045.中央駅
街の中央駅。
ぼくたちが通う学校の最寄り駅でもある。
この駅の地上ホームは、全ての線路が始発・終着になる頭端式になっていた。
普段ぼくが通学で使う列車は地下ホームで、こっちは相対式だった。
駅舎の低層部分は西洋風の古めかしい意匠で、その上に近代的な高層ビルが乗っかっている。
駅ビルの上層部にあるレストラン街のカレーハウス。
今日はここで一人でお昼ごはん。
ビーフカレーにハンバーグとほうれん草と茄子をトッピング。辛口。
ひとり飯をしているとぼっちなのかとか揶揄されることもあるのだが、思索に耽りながら料理を味わうのがそんなに不幸なこととは思えない。
口の中にものを入れる行為と口から声を出す行為の両方をやることのほうが無理があるのでは、という気もしている。
けれど食事をしながらの会話というのは世界中で普通に、というかむしろ好ましい習慣とされているしそんなもんなんだろう。
だけど時々ひとり飯を楽しむのも有意義だとは思うのだが。
窓際のカウンター席に座る。目の前は一面のガラス張りになっている。
平行に並んだいくつものレールの上を、発着車両が滑るように走り行き交うのが見える。
到着する特急列車の白く長い車両が、巨大な駅舎に吸い込まれていく。
中央駅に出入りする列車をお店から眺めるのが好きだった。
別に鉄道マニアとかではないが、見ていて飽きない。
頭端式ホームというのは、なんとなく旅情を感じさせるものがある気がしていた。
店の中を見渡すと、同じように一人で窓の向こうを走る列車を見ている客が結構いる。
同士が少なからずいるのは安心する。別に話したりはしないけど。
熱いカレーを頬張りながら最近あったことを思い出していた。
水菜月とは時々会って話をすることになっていた。
いろいろ不思議なことが多いけど、彼女と話せばわかってくることもあるだろう。
(それにぼくにとっては彼女はどういう存在だったか)
断片的な記憶ではあるが、水菜月とは比較的親しい関係だったのはわかった。
そのことは彼女も認めていた。
少なくともたびたび二人で会って、名前で呼び捨てできるような間柄ではあったのだし。
だけど二人の間になにがあったかまでは、部分的にしか思い出せない。
友人以上の関係だったことを示すような記憶はなかった。
それに思い出せるのはなにがあったかだけで、ぼくがどう感じていたのかまではわからない。
(花火大会の件は、どうも事故っぽいし)
そうだとしても、何らかの重要な存在だったのは確かなような気がする。
単なる知り合いや友人だけではない、なにかがあったような。
(まあ、そのうちわかるだろう)
あまり深く考えないことにした。
深く考えようとしても、わからないことが多すぎる。
それよりも横断歩道と花火大会の日にカフェの店内で発生したあの現象というかなんというか。
何らかの錯覚なのかトリックなのか。それとも現実なのか。
仕込まれたものだとすれば、あまりにも大掛かりでどういう仕掛けなのか見当もつかない。
実際に起こったのだとすれば、それこそ超常現象ともいうべきものになってしまう。
この世界は思っていたよりもややこしいのだろうか。
普通に知られているのとは違うなにかがある。という気がしてくる。
窓の外では、白い特急列車が何両も連なって走り出ていく。
あれはどこまでいくのだろう。
特急列車というのは、非日常を乗せていく。
(たまにはどこか遠くへ行ってみるのもいいかもしれない)
現実逃避的な発想が頭に浮かぶが、思い詰めるとそんなことを考えたくなる。
だけど一人でいるのは気楽でもあるのだが、寂しさを感じないわけでもない。
(今度は誰かと…有希葉と食べにこようか)
甘党の水菜月を辛口カレーの店に誘うのは憚られた。
どこかに行きたいと思っても、だけどどこに行きたいのだろう。なにをしたいんだろう。
自分はなにを望んでいるのだろう。
走り出した特急列車は目的地に向かって迷いなく駆けていく。
だけど多くの人はそんなふうには振る舞えない。
迷いは当然のようにある。それ以前に目的地が見つからない。
夢を追うとか叶えるとか言うけれど、なにを追えばいいのか、なにを叶えたらいいのか。
一つだけ願いが叶うとすれば、なにを願うのか。
どうやって決めたらいいのだろう。
目指すものが明確で現状との差分を埋めればいいのであれば、それがどれだけ大変だったとしても悩みは比較すれば少ない。
いまのままじゃよくないのだけど、だけどなにを目指せば、なにをどうしたらいいのかわからない。
そんな問題をどう解決すればいいのか。
解決できなくても、それを受け止めることができるのならまだいい。
来年は受験生になる。進路というものを決めないといけない。
大学での専攻をなににするかによって、将来の職業が決まってくる。
いまこの時期の選択が、これからの長い生涯を左右する。
進路だけじゃない。もっと個人的なことでも。
ぼくは有希葉とどうしたいのだろう。
あれほど魅力的な女の子が気に入ってくれているのに、なにを躊躇しているのだろうか。
なにが気掛かりなんだろう。
記憶の奥でなにかが引き留めているような。
そんな中で現れたもう一人の不思議な女の子。
だけと彼女はおそらく、突然現れたんじゃない。
水菜月は…ぼくは彼女のことをもっと知らなければ、きっと正しくは思い出さなくてはならないはず。
そしてたぶん、ぼくの知らないこの世界のなにかについても。
どうしたらいいかわからない。
なんてことは誰だって何度でも経験することだ。
だからってそこで考えること行動することをやめたりはしない。
いつだって悩んだ先に未来はあるのだから。
この世界はそのままでは、なにもしなければ混沌のまま。
ぼくたちはそれを自分なりに捉えて整理して納得して受け入れる。
そうしなければ混沌のままでは、なにも考えることができないから。
だけど、その自分なりに捉えるというのをどうやるか。
目に映る世界は、そのままでは額に入れた絵画みたい。
そこにある意味を理解するのが、世界を捉えるということ。
問題はその理解した意味というのが、捉え方によって変わってしまうこと。
自分が捉える世界というのは、永遠に変わり続けることになる。
世界そのものが変わらなくても。自分と自分の考え方が変わるのであれば。
窓の外には彼方へ走り去っていく特急列車。
それがなにを意味するのか、その理解は今日と明日で違うのだろうか。
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