010.上岩瀬玲奈
帰宅部といえど、授業が終わってすぐに帰るのは寂しいものがあった。
放課後、談話室にくつろぎに行く。
その一角は一段高くなった畳敷のスペースになっていて、茶道部の部員がときどき使っていた。
「北山くん、一杯やってく?」
金髪に近い明るい茶髪ショートの女の子が一人。
花柄の和服姿で茶碗を器用に指で回しながら話しかけてくる。
上岩瀬玲奈。茶道部。
ちょっとしたきっかけで、以前からお茶をお呼ばれするようになっていた。
「普段から和服なの?」
「違うよ。今日は気が向いたから。似合う?」
鮮やかなピンク色の振り袖。
よく似合っている。とてもかわいい。
「きれいだね。振り袖が」
「中身は?」
「中身も」
「『も』ってなによ」
手慣れた隙のない作法で茶碗に湯を注いで、茶筅をしゃかしゃかしている。
とても絵になる光景。
「なに?見惚れてるの?」
「そうだよ」
「正直ね」
率直に言ってぼくはこの子が好きだった。
しかし恋愛の対象という意味でなく、普通に友人として。
有希葉と二股かよ、と言われそうだがそうじゃない。
有希葉のことは恋愛の対象と見るべきかの葛藤があるけど、上岩瀬さんはほんとに友人。
そもそも彼氏持ちだったはず。うわさだけで本人から聞いたわけじゃないけれど。
お茶と和菓子をいただきながら世間話。
「わたし、モビルスーツを作りたい」
… Pardon ?
「モビルスーツよ。連邦から独立するために戦うやつ」
力強い言葉と、その手には茶碗。
この国はいまでも独立国家だ。
しばらく前にロケットを作りたいとか言っているポニテガールがいたが、その上を行きそうだ。
「モーターヘッドでもいいけど」
ヘッドライナーにでもなるのだろうか。
「だから理工系に行きたいのだけど、物理学が全然よくならなくて。北山くんは成績いいよね?アインシュタイン方程式とか訳わかんない」
「高校の物理にアインシュタイン方程式は出てきませんが」
「ビアンキの第二恒等式から基本計量テンソルを掛け合わせて...」
「そんなのは大学入試にはありません」
この人、どんな本で勉強してるんだろ。
ちょっと前に同じような会話をした気がする。
「しかしなぜモビルスーツを作ろうと?」
「わたしが乗るの」
「そりゃいいね」
二足歩行系のロボットって、確実に乗り心地が悪いはずだ。
乗り物酔いにならないか不安だ。
「乗ってどうする?連邦と戦うの?」
「戦争なんてしないわよ。でも格闘技にしたらおもしろそうじゃない?」
危険極まりないのでは。
中のパイロットは無事じゃないと思う。
「迫力ありそうだね。人気出るかも」
とりあえず話を合わせておく。
「操縦が難しそう」
「指の一本一本までパイロットが操作するのではなくて、パイロットの意図を機械が汲み取って半自動的に動作するようにしないと無理ね。人はそんなに大きな体を操るようにはできていないもの」
真剣に考えているようだ。語らせると長くなりそう。
実現できたら確かにすごいとは思うが…。
畳の間で振り袖姿で抹茶をいただきながらする会話としては、なかなか斬新だ。
「今年の研究テーマは決めた?」
「土佐日記」
さっきまでとはいきなり路線が違う。
「なんでまた」
「紀貫之ってアンドロイドだったという説があるの」
ないと思います。どこネタなのそれ。
でもオネエだったのかもしれないという気はしないでもない。
「西行が異世界人だったという方がまだ可能性があるんじゃないか」
「なに言ってんのよ。あるわけないでしょ」
全否定なのかよ。
似たようなノリなのに。
「土佐日記からどうやって紀貫之の正体を確認する?」
「同じ経路を旅するの。道中になにか痕跡が残っているはず。楽しそうじゃない?」
「土佐の国から京都まで二ヶ月ほど歩くのだが」
「さすがに歩かないわよ。列車かバスとかで移動するから」
「一人で行くの?」
「ううん、北山くんも一緒に」
いつの間にそんな話に。
「なんで嫌そうな顔してるのよ。荷物持ちが必要なんだけど」
やっぱり。
丁重にお断りする。
後で聞いた話なのだが、荷物持ち役が見つからなかったのか結局は文献調査のみにしたらしい。
仮説を裏付けるだけの証拠が見つかるとは思えないが。
古代の埴輪を見て宇宙人だとかいう人もいるぐらいだし、そういう話はいつでも興味を持つ人たちがいるんだろうな。
「上岩瀬って長くて呼びにくくない?」
「かっこいい名前だとは思うけど」
「玲奈でいいよ」
「女の子を下の名前で呼び捨てするなんて」
「あ気にするんだ。照れてるの?」
「きみの彼氏さんに怒られそう」
「彼氏なんていないわよ」
「そうなの?うわさで聞いたような」
不本意だったのか玲奈の声が低くなる。
「なにちょっとそんなうわさがあるの?わたしが誰と付き合ってるって?」
「いや具体的な話じゃないけど、また聞きしたぐらいで」
「それでなのか!!わたしこんなにかわいくてスタイルも良くて性格もいいのに、誰からも全然告白っていうものがないのはっっ!!」
「それは別の問題なのでは」
モビルスーツで格闘技なんて言わなければ、振り袖姿でお淑やかに茶筅を振っていれば、きっとモテると思います。
「北山くんに告白されたらちょっと悩んじゃうかなあ」
「しませんから悩まなくていいです」
自分でかわいくてスタイルも良くて性格もいいと言っていたが、それほど間違ってはいない。
この学校の男子どもは興味がないのだろうか。
性格はすこしクセがあるかも知れないが。
「ところで」
上岩瀬女史の目が怪しく光っている。
とても嫌な予感。
「北山くんにちょっと聞きたいことがあったんだけど」
「なんでしょうか」
「この前、見たんだけど」
「なにを」
「誰なの?あの子」
「話が見えないです」
目を逸らしてしらばっくれることを試みる。
無駄な抵抗かもしれない。
「ときどき思うんだけど、なんで敬語になるの?」
「敬語には二つの意味があります。一つは相手を敬うため、もう一つは相手と距離を置くため」
「わたしを敬うのはいいけど、なんで距離を置くの」
「警戒すべき時であればそのように」
「ということはやっぱりやましい事があるんだ。やらしー」
「なぜそうなる」
お茶を一口。
「で?」
「はい?」
玲奈の視線が突き刺さる。
どこで見つかったのか知らないけど、ごまかせそうにない。
「駅前のコーヒーショップから出てくるところ見たよ」
ああ、あの時か。
「ただの知り合いだよ。たまたまあそこの横断歩道で会ったので、ちょっとお茶してただけ」
事実を述べている。やましいことはないはずだ。
「彼女さんも了解済みなの?だったら修羅場になることもないか」
「そういうのじゃそもそもないから」
「でもきれいな子だったよね?わたしにも紹介してよ」
「機会があればね」
玲奈は女の子が好きなのだろうか。
実は百合なのか?そうなのか?
だから彼氏がいないのか?
しかし桂川さんもこの学校の生徒のはずなのに、まだ校内で見かけたことがなかった。




