053.木枯らしの中で
自分のことというのは、自分で思っている以上にわかっていない。
それが当然すぎて客観視できないというのもあるし、そもそも本当にわからない気づかないこともある。
それを人から指摘されるのは、大抵は戸惑いが伴う。
人に指摘するのも、ためらいがある。
年が明けた。がまだ冬休み中。学校は来週から。
今日は午後から水菜月と会う約束をしていた。
新年を迎えた街はクルマや人の往来が少なく、いつもよりずっと静かだった。
まだ多くの企業の仕事や学校の授業も始まっていない。
お休みのお店も多い。
駅近くの神社だけが、初詣をする地元の人たちで繁盛している。
正月らしい真新しさを感じる空気が流れる。
しかしいつもの高台のカフェは新年早々営業していた。
でも今日は橘香さんはお休みのようだった。
「お茶会?」
「茶道部の知り合いが友達も誘って来てほしいって」
「でもそれって殆どおしゃべり会だったりしない?」
「それはそうかも」
やや躊躇しているようだ。
「うまくやれるかな…あまりその、楽しいおしゃべりとかうまく話せないし」
「知らない人ばかりだからってこと?たぶん大丈夫じゃないかな。ぼくの知り合いの子はとても話しやすいし、茶道部の人って知っている範囲だけどみんな気さくな感じだし」
「…うん」
あまり気が進まないか。
水菜月はそれほど人付き合いが得意な方じゃない。
無理に誘うのはやめておこう。
「まあでもいろいろ都合もあるだろうから、またの機会にでも」
「北山くんが一緒にいてくれるのならいいよ」
よかった。
「じゃあ、一緒に行こうか」
玲奈はしばらく前に水菜月を紹介してほしいみたいなこと言ってたし、仲良くなってくれるといいんだけど。
「茶道なんて興味あったの?」
「そう言うわけでもないんだけど、以前からの知り合いが茶道部にいて時々お茶を点ててもらったりしてた」
「どうしてわたしを?」
「なんとなく似合いそうだったから」
「そうかな」
「勝手なイメージだけど。あでもいい意味で言ってるつもり」
水菜月が友達を作るきっかけにでもなれば、なんて思ったのだが余計なおせっかいだろうか。
茶道が似合いそうなイメージ、という理由はなんとなく偏見が入ってしまいそうで良くなかったかも知れない。
いつもの如く水菜月がストローでグラスの氷を回している。
なにかを考えている合図だ。
「少し、確かめたいことがあって」
ほら来た。
「やっぱり北山くんも普通じゃないと思うの」
しばらく前にもそんな話があったような。
たしか干渉の痕跡を辿る中で、ぼくの存在が見え隠れすると言っていた。
なにかに気づいたのだろうか。
「とても普通で平凡なつもりでいるのだが」
「たぶん違うと思う。無意識のうちになにかやっているはず」
それって怖いんだけど。
知らないうちになにをやらかしているのか。
「なぜそれがわかる?」
「臭いがするの」
「風呂には毎日入っているし、洗濯もしている」
「比喩的な意味で」
柔軟剤の香りが気になることはあった。
でもそういう話ではない。
「確かめるってどうやって?」
「もう少し、顔と体をこちらへ」
テーブルに肘と手をついて、前の方へ乗り出す。
「じっとしてて」
水菜月は左手でぼくの右手を握ると、右の手のひらをぼくの額にあてる。
少し冷たくて柔らかい感触が右手と額をくすぐる。
水菜月の真剣な表情がいつもより近くにある。
これまでにないような緊張した雰囲気と接触に、心臓の鼓動が速くなる。
(...なにをしているのだろう?)
彼女はぼくの頭部に手のひらを置いたままじっとこちらを見ている。
手が触れるのとは異なる別の感覚が額のあたりを覆う。
「水菜月これは…」
「あなたは…ひょっとして…接続できるの?あの通路に?でもどうして?」
独り言のように呟いている。なんの話をしているのだろうか。
よくわからない発言はいつものことだけど。
水菜月はぼくから手を離す。
「本当に偶然なのかしら」
「なにが?」
「わたしたちが身近にいたのって。そうだとしたら話が出来過ぎのような…」
さっぱり話が読めない。
出会いは偶然の結果だ。運命論的な解釈でなければ。
「確かめたかったことはわかった?」
「わかったこともあるけど、わからないことも増えた」
解決しなかったらしい。だけど世の中はそんなもんだ。
一つわかると二つわからないことが出てくる。
「でもね」
「うん」
「やっぱりあなたはわたしのそばにいて。離れちゃだめ。絶対」
束縛されました。
聞きようによってはどきどきする話なのだが。
「そうしないと世界が滅ぶから」
そんな馬鹿な。
ぼくたちは何者なのやら。
別に水菜月から離れたいとは思わないけど、おだやかな話じゃなさそうなのはちょっと気になる。
ぼくたちが身近にいたのが偶然だとは思えない、というようなことを言っていた。
ただの知り合いではなかったとしたら、過去を忘れてしまっているぼくは仕方ないとして、覚えているはずの水菜月にもわからないということは、それ以前の根本的なところで関わりがあるのだろうか。
◇
駅までのいつもの下り坂。
木枯らしがその名の如く、足元で枯葉を散らしている。
黙ってぼくと並んで歩いていた水菜月が、不意にこちらを向いて話しかけてくる。
「もう一度、いい?」
「いいよ」
歩道の脇で立ち止まるとぼくの手を握り、もう片方の手を額にあてる。
真剣な表情。少ししかめっ面しているようにも見える。
冷たく乾いた風がぼくたちの間をすり抜けて、水菜月の長い髪が宙を舞う。
「あなたは…どうしてわたしを見つけてくれたの?」
西に傾き始めた冬の日差しが、栗色の髪に反射して揺れた。
ぼくが水菜月を探していたのか。
水菜月とは横断歩道で偶然すれ違ったというのが、ぼくが覚えている限りの記憶。
探していたなんて、そもそも水菜月のことを知らなかったのに。
それなのになぜか、納得していた。
「その答えを、きっとぼくは思い出さないといけないんだろうな」
遠い過去からなにかを忘れてきたような、ずっと残る落ち着かない感覚。
なにか大切なことを、どこかに置いてきてしまったのだろうか。
自分の落ち度ではなかったとしても、彼女に申し訳ないなにかをしているような、淡い罪の意識が胸のあたりをゆるく締め付けた。
「行こうか」
ぼくたちは手を繋いだまま、冬の夕暮れの坂道を下っていった。
新年の街は変わらず静かで、列車の走る音が遠くから聞こえてくるだけだった。
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