032.なにか新しいこと
「しかしなぜデス・スターにこだわりが」
謙心が笑いながら答える。
インテリっぽい高笑いがラーニングコモンズに響く。
「別にこだわりがあるわけではないよ。デス・スターはちょっとした冗談で選んだだけだ。話のネタとしてはおもしろいだろうと思ってな」
「現実ではありえないと思われるようなことを実現させるとしたらどうなるのか、馬鹿げたことを真剣に考えると見えてくることがあると思う。普通じゃ考えないことを考えるわけだからな」
「いま俺たちが普通に使っているものが、五十年前百年前はあり得なかったというか思いつきもしなかったものだったりするだろ?」
「いま俺たちがありえないと考えていることも思いつくだけまだましで、思いつきもしなかったことが実現されるんだよ。そんなことを人の歴史は繰り返してきたんだ」
「素晴らしく優秀なものが突然出現することについて『彗星のように現れる』なんて表現があるが、彗星は突然現れたりはしない」
謙心のうんちくが続く。
自論を語りだすと止まらなくなる人は多い。
「彗星は人より遥か昔から存在している。そして何年もかけて彼方から太陽に向かって飛んでくる。地上にいるものがそれに気づくのが突然なだけだ」
「才能のある演奏家が『彗星のように現れた』としても、それは人々がそれに気づいたのがいまなだけだ。その演奏家は何年も必死の努力を積み重ねてきたはずだ」
「イノベーションは突然現れたりはしない。一瞬の閃きでできるものでもない。長く地道な積み重ねの結果だ。ただ他の人がその価値に気づくのが突然なだけだ」
「19世紀末にJ.J.トムソンが電子を発見した時、それが何の役に立つのか、と言う質問にどれだけの人が回答できたか。誰も答えられないよ。それがいまでは、電子の働きを利用したものが世の中に溢れている。その間の多くの科学者や技術者の積み上げの結果だ」
「新しい技術が実用化されると、それを脅威と捉える向きは大抵の場合でてくる。いわゆる産業革命のときの、蒸気機関を利用した工場の機械化はよく知られた例だ。そのような事例は数多ある。そういう時、仕事を奪われて失業者が溢れるという悲観論が出てくる。新しい技術に直接置き換わる仕事は、確かにそうかもしれない。しかし新技術により新しい産業が作られて、結果的に仕事も所得も増えるのが繰り返されてきたことだ」
「新しいものをどう活用するかだよ。古いものに固執していては取り残されるだけだ。下りのエスカレーターを逆向きに走って登っているような。じっとしていればどんどん下がっていく」
「本屋のビジネス書のコーナーに行けば、経営戦略をテーマにした本が無数にある。どれもこれも小難しい書きっぷりであれこれ語られてはいるが、結局のところ自分たちはなにを目指すべきかとどうすればそこに到達できるのか、の二つをどうやって見つけるかなんだよな」
「目的と手段ってこと?」
「そういうことだ。間違った目標に向かって走り始めてしまえば、どれだけがんばっても間違った所にしかたどり着けない」
「戦場においては実際に大砲を撃つ砲撃手よりも、大砲をどこに設置してなにを狙うかを決める指揮官の方が、戦局への影響力は大きい。指示するだけなら簡単だと考える人もいるけれど、それは違う。指示を間違えれば、それに従う人たち全員が間違うことになる。指示を出す人の責任は大きい。正しい指示を出すのは高度な作業だ」
「それらを描ける人間が必要なんだよ。グランドデザインというか全体像をだ。目先のことだけでなく、時間的にも空間的にも広く世界観を持って、そのままだとカオスでしかないものを、具体的に構造化できるようなことなのだが」
「この世界はそのままではカオスだ。新しい仕事はそのままでは、どこからどう手を付けていいかわからない。それをいかに捉えて構造化するか。どのように座標軸を引いてモデル化するか。世界観とはそういうことだ」
謙心の話を平凡な高校生は理解できるだろうか。
「できないようなら、それができる人間に使われるだけになるぞ」
怖いこと言っている。
理解できないわけじゃない。
著名な建築家や服飾デザイナーはコンセプトを示すのみで、自分では詳細な設計をしたり実際に服作りをしたりしなくなる。
これはお偉くなると部下に任せっぱなしで仕事しなくなるわけじゃない。
建物を建てるにしても服を作るにしても、無数の選択肢がある。
その中でいまこのシーンで必要な建築、必要な服はなにかを示すのが彼ら彼女らの仕事になる。
それを間違えれば部下たちは、懸命に失敗作を作るという残念なことが起こってしまう。
指示を出すというのは難しいというのはその通りだ。
間違った指示を出せば間違ったことが起きる。
その逆であるべきなのだけれど。
「デス・スターが冗談だとすれば、謙心自身は本当は将来はどうしたい?建築や都市開発に興味があるとは言っていたが」
「それは本当は考え中でな、実は言うと明確にこれを目指そうというのはまだないんだ」
それはぼくもそうだ。
「なにか特定の専門領域に特化するよりも、幅広く物事を考えられたらとは思っている」
「世の中の全体を捉えるような?」
「そんな職業があるか?」
「思いつくのは…政治家か官僚」
「それはあるかもな。政治家向きではないかもしれないが」
マニアなインテリ官僚。
方向性を間違わなければいいかもしれない。
自分の趣味に走った政策や行政にならなければ。
「もう少し作業を進めるか」
周囲を見渡すと、多くの生徒たちがテーブルを囲んであれこれ議論している。
もう十月だ。提出は年度末。それまであと半年。
まだ時間があるようでも、きっとすぐに過ぎていくだろう。
過ぎ去った時間とこれから来る時間では、その長さが大きく異なって感じられる。
先を思えばずっと長くずっと遠い未来に思えてくるのに、過ぎてしまえばまるで瞬く間だったようになる。
先を考えると長く思えるのは、苦労や困難の可能性を想像してしまうからだろうか。
過去を思えば短く感じるのは、やることをやり切った後だからだろうか。
謙心の自論とうんちくがさらに一時間続くと思えば、とてつもなく長く感じられる。
今日の時点で思いつく限りのアイデアを書き出してファイルにまとめると、学校を後にした。
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