044.エビのパスタ
翌週の放課後。
生徒たちはパソコンやタブレットを鞄にしまって帰り支度をしている。
それぞれ部活に行くのか、遊びに行くのか、まっすぐ帰宅するのか、学校で居残り勉強するのか。
隣の席から声がかかる。
「ななくん、行こっか」
今日は学校帰りに有希葉の買い物に付き合うことになっていた。
「本日の獲物は?」
「アウターを探すの」
二人で教室を出ると、廊下から階段を降りて吹き抜けのエントランスを通り過ぎて行く。
石造りの校門をくぐって、大通りの緩い坂を中央駅に向かって歩く。
街を覆う澄んだ空気は、涼しさを超えて冷たさを感じるようになっていた。
「もう冬だねえ」
街路樹の葉はすっかり落ちて、パリパリになった枯葉が足元で散らばっている。
(有希葉のことは普通に覚えているんだよな)
最近知り合った、本当はずっと前から知り合いらしいが、水菜月との違いを考えていた。
他の同級生とも特に違和感を感じることはない。
だけどもしある友人がいたとして、お互いについての記憶が同時に消えたとしたら?
それはつまり赤の他人に戻るわけで、違和感を感じることはない。
またある人がいなくなったとしても、その人についての記憶も消えてたら気づくことはない。
(知らない間に忘れてしまっている人がいるかもしれない)
おかしくなるのは片方だけの記憶が消えるか、中途半端な消え方をするときになる。
それがまさに水菜月とぼくの状況なのだろう。
(ぼくだけが忘れて、水菜月はなぜ覚えているのか)
彼女とぼくの関係も気になるけど、そもそも彼女自身のことが気になる。
先日いくらか話したけど、もっと色々ありそうだ。
個人的なことはなにも知らない。
「…どうかしたの?」
「え?」
有希葉が横からまじまじとぼくの顔を見ている。
「ずっと黙っているし、なにか考えごと?」
「あ、いや、ちょっとぼうっとしてただけ。寝不足かな」
ごまかそうとするが、不自然なのがばれているだろうな。
他の女の子のことを考えていたなんて、正直に言っていいものだろうか。
たぶんだめだと思う。
中央駅の構内を通り抜けて反対側にでると、高層ビルが立ち並ぶ街の中心部が見えてくる。
その手前が繁華街になっていて各種路面店や飲食店、ショッピングモールにデパートなどが並ぶ。
アーケード付きの商店街が東西に伸びている。
夕暮れの早いこの季節の太陽が、西の低い空から照らしている。
横断歩道を有希葉と渡る。
先週ここで水菜月と出会って、街が一時的に消えてしまう不思議な現象を目撃した場所。
今日はなにも起きなかったけど、妙な緊張を感じてしまう。
ぼくの周りで、非日常的ななにかが始まっているようだった。
◇
この辺りで一番大きなデパートに入り、婦人服フロアまでエスカレータで上がっていく。
有希葉が真剣な顔をして、冬用のコートを品定めしている。
こういう時は下手に口出ししない方がいい。
あくまで相手の意向を尊重するのだ。
付き添いに求められるのは意見ではなく賛同だったりする。
しかもそれをもっともらしく。
「ね〜これとこれだとどっちがいいかな?」
二つのコートを両手に持って体の前に合わせている。
白くてかわいい感じのものと、やや濃いめのブラウンでシャープな雰囲気のもの。
全然違うタイプのを出してきた。
「その白いのはすごくかわいいね。有希葉の好みによく合いそう」
それぞれについて違うほめ方をする。
「こっちのブラウンのもかっこいいと思う。こういう雰囲気のは、有希葉はあんまり持ってなかったよね。でもいいんじゃないかな」
う〜ん。とか言って唸ってる。
有希葉は優柔不断なタイプでもないのだけれど。
いろいろ見て回ったものの、結局今日は入浴剤とハンドクリームだけ買って終了になった。
当初の目的はアウターだったのが、次回に持ち越しのようだ。
さっきのブラウンのコートでかっこいい系に挑戦しようとしていたけど、値札を見て「前向きに検討する」とか言いながら元の場所に戻していた。
納得いくものが見つからないのなら、下手に妥協しない方がいい。
◇
中央駅から列車に乗って移動。
いつものパスタ屋さんで晩ごはん。
向かいの席から再び強い視線を感じる。
「なにかあったでしょ」
「なにもないよ」
「ほんとに〜?」
完全に見透かされている。
それなら有希葉の意見を聞いてみようか。
「たとえばね」
「うん」
「ある日、目が覚めたら有希葉もぼくもお互いについての記憶が消えていたらどうなるかな?」
「え〜なにそのシチュエーション。すごく嫌なんだけど」
「いま考えるとそうなんだけど、もし本当にそうなったら、おそらくなにも感じないんじゃない?出会う前の状態に戻るようなわけだし」
「気づきもしないってこと?」
「二人とも忘れているのであれば」
「でもまた会ったらすぐに仲良くなれるよねっっ」
「そうだね」
相変わらずとても楽天的。
そんな有希葉はとてもかわいいと思う。
「片方だけが忘れていたらどうなる?」
「それは…覚えている方の人がとても悲しいんじゃないかな?」
やっぱりそうだよな。
有希葉がいきなり目を見開いて声も大きくなる。
「あ〜わかった!!ななくん、昔の女の子に復縁を迫られて『お前のことなんか忘れた』とか言ったんでしょ!!」
なんでそうなる。
「ひっど〜い!!よりを戻さないにしても、もっと言い方があるでしょ!!かわいそう」
「そんなことしてません」
「怪しいなあ」
「怪しくありません」
断固否定しながらフォークでパスタを巻く。
片方だけが忘れていたら。
水菜月とぼくの状況は、だいたいそういうことになる。
彼女はそのことをどう思っているのだろう。
悲しんでいるのだろうか。怒っているのだろうか。
それは過去においてぼくとの関係がどうだったかによるのかもしれない。
ぼくだってすべてを忘れたわけじゃない。
いくらか記憶を取り戻したことを知って、彼女の表情が少し明るくなったような気はしたけれど。
実は昔の女なのか?復縁を迫られるのか?そうなのか?
…アホな妄想はやめておこう。それこそ怒られそうだ。
ある程度は親しい間柄ではあったようだが、そんな雰囲気ではなさそうだ。
彼女がぼくに関わるのは、なにか他に理由があるのだろう。
それもきっと理解に苦しむような話なのかもしれないが。
そうだとしても、ぼくは彼女のことがとても気になり始めてはいた。
「でやっぱりエビのトマトソースパスタなの?」
「これを超えるメニューを早く作って欲しい」
「なにがそんなにお気に入りなのか」
「エビのぷりぷりの食感とトマトソースのピリ辛い酸味が最高なの」
まあおいしいことはおいしいのだが、毎回同じだと別のものも食べたくならないのだろうか。
「じゃあななくんは、なぜいつもペペロンチーノなの?」
「にんにくと唐辛子の刺激がおいしい」
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