030.有希葉に言い訳
自分には縁がない問題だと思っていたことが、いつの間にやら降りかかってきていた。
いつの間にやら降りかかる、という表現は正しくないかもしれない。
話の成り行きで、なんて言い訳じみたことを言ってしまいそうになるが、これは自分で蒔いた種ということになる。
久しぶりに有希葉と晩ごはん。
例のごとくというか、いつものパスタ屋さん。
すっかり涼しくなって、有希葉も秋らしい長袖のジャケットを着ている。
ぼくはやや落ち着かない気分で椅子に座っていた。
「この前、クラシックのコンサート?とか言ってたじゃない。あれって結局どうしたの?」
聞かれることは予想していたが、最善の答え方はわかっていなかった。
苦し紛れな言葉が口先から出てくる。
「ああ、あれはチケットを欲しがっていた人がいたのであげちゃったよ」
「そうなんだ。ごめんね。用事がなければ一緒に行ったんだけど…」
「いいよ。またの機会に行こう」
「うん。ありがとう」
有希葉にこういう嘘をついたのは、これが初めてだと思う。
疑われてはいないようだが、胸の辺りに気持ち悪いものを感じる。
なんとなく話を逸らしたくなる。
「涼しくなってだいぶ秋っぽくなったね。今年も夏は暑かったし」
「紅葉はまだ早いかな」
「もっと気温が下がってからかな。平地だと来月ぐらいじゃないと。見に行きたい?」
「行きたい」
期待に溢れる顔でぼくを見ている。
心苦しさが増幅される。
なぜ嘘をついたのか。
正直に水菜月と行ったと言えばよかったのではないか。
もし玲奈と行っていたら?きっと正直に言っていたと思う。
そして別に何の問題もなかっただろう。
なぜ水菜月なら、あんな答え方をしたのか。
あの不思議少女については、話しにくいからだろうか。
そうでないとすれば、何だったんだろう。
水菜月とだったら問題になっていた?そうだとすれば、それはなぜ?
有希葉がなぜか水菜月を気にしているようだったから?
それはあると思う。
だから有希葉に嫌な思いをさせないように嘘をついたのか。
だけどそうだとすれば、それは正しいことじゃない。
有希葉に嫌な思いをさせないようにであれば、そもそも水菜月を誘うべきではなかった。
ぼくは水菜月と二人で行きたかったんだと思う。
その上で有希葉にはそのことを話さないで嘘でごまかしている。
よくないことをしている自覚はある。
こんなことは続けてないけない。
ぼくは有希葉のことをどう思っているのだろう。
水菜月のことをどう思っているのだろう。
「ななくんクラシックなんて好きだったんだ」
「そういうわけでもなかったんだけど、芝居とかよりはいいかなって思って申し込んだら当選した」
「わたしを誘ってくれるつもりだったの?」
「いや…ペアチケットであることに当選してから気づいた」
「え〜なにそれ」
パスタの引っかかったフォークを振りながら笑っている。
「次は誘う前提で申し込むから」
「本当かなあ」
言ってて胸が痛くなるものはある。いい状態じゃない。
早く自分の頭と心を整理しなければ。
「ななくんと一緒に行けるのなら、お芝居でもコンサートでもなんでもいいよ」
かわいい笑顔でそんなこと言われると、一段と罪悪感が増すのだが。
今回のことについては、いまさら本当のことは言えない。
しかし嘘をつき通すのは、たとえばれなかったとしても思いのほかストレスが溜まる。
正直が最善の策というのは道徳的な意味だけでなく、精神衛生の観点でも正しいと思う。
(どう話せばいいのか…)
すぐに答えが出そうにはない。
有希葉を紅葉狩りに連れて行かないと。
スマホでこの辺りの観光スポットを検索する。
街を離れて山のほうに行くと、古いお寺などで紅葉が紹介されているところが結構ある。
「バスで行けるみたい。中央駅から一時間ぐらいかな」
色づいた木々の葉と澄んだ青い空がとてもきれいに映っている。
「おいしそう〜」
有希葉は松茸ごはんや栗ごはんの画像を見ていた。
地元の食材を使ったレストランなども多く紹介されている。
「紅葉よりそっちなの?」
「へへ〜」
コスモス畑もいくつかあったが、紅葉の時期よりは少し早い。
ピンク色の花が一面に広がるのもきれいなのだが、同時には見れないようだ。
「きれいな川があるけど、鮎は食べられるのかな」
「鮎の時期は夏だよ。紅葉の頃には禁猟期間になっているはず」
茅葺きの民家が多数保存されている地域がある。
「ね〜これなんて見たくない?」
有希葉がそう言ってスマホの画面をこちらに向ける。
森と田畑を背景に、特徴的な三角型の茶色く分厚い屋根の木造家屋。
合掌造りの家が映っている。
障子窓の並びから想像するに三階建てか、それとも四階建てだろうか。かなり大きい。
自然の中で自然素材だけで作られた建造物。
普段ぼくたちが目にしているものとは全く違う。
「いいね」
非日常的な風景に興味が掻き立てられた。
「見学できる家とか、レストランやお土産屋さんになっているのもあるみたい」
「レストランて予約できるの?」
「できるよ。ジビエ系だけど大丈夫?」
茅葺きのレストランでジビエ料理。
これまでにない設定だ。
「なんの肉?」
「シカ、イノシシ、カモ、クマ…クマ?」
有希葉がスマホを握りしめたまま、目を見開いている。
「クマ?クマって書いてある!!クマってくまさん?くまさん食べるの?」
確かに熊ってあんまり食べるイメージじゃない。
どうやって食べるのだろう。鍋なのかステーキなのか。
「雑食性の哺乳類の肉はおいしくないって聞いたことあるけど…」
「ツキノワグマは植物食の傾向がありドングリなどが主食で肉は食べやすい、だって」
画面を見せてもらうと、豊富な脂と濃厚な旨味、とか書いてある。
熊肉。興味はあるけど抵抗もある。
その姿を想像してもあまり食欲が湧かないというか。
そもそもお店で出せるほどそんなにたくさん獲れるのだろうか?
「でも、流通量が少ないためご予約できない場合があります、ってなってる」
やっぱり。
他のサイトを調べてみると、駆除されたものなどの肉が一部出回る程度のようだった。
有希葉も気にはなっているようだが、それほど食べてみたいわけでもなさそう。
ならば無難な提案をしてみる。
「ジビエ初心者はシカかイノシシあたりからにしない?」
「じゃあイノシシの鍋とかがいい?きっともう寒いくらいになっているだろうし」
猪鍋。それならおいしくいただけそうだ。
「いつ行くか決めたら予約するね」
紅葉を見に行く話だった気もするが、山の幸グルメツアーになりそうな気配。
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