038.有希葉と紅葉狩り
中央駅のバスターミナルから山間部方面行きのバスに乗る。
スマホの経路案内によれば、目的地までは一時間ほどの道のりだった。
紅葉シーズンの週末なのでバスも混むかと思えば、そうでもなかった。
自家用車で行く人が多いのだろうか。
それともそもそも紅葉狩りなんて、あまり人気ないのか。
高年齢層にはそれなりに需要がありそうな気がするが、その世代は平日に行くのかも知れない。
街を抜けて川沿いの道を走る。
広い川はやがて山間を流れる谷川となり、道の両側が木々に覆われる。
小さな盆地のようになった山間の集落には収穫を終えた田畑が広がり、古い民家が点在する。
やがてバスは年季の入った町役場の前に止まる。
ここから少し歩いたところに古い城跡があり、その周辺がよく知られた紅葉の名所になっていた。
晩秋のひんやりした空気に満ちていて、真っ青な高く澄んだ空が気持ちいい。
バスを降りて、川沿いの道を歩いていく。
二つの清流が合流するところに小高い丘があり、それ全体に赤や黄に色づいた木々の葉が広がっている。
今日の有希葉はデニムのパンツにスニーカーを履いて、リュックを背負ってアウトドアな格好。
橋の上に立つと、彼方に見える山から流れてくるのだろう、透明な川の水が心地よい音を立てている。
削られた丸い岩や石があちこちにごろごろ。
川の対岸に色づいた木々の丘。
バスの中と同様に想像していたほどには混雑していない。
むしろ週末なのに人が少ない印象。
「気持ちいい!!」
「この時期はめちゃ混みなイメージだったんだけど」
「空いててよかったじゃない?」
人とクルマと列車が絶え間なく行き交う街の中とは違って、人工の音があまりしない。
バスや乗用車が時折通過する程度。
それよりも川のせせらぎと、風が木の葉を揺らす音の方が耳に入ってくる。
水の流れる音はそれなりに大きいのに、不思議なことにやはりうるさくは感じない。
人工の音は不快さが際立つのに。
城跡のある丘の全体が公園のようで、遊歩道が整備されている。
清流の音を聞きながら、色づいた木々の葉で覆われた緩やかな小径を散策していく。
森のにおいとでもいうのだろうか。独特の清涼感が木漏れ日の中に満ちている。
「心の中のもやもやしたものが、消えていくような気がする」
有希葉が横で小声で話す。
いつも明るくて陽気な有希葉だけど、彼女も気持ちを掻き乱すようなものを感じていたのか。
それまで普通に交流のあった人が、ある日突然消えるようにいなくなるなんて。
しかもそれが身近に起きた。
いつでも強気だったあの謙心が、自発的に失踪するとは思えない。
異国の工作員か犯罪組織にでも拉致されたのか。
それとももっと超自然的な、この世界のどこかに異空間への通路が開いて、そこに吸い込まれていったとか。
いずれにしても、防ぎようのない危険が姿を隠してそのあたりを彷徨っているような、そんな気持ちの悪さ。
このまま失踪者の数が増えていったら、恐怖から精神を病む人が少なからず出てくるかも知れない。
目撃者はなく複数の人が同時に失踪した事例がないことから、一人でいるときに発生していると考えられる。
(ということは、一人暮らししているとまずいのでは?)
だからと言っていつでもどこでも誰かと行動する、というわけにはいかない。
人目のつかないところでの単独行動は避けた方がいいのだろうか。
スリとか強盗とかならそれで効果的かも知れないが、目標を決めて狙われるのであればどうやっても避け難いのではないか。
「そのもやもやの原因はどうしたらいいんだろうな」
「きっとみんな怖いと思う。普段はあまり言わないけど」
そうなんだろうな。ぼくだってそうだ。
「今日はそれについては、考えないようにしようか」
「そうだね。そうしよう」
気持ちを切り替えるなんて、簡単にできることではないけれど。
それでもいつもと違う環境であれば、いくらかは普段を忘れられる。
心地よい程度に冷たい空気と、せせらぎと木の葉の揺れる音と、森のにおいと、澄んだ青い空。
晩秋の自然の中で、いびつに強張った頭と胸の中がほぐされていくようには感じられた。
黄色と橙色と赤色に囲まれた静かな小径を、緩やかに登っていく。
丘の上には古いお寺があった。
そこまで続く石畳の道と石の階段。その両側も紅葉がいっぱい。
木造の大きな門をくぐると、本堂が見えてくる。
お参りをする。
賽銭箱に投げ込む小銭を探すが、最近はほとんど現金を使わないのでこういう時に困る。
と思ったら箱の前にQRコードが貼ってあるのを見つけた。
「いまどきというか、風情というものが…」
「便利じゃない」
スマホから軽い感じの決済完了音が響く。
木々の間の向こうからは、川のせせらぎが微かに聞こえる。
二人並んで手を合わせて、それぞれなにかを願う。
「なにお願いしたの?」
「無病息災」
「おばあちゃんみたい」
「健康は大事だし」
「そうだけど、なんかもっとおもしろいことお願いしようよ。有希葉ちゃんがもっと美人になりますようにとか」
「ゆきはいまでも十分美人だと思うけど」
「あら」
「なにを照れている」
「ゆきはなにを?」
「ひみつ〜」
予想通りの答えが返ってくる。
別にいいけど。
縁側に腰をかける。
他にも観光客らしき人たちが数名。
大きくはないけれどきれいに手入れされた庭と、控えめな大きさの枯山水。
「五十鈴からね、ロケットの打ち上げを一緒に見に行かない?って誘われてて」
目に映る風景とはかけ離れた話題が飛んでくる。
しかし五十鈴らしい誘いだ。
「面白そうだね。行くの?」
「それが行くのが結構大変みたいで、発射場があるのが孤島なの。夜行バスか特急列車で一日かけて行って、そこの街の港からさらに船で半日ぐらいかかるらしくて」
打ち上げは赤道に近い方が有利なので、南の島にあるというのは聞いたことがあった。
「五十鈴は行ったことあるの?」
「子供の頃に連れていってもらったことあるって言ってた」
映像では見たことあるが、実際に目の前で見るのは迫力ありそうだ。
「わたし乗り物酔いするから、きっと船はだめだと思う」
「飛行機はないの?」
「あるけど、すごく高いし」
結局は予定していた打ち上げがトラブルで延期になって、行くのをやめたとの話を後日聞いた。
というのは仕方のない話なのだが、ぼくはこの時は興味深いけどなんて事のない会話、という程度に思っていた。
しかしそこに違和感があることに気づくのは、もう少し先になる。
◇
お昼ごはん。
川沿いの広場にある茅葺きの建物が食事処になっている。
古い合掌造りの住居だったもののうち、傷みが酷く大掛かりな修繕が必要だったものが改装されていた。
有希葉が予約した猪鍋に、山菜の天ぷらにきのこの炊き込みご飯。
大きなお皿に猪肉が花のように盛り付けられている。
一般的には牡丹に例えられるらしいが、うちの学校のシンボルでもある八重咲きの椿のようにも見えた。
あわせ味噌のだし汁に肉と野菜を入れて煮込む。
とてもいい匂い。
「イノシシの肉って特有の臭みがあるって聞いたことあるけど、全然問題ないね」
「おいしい」
「生物学的にはブタと仲間だし」
ブタが野生に還るとイノシシ化するとか。
「この次は熊肉に挑戦する?」
「くまさんはちょっと」
「じゃ鹿肉で」
「そのくらいがいい」
食事のあと、道沿いに並ぶお土産ものの店を見てまわる。
オリジナルの傘と扇子の店がある。
地元の作家のものだろうか。花柄模様が多い。
「ね〜、この傘きれいじゃない?」
有希葉が広げて見せてくる。
白地に熱帯ぽいオレンジ色の花と、緑色の葉が描かれた折りたたみの傘。
かわいい絵柄だった。
「似合うんじゃないかな」
◇
帰りのバスの中。
歩き疲れたのか有希葉は隣の席で居眠り中。
頭をぼくの肩に乗せている。
ふわふわの髪の毛がくすぐったい。
その寝顔は、とてもかわいい。
窓の外は夕暮れの道。
橙色の日の光がのどかな田園を照らす。
牧歌的な一日が過ぎていく。
だけどぼくたちの日常には、不穏ななにかが漂っている。
失踪した謙心のことを考えていた。
ついこの前まで普通にいた人がいなくなった。
しかし単に人がいなくなったという事実以上のものを、僕たちは感じている。
その背後にあるものを、意識せざるを得ないからだ。
なんなのかはわからない。
ただの思い過ごしなのかも知れない。
誰もなにもわからないまま繰り返し発生している。
身近でまた起こる可能性がつきまとう。
たとえばもし、有希葉が突然いなくなったら?
考えたくはないが、もちろんありうる。
喪失感はきっととても大きい。
それに、ぼく自身がそうなるかもしれない。
解決を見る気配もない嫌な空気が、ぼくたちを覆っていた。
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