035.花火大会
いつもと同じ場所でもその時々で、違う空気が満たされているように感じることがある。
それはそこにいる人の違いなのか、人がその場面に特別な意味を持たせるからなのか。
普段は静かで穏やかな空間でも、落ち着かない雰囲気に戸惑ってしまうことがあるのは、場所のせいではなくて人のせいなのか。
この街では秋に花火大会が開催される。
花火は海上から打ち上げられ、海沿いの公園や街の高台から観ることができた。
普段は静かな公園もこの日は昼間から賑やかになり、西の空にわずかに橙色が残る頃になると人波で溢れかえっていた。
いつもの高台のカフェは絶好の花火見物スポットとなり、普通に営業するととんでもない混雑になる。
そのため花火大会の当日は、オーナーの招待客のみの特別営業となった。
そしていつの間にやら常連扱いになっていた水菜月とぼくは、今年は実は招待されてしまっていた。
「いらっしゃ〜い☆」
いつもの橘香さんがいつもの笑顔で迎えてくれる。
「こんばんは…」
人見知りな水菜月は相変わらず気弱な反応。
店の中は混んでいるというほどには客はおらず、人数をだいぶ絞って招待しているようだ。
例の店長がオーナーでもあるのだが、馴染みの客らしき人たちと談笑している。
見つかった。こちらを見て手招きしている。
「よく来てくれたね。みんなに紹介するよ」
そういうと店長はぼくの肩に手を回して、テーブル席の客人たちに話し始めた。
「今年の最年少の招待客のお二人だ」
ぼくたちをカップルだと勘違いした客人たちが一斉に手を叩いてはやし始める。
「この二人アツアツでさあ、毎週来てくれるんだよ。いつもあっちの窓際の席で、なにを語り合ってるのか知らないけど」
はやし声がさらに大きくなる。
「何歳?」「学生なの?」「付き合ってどのくらい?」
質問があっちこちから飛んでくる。
「いやあの、ぼくたちただの同級生でそういうのじゃ…」
水菜月はまた俯いてしまった。
「だったら毎週二人きりっていうはおかしいよね」
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
「ひょっとしてあれじゃない?家同士が仲が悪くて、許されない恋とか」
あ〜そういうことなのか。大変だなあ。がんばれ〜。応援してるぞ〜。
いきなり応援団ができてしまった。でもなにを応援されてるんだ。
「七州くんと水菜月さんには、いつもの席を用意してあるよ」
店長はそう言って窓際のテーブルを指差す。
指定席になっているようだ。
席につくと、橘香さんが水の入ったグラスを持ってきてくれる。
すごく楽しそうにニヤついているのが気になる。
「お飲み物はいつものでいいですか?」
「はい。それでお願いします」
いつもので通じるようになってしまっていた。
水菜月はソーダフロートで、ぼくはクラフトジンジャーエールなのだけど。
向かいの席で水菜月が、いきなり疲れた顔をしてため息をついている。
窓の外を見るともう空はすっかり暗くなり、西の方にわずかに黄昏の光が残るだけになっていた。
高層ビルの窓の光が束になって、黒い夜空にきれいに映えている。
その中でもツインタワーがひときわ高くそびえていた。
最初の花火が上がると、お店の中でも歓声が上がる。
窓際のぼくたちのテーブルは特等席だった。
だけど花火が見えるのは窓に向かって少し斜め方向。
向かいの水菜月の席からだとちょっと見えにくい。
「こっちに座る?席を替わろうか?」
「じゃあ、隣に座っていい?」
向かいの席からぼくの隣に移ってきた。
テーブルに肘をついて嬉しそうな顔をしている。
軽い食事とスイーツをつまみながら街の灯りの上の夜空が彩られるのを、二人並んで眺めていた。
◇
最後の花火が終わっても、ほとんどのお客はそのまま談笑している。
ぼくたちはあまり遅くならないうちに帰ることにした。
席を立って上着を着ていると、橘香さんがやってくる。
「お帰りですか?楽しめましたか?」
「はいとても。今日はありがとうございました」
「また来てくださいね〜☆」
なんて言いながら手を振っている。アッシュグレーが今夜もきれいだ。
見送られながら、お店の玄関の方に向かう。
水菜月が足を止める。
「…どうしたの?」
少し俯いたまま、顔と体が硬直している。微かに震えているような。
「気分が悪いのか?少し休んで…」
突然こちらを振り向いて叫ぶ。
「北山くん、じっとして!!」
そういうと、水菜月はいきなりぼくに抱きついてきた。
「え?あの?」
腕が背中にまわされると同時に、目の前にオレンジ色の火の粉のようなものが大量に現れる。
それらに取り囲まれて周りはなにも見えなくなる。そして轟音が響き渡る。
まるで爆風の中にでもいるような、しかし風圧は感じない。
そしてすぐに音は消えた。水菜月に抱きしめられている感触。
火の粉のようなものが薄くなると目に入ったのは、水菜月の姿と…水菜月の姿だけ。
それ以外にはなにもない。お店もなにもかもが消えていた。
(あの時と同じだ…)
あっけに取られるぼくに、水菜月は押し殺したような声で話しかけてきた。
「そのままじっとしてて。動いてはだめ」
ぼくは頷きもせずただそれに従った。
目の前にあるのは、なにもない空間。音もない。そこにはいるのは、ぼくたちふたりだけ。
さっきまで当然のようにあったお店や、さっきまで賑やかだったお客は、いまはどこにもなかった。
ただ火の粉のようなものが、ぼくたちのまわりを取り囲むように舞っていた。
凍りついたように固まっていた。
それから何十秒経っただろうか。感覚的にはとても長い時間。ようやく周囲の変化に気づいた。
視界の下の方に床らしきものが現れはじめたかと思うと、壁・天井・テーブルなどが霧が晴れるように見えてくる。
やがて他のお客や店員の姿が現れ、気が付けば全てはなにもなかったかのように元通りのお店に戻っていた。
いつか、横断歩道上で見たのと同じ現象だった。また起きたんだ。
これが水菜月の言ってた外部世界からの干渉、不完全な崩壊というものだろうか。
だとすればこの世界はやはり、水菜月が話していた通りの世界なのか。
(元通りに…あれ?)
お客と店員がなぜか全員、黙ってぼくの方を見ている。
少し離れたところで橘香さんが、左手を口元に当てて右腕を伸ばしてぼくを指差している。
なぜかすごく嬉しそう。
「...だいったん!!」
(大胆?)
そこで気がついた。
ぼくの前には、水菜月さん。
ぼくに、しっかり抱きついた、水菜月さん。
その背中に、ぼくも腕をまわしてる。
首元に、彼女の顔。
「あ」
お店の中で、一斉に歓声が上がる。そして拍手の渦。
「なんだやっぱりアツアツじゃないかっ!!」
「お幸せに〜☆」
我に返って慌てて体を離す水菜月とぼく。
どれだけ言い訳しても無理そう。
水菜月は顔を真っ赤にして俯いたままだった。
◇
「…ごめんなさい。いきなりあんなこと」
「いえ…大丈夫です」
お店からの帰り道。駅までの下り坂。
秋の夜風で高揚した頭を冷やす。
「さっきのって、しばらく前に横断歩道であったのと同じ?」
「うん」
「起こるのがわかるの?」
「予兆を感じることもあるんだけど、今回はいきなりだった」
「不完全な崩壊ってやつ?」
「そう。だから今回はみんな、大半の記憶は維持されていると思う」
「他の人たちは気づいていないの?」
「再起動して初期化されているので覚えてないはず。そうでないのは、わたしたちだけ」
「火の粉で包まれたのは?」
「記憶が消えるのを防ぐため。不完全な崩壊でも消えることはあるから」
「あの火の粉は水菜月が?」
「…そうなんだけど、詳しくは…また話すよ」
水菜月もお疲れの様子だし、また落ち着いた時に話そう。
だけどあんなことがまた起こるとは。
というかたびたび起こっていたとしても、ぼくは気づいていなかったということなのか。
水菜月の不思議な話は、信じるしかないように思えた。
それにあの火の粉はなんだろう。
「この近くに…」
「え?」
「ううん、何でもない」
なにかを呟こうとしていた水菜月は、そのまま沈黙してしまった。
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