042.真冬の横断歩道
波風を立てないことは、常にというわけではないにしても、多くの場合において無難な選択と見なされるだろう。
知りたいことを知るために波風を立てることになるとしたら、その選択は好ましいかどうか。
それはそのリスクに見合うだけのことであるかどうか。
そこまでして知りたいことかどうか。
知ってしまってから後悔することがあるのかどうか。
放課後、ぼくは一人で中央駅に向かって歩いていた。
通い慣れた大通り。いつも通りの街並み。
車道を行き交うクルマの列と、歩道を歩く人たち。
街路樹はすっかり葉を落とし、枯れ葉が風に吹かれてかさかさと音を立てながら地面を滑っていく。
見た目は平和な冬の午後。
下校する生徒たち。
コートを羽織ってマフラーを巻いて、すっかり冬の装いになっている。
友人と楽しそうにおしゃべりしたり、一人で音楽聴いたりしながら中央駅までの歩道を歩いていく。
大通り沿いの洒落たお店に寄っていく生徒たちもいた。
これから繁華街に出て遊ぶのか、列車に乗ってどこかに行くのか、それともまっすぐ帰宅するのか。
いずれにしても、いつも通りの平和な放課後の風景だった。
変わり映えのしない平凡で平穏な日々。
別にそれに不満があるわけじゃない。
不安も心配もなく、友人たちとも楽しく過ごせる日々。
むしろ好ましいことだと思う。
なのだけど。
以前から不思議な、ちょっと気掛かりな記憶があった。
それは正しい記憶なのか、妄想なのか、ただの勘違いなのかはわからない。
人の記憶とは曖昧なもので、複数の事実が混ざったり、間違った認識が事実とすり替わったり。
夢で見たことを間違えて、現実のように覚えているだけなのかもしれない。
いつもの通学路にあるこの横断歩道。記憶の中のものと一致する。
そしてその記憶によれば、今日ここで出会う人がいる。何者なのかまではわからない。
自分にとっては重要人物であるような、曖昧だけど確かな感覚がある。
その記憶が正しいのか思い過ごしなのかは、もうすぐ明らかになるのかもしれない。
だけどそんな予知夢のような話、普通に考えたら思い過ごしなんだろうけど。
澄んだ冬の空を冷たい風が吹き抜けていく。
アスファルトの上を街路樹の落ち葉が舞って乾いた音を立てている。
もうすぐクリスマス。年の瀬の街はなんとなくせわしない雰囲気。
歳を取れば時間が経つのが早く感じるようになるというけれど、まだそんなに歳でもないのになんとなく実感がある。
もう今年も終わりなのか早かったなというような気分。
信号待ちの横断歩道。
向こう側の渡ろうとする先の人混みの中の、知らない女の子に目が止まる。
あの人だ…。知らないはずなのに、なぜかそれだとわかる。
しかも思い過ごしじゃないと確信がある程度に。
同い年ぐらいの長い髪の女の子。少し年上かもしれない。
向こうもこちらに気づいているようにも見える。
覚えていないだけで、どこかで会ったことがあるのだろうか。
話しかける?いや勘違いだったらただのナンパじゃないか。
近づいて相手も確実にこちらを意識しているようであれば、声をかけてみるか…。
そんなおぼろげな既視感を感じつつも、気のせいだと思っていた。
こっちを見てはいるけど、別にぼくを見ているわけじゃない。
ただ前を向いているだけなのだろう。
歩行者用信号が青になり、人々が一斉に動き出す。
横断歩道を渡って近づいていくと、確かに女の子はぼくを見ている。
微妙な不安を感じて歩みが遅くなる。まっすぐにぼくの方へ向かってくる。
そうこうしているうちに女の子はぼくの目の前に。
すれ違う瞬間、女の子はぼくの腕を掴んで叫ぶ。
「目を閉じてっっ!!」
轟音が響き渡る。
◇
「どれだけの記憶が残っているのは毎回違うみたいなの。それはどうしてなのかはわからないんだけど。なにかの不具合なのかも。前回は殆ど覚えてなかったよ。わずかに既視感がある程度だって言ってた」
「言ってたって、誰が?」
「前世のきみだよ」
この人はなにを言っているのだろう。
「前世?」
「前世」
ぼくは生まれ変わったと言っている?
とりあえず話を合わせてみる。
「…前世のぼくって、何者だったの?」
「別に何も変わらないよ。いまのきみとほぼ同じ」
「それってほとんど同じ人生を繰り返しているだけ?」
「そんな感じかな」
なんだそれは。
道路沿いにあるコーヒーショップ。
話の成り行きで初対面の女の子とお茶しながら、理解に苦しむ話を聞いている。
狂言か妄想にしか思えない。
しかし例の謎の記憶と重なるところが多く、どう考えたらいいのか頭が痛くなる。
いったいなにがどうなっているのか。そもそもこの女の子はだれなんだろう?
「たぶん、確証はないんだけど、しばらくしたら記憶の一部は戻ると思う。それでも全然不完全ではあるんだけど」
「戻るって、前世の記憶が?」
女の子が頷く。
「初期化プロセスの一部を書き換えたはずなのだけど、もしそれがうまくいっているのであれば」
…本当になにを言っているのだろう。
妄想癖があるのか、新興宗教の勧誘なのか。
それより気になるのは、ぼくのよくわからない記憶と無関係じゃないように見えること。
さっき横断歩道でこの人を見た時、ぼくはすぐに気がついていた。
(この人はなんだろう。ぼくとどんな関係があるのか)
「きみは…誰なの?なぜぼくを知っている?」
「きみのことは、ずっとずっと前から知っているよ」
答えになってない。
「きみが覚えていないずっと前からね」
正直に話をしてみようか。
「きみの話は客観的には全く荒唐無稽でとても信じられないのだけど、だけどぼくはそれを否定できないでいる。きみはきっとそれがわかっているんじゃないかと思う。ぼくは今日、きみとあそこで出会うことがわかっていた。きみのことは知らなかったけど、誰かと出会うことはわかっていたんだ」
女の子は黙ってぼくを見ている。
「それがなぜなのかも、さっきの横断歩道での不思議な現象が何なのかも、きみは知っているんだろ?」
女の子は笑顔で答える。
「知っているよ。これからまた少しずつ教えてあげるから」
また?
前にもあったというのか?
興味と疑問と不安と驚きが一度に押し寄せてきたような気分。
この日は連絡先を交換して別れた。
◇
その女の子は名前を桂川水菜月と言った。
初めて聞く名前、のはずだった。
なのに聞き慣れた感覚があるのは、いずれわかるだろう。
(...みなづき)
懐かしいような、でもなにか落ち着かないような…そんな響きを感じていた。
以前から不思議な記憶。彼女がそれの正体を知っているらしい。
ぼくは彼女のことを思い出さないといけない。
それがとても大切なことだという予感があった。
何者なのかはまだわからないけど。
長らく気になっていた謎が解けるのではという期待と、それによってなにを知ることになるのだろうという不安の両方が入り混じっていた。
平凡で平穏な生活に波風が立ち始めていた。
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