019.旗章と謙心
中央駅の駅ビル構内にあるファーストフード店。
男三人でむさ苦しいお昼ごはん。
旗章と謙心とぼくは、予定のない休日を過ごしていた。
一日たりとも空いている日のない生活は確かに充実はしているだろうけど、どれだけの人がそんなのを望むのか。
それに頭と体は、休ませる時間が必要だ。
詰め込むだけでは消化不良になる。熟成させる時間がより良いものを作る。
そのために充電と熟成のための日程を確保している。
怠惰に見えるのは表層的な話であって、それは本質的な指摘ではない。
だらけているのを正当化しているのではない。
これは必要な時間なのだ。
無の時間が創造性を育むのだ。
テーブルに積み上げられたフィッシュバーガーとコールスローサラダ。
それぞれ空腹を満たすべく、無言でがっついている。
丸められた包み紙が散乱していく。
ぼくが沈黙を破る。
「ゆきがプールに行きたいと言っているのだが」
「行ってくれば?」
「リア充自慢は間に合っているよ」
いやそうじゃなくて。
「みんなで行こうという話なんだけど」
「みんなって誰よ」
「上里五十鈴を誘うとは言っていた。男女比は合わせてくれると思う」
フィッシュバーガーを頬張る男二人。
旗章は「前向きに検討する」という国会答弁のような返事。
謙心は都合がつかないとのことだったが、そもそも乗り気じゃないようだ。
同級生の女の子たちとプールなんて、普通は喜び勇んで来るものじゃないのか。
きみたちは女の子の水着姿より白身魚のフライの方が大事なのか。
有希葉も五十鈴もかなり魅力的な部類に入るはずなのに。
この件はこれ以上の議論は不毛のようだった。
五十鈴の名前を出した時、旗章は微妙に反応したような気がしたのだが。
話題を変える。
お昼ごはんにちなんだ内容。
「普段の食事ってどうしてる?」
「メインは学食かな」
「同意」
「充実してるし安いし」
「それ以外は?」
「コンビニかスーパーで惣菜。あとは外食か宅配サービス」
「自分で作ったりは?」
「レトルトを温めるぐらいかな」
「ななおは自分で作るのか?」
「やったことはあるけど、定着してないな」
「大沢が作ってくれたりは?」
「ゆきがうちに来たことはないよ」
「向こうの家に行ったことは?」
「それもない」
「へー意外だね」
「だね」
お互いの家に入り浸っていると思われていたのか。
「そこまでの関係じゃないから」
「そうか。まあがんばってくれ」
なにを?
全然別な話題。
「鏡に映すと左右は反対になるのに、上下はそのままなのはなぜなのか」
ぼくが暇つぶし的な質問を投げる。
「左右も反対なようで反対じゃないからな」
謙心が打ち返してきた。
「それはどうゆうこと?」
「左手のあるところ左手が映るだろ?頭があるところに頭が映るように」
「それは確かに」
「右手のあるところ右手が映る。足があるところに足が映る」
「ではなぜ左右は逆になると表現するのだろう」
「上下という概念と左右という概念が、似て非なるものだからじゃないのか?」
「どう違う?」
「そうだな。東西と南北みたいなものか」
「向きが90度違うだけでは?」
「地上にいればな。だが地球儀を見れば違いがわかるだろ?北極と南極はあるけれど、東極や西極はない。北に向かって進んでいけばいつか北極点に達し、さらに進めば南に向かい始める。しかし東に向かって進んでも東極点なんてものはないし、どこまで進んでも東に向かって進んでいく。東西と南北はなにかが違う」
「どう違うのかは説明できる?」
「これは俺個人の考えであって確証はないのだが、南北は地球の自転軸に沿った直線方向の概念で、東西は自転軸を中心とした回転方向の概念なのではないか?」
「上下左右はどうなる?」
「上下は鉛直方向の直線的な南北に近い概念であって、左右はそれを中心とした東西に近い回転方向の概念なのかもしれない」
「ふーん」
「左右が回転方向の概念だとして、それがなぜ逆向きになるのかはうまく説明できないな。鏡に映すと奥行方向が逆転することに関係するかもしれない」
これ以上は頭が痛くなりそうだ。
旗章はフッシュバーガーに夢中になっている。
俗な話題に戻る。
「ななおって上岩瀬とも仲いいよな。茶道部の」
「そうだね」
「どういう関係なわけ?」
「玲奈のことは好きだよ」
旗章と謙心がそろってそれぞれオレンジジュースとコーラを吹き出す。
しれっと本音を言ってしまったが、通常の文脈ではこの表現は誤解を招く。
「そういうことをさらっと言うのか?」
「二股なのか。忙しいね。しかも名前呼び捨て」
「え?あっそういう意味じゃなくて、あの子おもしろいからというだけであって、深い意味はないから」
補足を入れるがたぶん無駄。
「…へえ」
「深い意味って何だろうな」
フィッシュバーガー摂取に戻る二人。
「きみらは女の子には興味はないのか」
「ないこともないけど」
奥手な男子を世間では草食系というらしい。
世の中にはアリクイみたいなおとなしい肉食動物や、アフリカスイギュウのような獰猛な草食動物もいるのだが。
「ななおほど無節操ではないと言うか」
節操はあるつもりだが。
「一人に絞った方がいいんじゃないか?」
「そうじゃないんだ。ただの友人だから。異性だというだけ」
異性の友人というのが微妙なポジションに見られるのは理解するが、同じ学校の同級生と普通に交流するのがそんなに壁のあることなのだろうか?
思春期の若者は難しい。
「耳の穴は左右になるので、右から来る音と左から来る音を区別できるのはわかるが、前後上下からくる音を区別できるのはなぜなのか?」
また暇つぶし的な質問を投げる。
左右に耳があるだけなのであれば、前から来る音と後ろから来る音は区別できないように思われる。
片隅にスピーカを置いて音楽をかけた状態で部屋の中に立ち、目を閉じてゆっくり回転する。
するとどの方向から音が聞こえているか、確かに把握できているように感じる。
「聞こえ方が微妙に違うのを、無意識に判断しているんだろうな」
耳たぶの形状により聞こえ方が異なるからだとなにかに書いてあったが、なにがどう違うのかいまいち実感できない。
さらには斜め方向から来る音も区別できているように感じる。
左右の耳に届く微妙な波長のずれまで脳で把握できるということなのか。
「右耳と左耳で聞こえ方が違うよね?」
それはぼくも気づいていた。
普段は全く気にならないが、同じ人の声を片方の耳を塞いで注意深く聴くと、右と左で微妙に違うのだ。
それは目でも同様に感じていた。
右目と左目では位置が違うので見え方は異なるのだが、それだけではなく色彩もわずかに違って見える。
「左右の違いが立体的な感覚を作っているのかもな」
なんでもない会話が取り留めもなく続く。
平和な時間と空間。
こういうのがずっと続けばいいのだが。
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