016.有希葉と水菜月
真実とはなにかといった哲学じみた議論は、形は違えど昔から誰もが一度は頭を悩ませたことだろう。
人が一番納得できるまたは説得できる説明が真実だなんて打算じみた結論は、あまり受け入れられそうにはないのだが、それが最善というか最も都合のいい解釈であったりすることはよくあるように思う。
たとえそれが理想的な答えではなかったとしても。
博物館に行ってから数日後。
いつものパスタ屋で有希葉とお昼ごはんを食べていた。
今日は結構混んでいて、大体のテーブルは埋まっている。
「休み前に泳ぎ行こうかと言ってたのに、まだだったね」
「早く連れて行ってよ」
「水着は買ったの?」
「買ったよ☆超かわいいの。早く見たいんじゃないの?」
見たいことは見たい。
「あとディナークルーズも楽しみにしているからねっ」
覚えていたか。
食事をしながら二人で話すのは、なんてことない話題がいろいろ。
学校のこと。最近できたお店のこと。友人のこと。
ニュースになっている事件とか事故とか。
毎日暑いとか。最近雨が降らないとか。キャベツが値上がりしたとか。
「カニが苦手なんだっけ?」
「あ知ってたんだ」
「五十鈴から聞いた」
「あの何というか、独特の甘みみたいなのがあるじゃない?あれがちょっとだめなの」
「エビは平気なのに」
「エビとカニは違うの」
「五十鈴が人生損してるって言ってた」
「あの子だってトマトとアボガドが食べれないなんて言ってるのよ?もったいないと思わない?」
好き嫌いは誰だっていくらかはある。苦手なものは仕方がない。
だけど摂取できない食料が多いというのは、生存確率的に不利だ。
異常気象が続いて食べられるものがズワイガニしかないとなった場合、有希葉は生き残れるだろうか。
「もし最終戦争が勃発して世界の大半が荒廃し、カニの缶詰以外の食料がなかったとしたら」
「田んぼを耕してお米を作るから大丈夫」
「銘柄は」
「あきたこまち」
米を作るのには何ヶ月もかかるのだが。
「最終戦争終了後、極度の管理国家がこの世界を支配。全国民の労働は党が管理し、ゆきは蟹工船で働くことになり」
「なにそのディストピアでプロレタリアな設定」
歳を取るに従って好みが変わったりもする。
子供の頃に苦手だったものが食べられるようになったり、その逆だったり。
奈良漬けなんて、子供の頃はなんという変な味なんだと思ったが、大きくなるとあれがクセになったりした。
「ゆきも大人になれば好みが変わるかも」
「子供扱いしないでよ」
「人は何歳になっても成長できるってことだよ」
有希葉がむくれた顔をしている。
「別にカニを食べなくてもたんぱく質は他で摂れるし」
本格的に嫌なようだ。
この話題は終わりにしよう。
「五十鈴がロケットを作ると言っていたのだが」
「うん。あの子ずっと前から言ってる」
「なにが彼女をそんなに夢中にさせたんだろうな」
「子供の頃にロケットの打ち上げを実際に見たことがあるんだって。相当衝撃だったみたい」
「ゆきはどう思う?」
「わたしが資金調達するの」
それでファンドマネージャーなんて言っていたのか。
「人工衛星を小型軽量にして低軌道に乗せるのであれば打ち上げコストは比較的安くできるし、それでいい用途が見つかればビジネスになると思う」
「民間の通信用とかかな」
似たような話を五十鈴とした気がする。
「有線や地上無線よりもメリットがあれば…すぐに思いつくのは僻地利用だけど、ニーズはあまりないだろうし…」
低軌道だとしても地上から数百kmの距離がある。
地上の通信機がそれだけの距離でも届く電波を出せなくてはいけない。
それに比較的安くと言っても、地上に基地局を作るよりさらに安くできるか。
初期費用と維持費用の両方を含めて。
なんてことを真面目に考えているんだな。この二人は。
有希葉の肩越しにお店の入り口が視界の中にある。白い格子の扉が開く音がする。
一人の女性が入ってくるのが見えた。知っている人だった。
桂川さんが長い髪を後ろで束ねて、水玉のブラウスにスカート姿でショルダーバッグを掛けて席を探している。
開いている席はぼくたちの横のテーブルしかない。
目が合った。ぼくと有希葉に気づいたようだ。
有希葉は背中向きになるので気づいていない。
彼女はこちらに近づくと、黙って隣のテーブル席に座った。
有希葉はぼくが隣を気にしている様子に勘付いたのか、そちらに視線をやったあとにぼくの方を見る。
なにか言いたそうな目をしていたが、黙っていた。
隣で店員にカルボナーラのセットをオーダーしているのが聞こえてくる。
やや気まずい雰囲気が流れる。
「泳ぎに行く話だけど、せっかくだし他の友達も誘ってみようか?」
「うん…じゃあ五十鈴も誘ってみる。ななくんも誰か呼ぶ?」
ぼくと有希葉はなんでもないようなおしゃべりを続ける。
しばらくして店員が料理を隣のテーブルに運んでくる。
一人で無言でパスタを食べているのを、視界の端でなんとく捉えている。
こちらを気にしているかどうかは…目の前に有希葉がいる状況ではちょっと確認できない。
ぼくは隣の席を気にしていないふりをすることに努めた。
がそれでも仕草に出ていたかもしれない。
桂川さんのことはいずれ有希葉には話しておくべきだとは思うが、なんて言えばいいのかずっと考えていた。
有希葉がなんとなく気にしているのはわかる。
ぼくがそれに気づいていることに、有希葉も気づいているだろう。
であれば、なにも言わないでいるのはきっと不信感が湧いてくることになる。
ここはきっとあまり込み入った説明にしないほうがいい。
別に女の子の知り合いなんて学校にはいっぱいいるわけで、普通にその中の一人にしておけばいい。
五十鈴や玲奈たちとも仲がいいんだし、別に他に知っている子が増えたところでなんてことない。
自然に軽く顔見知りだってことにしておこう。
隣でフォークをお皿に置いて、グラスのジュースを飲んでいるのが視界の端に見える。
彼女は食事を終えると、なにも言わずこちらを見ることもなく立ち上がって会計を済ませると、白い格子の扉から出ていった。
「ななくん、さっきの人ってこの前に駅ですれ違った人?」
扉が閉まる音がすると同時に有希葉が聞いてくる。
「そうだよ」
「どこで知り合ったの?」
「あ、ああ、前にちょっと助けてもらったことがあったんだ。駅前の横断歩道でちょっとぼうっとしてて、自転車にぶつかりそうになったところをその、うまい具合にね」
有希葉はぼくの表情と視線に不自然なものを感じているようだった。
なぜこういうことにはそんなに鋭いのだろう。
「そしたら同じ学校の人で、そのあと校内でも時々見かけることがあったから、少し話したりすることがあるくらい」
「ふうん」
あまり見ない有希葉の冷たい表情。
この時はこれ以上は桂川さんについて聞いてこなかった。
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