036.帰りの駅の改札で
翌週の授業中。
教室の前の大型スクリーンに微分方程式が並び、教師がなにやら説明している。
手元のパソコンの画面にも同じものが表示されていて、他の生徒たちは真剣に聞いている。
でもそんな中で、ぼくだけがうわの空。
(まともに抱き合うなんて、これまで誰ともしたことなかったのに…)
先週末の花火大会のことを思い出していた。
予期せぬ意図せぬ非常事態だったとはいえ、だいぶかなり刺激が強かった。
水菜月の柔らかく温かい感触と甘い香り。首元に触れる彼女の頬。腕に触れる長い髪。
その感覚がずっと残っている。頭から湯気が出そう。
ちょっといまは顔を合わせづらい。しばらく別のことに集中しよう。
と言っても簡単に気が紛れたりはしないのだが。
なんとか煩悩を振り捨てて眼前の微分方程式を眺める。
けどやっぱりなにも頭に入ってこない。
(きっと時間が解決するはずだ…)
どれだけかかるかわからんけど。
◇
放課後。謙心と図書館で待ち合わせ。
今日は二人で自由研究課題をやることになっていた。
提出は年度末。あと四ヶ月ほど。
そろそろ大筋は固めないといけない。
テーマの背景、目的、分析、課題、目標とそのための手段など。
特にその研究でなにを目指すのかの設定に失敗すると、全てが徒労になる。
どれだけ早く走っても、正しいゴールの場所を知らなければいつまでも辿り着けない。
直径が100kmを超えて乗員が百万人を超える巨大宇宙要塞を建造するなど、空想の世界以外ではとても現実的ではないが、想定しうる課題を定義してそれの解決策を考えるというのは楽しい作業ではあった。
とてもオタク趣味的な楽しさではあるが。
今回の自由研究での前提条件と、取り上げる課題および結論について二人で整理していく。
ブレインストーミング的に多くのアイデアを出しはしたが、それを筋が通るようにまとめていくのは根気のいる作業だった。
「これほどの規模になると、地球の周りを公転する際に重力で生じる歪みが相当な程度になる。見た目は球形でも一つの塊ではなく、多数のモジュールが連結した構造にしてそれらの接合部には柔軟性を持たせて…」
「運用終了後のリサイクルも考えないとな」
「宇宙で解体したところでどうやって地上に降ろす?」
周りを見渡すと自分たちと同じように、自由研究に取り組んでいると思われる生徒たちが多くいた。
それぞれ議論したり、黙々と調べごとしたりしている。
「デス・スターへの道のりは遠いな」
「こんな巨大宇宙要塞を作ることなんて、いつかずっと未来なら実際にあるのかな」
「たぶんないだろう。コストがかかりすぎる上にそれだけの効果はないだろう。だけどそれに近いことはあるかもな。未開の地だったところに何らかの大規模な施設を作るとか」
謙心が両手を組んで、上に伸ばして椅子にもたれている。
「今日はここまでかな」
「もう頭が回らないよ」
ノートとパソコンと書籍類を片付ける。
今日も疲れた。帰り道は二人ともぐったりしていた。
充実感はあるのはいいんだけれど。
◇
中央駅までの大通りを歩く。
最近の気になる話をそれとなくしてみる。
「ときどき失踪事件がニュースになっているけど、あれってどう思う?」
「事情はそれぞれじゃないかな」
「不自然なものは感じない?」
「報道されている情報だけじゃなにもわからんだろ。それにマスコミは基本的に人の興味を掻き立てるように報道するからな。広告料が主たる収入なのだから、視聴率を稼ぐ方向に思考と行動が傾くはずだ」
「不自然さも演出されたものだと?」
「そうすることにより視聴者の関心をひけるのであれば、それをあえて強調するような報道をするかもな。ビジネス的には正しい」
「失踪事件についての謙心の予想は?」
「俺たちが得られる情報だけでは、予想を立てようがないんじゃないか。誰々がいなくなりました、以上。だろ?それでなにがわかる?」
根拠となりえる情報がなければ、推論はできないということ。
「気持ち悪さは感じない?」
「わからないものに対する不気味さと言うのはあるな。そういう感覚が一部の人のオカルトな連想を促すことはあるだろう。ななおはどう考えている?」
「明確な動機も不明でなにも発見されないと言うのは、さすがに不自然さを感じるかな。この国の警察は比較的優秀だとされているのに」
「なにかあると思うか?」
「漠然とした不安だけで、確かに根拠はないけど」
「多数の人がいなくなっているのは事実だろう。人は通常は突然いなくなったりはしない。なにかがある、と考えるのは自然だと思う。だがそれを裏付けるものを見つけないとな。なにもなしに気持ち悪さだけで想像してもうわさ話のネタにしかならない」
交差点で信号待ち。
「うわさ話だけで済めばいいのだけどな」
「済まない場合というのは?」
「荒唐無稽な話を事実と誤認される場合がある。そうなれば人々が間違った行動を起こすことになる。刺激的で攻撃的な内容であるほどそうなりやすい。特に大規模な災害や戦乱時にたびたび見られることだ」
「失踪事件がさらに増えれば…」
「陰謀論のようなものがきっと出てくる。対立する集団があった場合、片方が片方の犯行だと主張して攻撃するようなことが起きるかもしれないな。全く無関係だったとしても、気に入らない相手を攻撃する理由として利用されることがあるだろう」
信号が青に変わると、人々は一斉に横断歩道を渡り始める。
「自分が間違った行動をしないためには、信用できる根拠をもとに考えることだ。だが問題は…」
謙心は自嘲気味に話を続ける。
「なにが絶対的な真実なのかは知りようがない、というのは永遠に解決できない」
「俺たちの認識は、どこまで行っても不完全なままだ」
「となると、自分たちが信じるに足ると思えることが真実、ということになる」
「そんなあやふやな根拠でしか、俺たちは生きていけないということなんだろう」
◇
夕闇が迫る中央駅。駅ビルの灯りとそれを囲むような周辺のイルミネーションがきれいだ。
秋が深まって日が暮れるのも早くなっている。
帰宅する社会人や学生で駅は混雑していた。
「じゃあまた来週」
「うん」
謙心とは列車が別の路線だった。
改札を抜けたところで、手を振って別れてそれぞれのホームに向かった。
なんてことのない日常。
いつもの通りの下校風景、のはずだった。
深草謙心と会話したのはこれが最後になった。
この日を境に、彼の姿を見ることはなくなった。
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