この学校の中庭には結構立派な茶室があって、茶道部の本来の活動の場になっている。
時折り部外の生徒も参加可能なお茶会が開かれていたが、実態は殆どおしゃべり女子会だった。
運動部を重視してスポーツ施設にお金をかける学校は多いが、ここは珍しく文化的な施設が充実していた。
だからと言って生徒たちが文化的な学習に熱心かというと、平均的な学校よりはそうかもしれないが、それらの施設で遊んでいると言った方が正しいかもしれない。
遊びの中から学ぶのであるという主張を、誰もが正当なものとして確信していた。
今日は玲奈に茶道部主催のお茶会に誘われていた。
参加するのはいつも女子ばかりらしく、男子参加者を集めたいらしいのだが、茶道というのはどうも男子に敬遠されぎみで困っているとのことだった。
女の子がたくさんいるのなら男も寄ってきそうなものだが、この学校の男子生徒は奥手なのが多いのだろうか。
それとも迂闊に男が足を踏み込むと、なにかよからぬことでも起こるのか。
密室に閉じ込められ、女子たちに取り囲まれて…そんな楽しいことはたぶんない。
知人を一人つれていくと伝えていた。水菜月なのだけれど。
友達が少なそうなので、知り合いが増えるきっかけにでもなればいいと思ったのだが。
以前、玲奈が紹介してとも言っていたし。
放課後、校舎一階の中庭に通じるホールで待ち合わせ。
帰宅する生徒と部活に向かう生徒が行き交っている。
襟元に白いマフラーを巻いて手袋をはめた水菜月が、階段を降りてくるのが見える。
軽く手を振って迎えると、二人並んでガラスの扉から冬空の下に出ていった。
「今日は寒いね。雪がいっぱい」
「早く行こう」
息が白い。
巨大なガラスのオブジェのような校舎が取り囲む中庭に、木々の間に隠されるように茶室はあった。
枯山水のような白い砂利に平らな石が足場として並べられた小径を進んでいくと、純和風な平屋の建物が見えてくる。
木製の引き戸を開けると、広々とした玄関。暖房が効いてて気持ちいい。
和服を着た女子生徒たちがお茶会の準備をしている。
「ちょっと北山くん、どういうこと?いつの間にこんな美人さんと知り合って仲良くなったのよ。大沢さんだけじゃ満足できなかったの?欲張りね」
和服姿の玲奈にいきなりからまれる。
いつの間にって、あんた見たことあるだろ。紹介してって言ってたし。
「ただの知り合いで、それ以上じゃないから」
「…桂川水菜月です」
「上岩瀬玲奈です。よろしくね。北山くんとはお友達なの?」
「あっ…はい」
水菜月はやっぱりちょっと人見知りなようだ。
同い年だし、敬語じゃなくていいんだけど。
上着と鞄を預けて大きな和室に通される。
白い漆喰の壁には広く開いた丸窓があり、それ越しに日本庭園風の庭が見える。
木々の枝や葉の上に積もった白い雪にわずかに日が差して、映える景色になっていた。
どこかのお寺みたい。ここは本当に高校だろうか。
とある禅寺にある丸窓は「悟りの窓」と呼ばれている。
きっと茶道部の子たちもあの窓を通して無我の境地に達したりは…しないだろうな。
室内に目を戻すと、水菜月が和服姿の茶道部員数人にやや遠巻きに囲まれているのが見える。
なにやら品定めでもするかのような雰囲気。
水菜月はちょっと引きつり気味の愛想笑顔。
(...なにやってるんだろ)
なんとなく近づきがたいので、少し離れた所から様子を伺う。
「桂川さんって言ったかしら?今日は当部のお茶会にようこそ。歓迎するわ」
特に貫禄ありげな縁なし眼鏡の女子生徒が水菜月に声をかける。部長だろうか。
「…ありがとうございます」
水菜月はますます引きつり顔。
「そこでちょっといきなりで申し訳ないのだけど、少しだけわたしたちのお願いを聞いていただきたいの。いいかしら?」
「え?ええ」
断れずに頷く水菜月。
縁なし眼鏡が右手と視線で合図すると、数人の茶道部員が一斉に動き始めて水菜月を取り押さえる。
「え?あの?ちょっちょっと」
そのまま隣の部屋に連行されていった。
唖然としたままぼくは彼女たちを見送る。
「あれはなにが起こる?」
こちらの部屋に残っていた玲奈に聞いてみる。
「部長の困った趣味なんだけど、心配するほどのことではないわ。あとで北山くんも見れるから」
なにを?
襖が閉じられた隣の部屋から、なにやら楽しそうな声が聞こえる。
「どれにしようかな。これなんてどう?」
「この子の雰囲気だとこの柄がいいんじゃない?」
「わたし的にはあっちの方が…」
がさごそがさごそ。
「そのままじっとしててね」
「あ、ちょっと、なにするんですかっ!」
衣擦れのような音と水菜月の悲鳴に近い声がしてきた。
しばらくして、
「いい!最高だわっ!わたしってやっぱり見る目あるわ!!」
「桂川さんこっち向いて。手はこんな感じで。そうそう」
カメラのシャッターのような音が立て続けにする。
「じゃあ次はこれで行きましょ」
「あ、それいいね」
「え?あの?」
またがさごそと衣擦れのような音がする。
「すてき〜☆美人はやっぱりなに着ても似合うね。スタイルもいいし」
「あ視線はもう少しこっちで。そうそう」
またカメラのシャッターのような音が立て続けにする。
そんなきゃっきゃきゃっきゃと騒ぐ声がしばらく続く。
「北山くん。先に一杯やっとく?」
玲奈が茶碗を器用に片手でくるくる回している。
「うん。ありがとう」
見事な茶筅さばきで抹茶が泡立つ。
若干見惚れ気味でその様子を眺めてた。
和服姿の玲奈はいつ見てもとても魅力的だった。
裏千家な抹茶をいただいて和菓子をつついていると、襖が開いて女子生徒たちが戻ってきた。
「いやあよかった。あの子はきみの彼女なの?うちの部に欲しいわ」
縁なし部長がなにか言っている。
数人の茶道部員に続いて、水菜月が最後に恥ずかしそうに現れる。
白地に赤や金色の花柄があしらわれた振り袖姿。
髪まで結われて振り袖の柄に合わせた大きな髪飾りが差してある。
やはり着せ替え人形になっていたか。
「…なによ」
ぼくの横に座って、伏目がちにこっちを見ながら茶碗を手にしている。
だけどとてもよく似合っていて、しばらく見ていたい。
連れてきてよかった。
玲奈がにやにやしながらぼくの方を見ているのが気になる。
和服姿の女の子たちが正座して華やかに並ぶ。
そんな中で普通の制服姿の男が一人、全く場違いな感じで浮いている。
お茶会が厳かに賑やかに始まった。
聞いていた通りのおしゃべり会だったのだが。
◇
「ごめん。まさかあんなことがあるなんて、聞いてなかった」
帰り際。とりあえず謝っておく。
「ちょっと、びっくりした」
と言いつつ顔は笑っている。
「でも、楽しかったよ。振り袖なんて着るの初めてだったし」
あのあと、茶道部に熱心に勧誘されているのを見たが、断ったようだ。
玲奈からは「次のお茶会にも必ず連れてきなさいよ」と念を押された。
「わたしを誘ったのは…似合いそうってだけだったの?」
「水菜月が学校で他の子と話す機会が少なそうだったから、知り合いが少しでも増えたらって思って。お節介だったかもしれないけど…」
「気にかけてくれてたんだ。ありがとう」
玲奈は水菜月のことを気に入っていたみたいだし、二人の気が合えばいいのだけど。
「わたしの振り袖姿はどうだった?」
「よく似合ってたよ。また見たいくらい」
「ふ〜んそうなんだ」
雲が切れて晴れ間が広がり、西の空に沈む太陽が街を夕焼けの色に染める。
中央駅へと向かう大通りの下り坂。彼女が大きな瞳でいたずらっぽく笑ってこっちを見ていた。
ビルの隙間から差し込む橙色の日の光が、揺れる長い髪と白い肌を照らしている。
(きみはとても、とてもきれいだ)
そんなことを声に出して言うだけの勇気は、まだぼくにはなかった。
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