うちの家と姉を搾取しようとしている姉の婚約者をどうにかしたい
「ふん、相変わらず地味な女だな」
開口一番、姉を貶める男はちびで馬鹿、かつ運動音痴。
血筋だけがご自慢のチンケなモブだった。
鏡でも見て来いやと言ってやりたくなるほどの、全く優れていないお顔立ちをされている。
うちの親が言いたいことも言えない養分気質なのをいいことに、我が家に買い物のツケを平気で回してくるグレイトなクソだ。
そんな疫病神に我が家が取り憑かれたのは、王都に近く、広めで豊かな所領のせいだろう。
家を継ぐ男児がない上に、当主に男兄弟がいない素晴らしい条件の伯爵家なので、公爵家の馬鹿息子の婿養子先に狙われたのだ。
派閥の雄からの申込みに否と答える気概が父親にあったのなら、こんなことにはならなかった。
バッタみたいに媚びへつらって、あんなクズに姉と爵位を捧げてしまったのだ。
突然降って湧いた公爵家との縁組に、自慢ダイスキーな母は目の色を変えてチヤホヤと歓待し、何を言われてもへいこら聞き入れて、クズは立派なドクズ様へ進化したのだった。
元々おとなしい性格の姉は、図に乗ったドクズに何かと馬鹿にされて罵声を浴びせかけられているうちに、すっかり生気を失ってしまった。
学校の成績だって、ドクズよりはるかに優秀だったのに。
嫉妬したドクズが文句を言うので、わざと間違えて答えたり、出来ないように振る舞ったりするようになってしまった。
「こいつは本当に、陰気で馬鹿でどうしようもない。それに引き換え、マリアちゃんはほんっと可愛いよな。俺、金髪碧眼って好きなんだ」
ドクズの粘りきった視線がこっちに回ってきた。
姉の前でわざと私を持ち上げて、姉を傷つけるいつもの作戦だ。
ほんと腐ってる、この男。
「もう、モーガン様ったら。そんなこと言われたら、困っちゃいます」
こっち見んなよな、このブサイク!と、心の中で罵倒が止まらない。
だがそれでもこいつは、公爵家の御曹司。
伯爵令嬢の私は、話を茶化して目をそらすことしか出来ないのだ。
あしざまに罵り、殴りつけ、その尻に奥まで棒を突っ込んで奥歯をガタガタ言わせることは、どんなに願っても叶わない。
「ははは、結構本気なんだけどなっ」
「あはは、ご冗談ばっかり」
その濁りきった両目にWピースをねじ込みたい。
そんな衝動と戦いながら、私は愛らしく微笑んだ。
「俺、もしかしたら姉妹丼、いけるかも」
百万回焼き殺しても許されない世迷言を、同級生相手に口にしていたのは既に把握済みだ。
このキモキモキモのキモ・オブ・ザ・イヤーめ!
無言で虚無の時間をやり過ごしている姉を、私は横目でそっとうかがった。
モーガンの馬鹿が地味と揶揄する姉は、髪と目がこげ茶色なのと顔立ちがあっさりしているだけで、普通にちゃんと可愛い。
子供の頃は痩せ気味で貧相だったかもしれないが、ここ一年でぐっと体つきが女性らしくなっていて、妹でもはっとさせられてしまう美少女に育ってしまった。
しかも白くてもちっとした美肌なため、思わず触りたくなってしまう。
ドクズに気が付かれては、待ったなしで危険にさらされてしまう。
姉付きの侍女と連携し、出来るだけ野暮ったく見えるような服や髪型を選んでいるものの。
最近ドクズの目つきが、あきらかに変化してきた。
姉の成長を勘づいたのか、二人きりになると、ベタベタ体に触れようとしてくるらしいのだ。
半泣きの姉が、そのことを告白した日。
溢れる殺意で、私の頭と身体はどうにかなりそうだった。
さすがはこの国のクズの最高位だ。
結婚するまで手出し厳禁という、貴族の掟まで軽々と乗り越えやがって。
なぜ神は、あのクズに存在を認めたのか?
そして我が親はどうしてこんなにも頼りにならないのか?
「若い男ってのはそういうもんだ」と父はクソを擁護し、「そういうことは女が上手くかわすものよ」と母は姉のせいにした。
何の役にも立たなかった上、姉を追い詰めるのだから、もうこいつらは居ないほうがいい。
貴族社会の上下関係に絡め取られて、娘を守ることも出来ない存在に親を名乗る資格はない。
姉を守れるのは、もう私しかいなかった。
「力が、力が欲しい!」
なんとかしてあのドクズなエロテイカーを、我が家から排除しなければ。
「はぁぁぁ、公爵家滅ぼしたい」
「ずいぶんと軽々しく物騒なことを」
私の心からの呪詛に、扇片手に深々とため息を吐いたのが隣国の王女シモーヌ様だ。
烏の濡羽色の艷やかな髪に、エキゾチックな金の瞳。
長身で凛とした雰囲気の美女だが、私より胸がつるぴたなのが私の好感度を劇的に高めている。
一学年上の王太子狙いで潜入してきた隣国のリーサルウェポンと噂されていて、腫れ物扱いだったのをこっそり親しくなったのだ。
「誰に聞かれているかわからないのに、まったくマリアったら」
「誰も来ないですよ~? ここはシモーヌ様専用の場所なんだし。ねえ、ねこちゃん?」
そう言って私はシモーヌ様のお膝で日向ぼっこしている、小さな黒い猫を撫ぜた。
ここは学校の貴賓室に備えられた独立した小さな庭で、私達はその中にあるガゼボでお茶を飲んでいた。
貴賓室は食堂の奥にある建物にあって、王族やシモーヌ様のような他国からの賓客が食事を取る場所だった。
「貴女だって、そこから来たでしょうに?」
シモーヌ様は食堂の裏庭との境にあるフェンスを睨んだ。
艶々した長いまつ毛がバサッと揺れる。
ほんと綺麗な人だなあとつい見惚れてしまう。
ほんの一月ほど前だ。
そこでねこちゃんを見つけて弄り倒していたら、柵越しに声を掛けられたのだ。
ねこちゃんがシモーヌ様の愛猫で、捕まえたねこちゃんを渡すために部屋へ招き入れられたのが最初だった。
それが縁で仲良くなった私は、こうやってたまに招かれて、食後のお茶をご一緒する。
「あ~あ、王太子様が姉をあいつから奪ってくれたらいいのになぁ」
「殿下に選ばれるほど、貴女の姉は美しい? 王太子妃になるには所作や学業も完璧を求められるけど?」
私は静かに首を横に振った。
姉の魅力は、一目でビビビと響くようなものじゃないんだな。
でも一緒に過ごしていたら、王子様もそのうち姉を好きになっちゃうかもしれない。
姉は優しい上に賢くて、何より気遣いが自然で丁寧。
だから一緒にいると、じんわり優しさがしみてきて、なんだかほこほこしてしまう。
「でもね、姉は勉強はちゃんと頑張ってますよ。自分よりいい点数だとクズ男がめちゃめちゃ怒るので、試験は手を抜いていますけど」
「そう」
シモーヌ様はそっけなくそう言ってしばらく黙った。
感情があまり出ないから、冷たく見えてしまいがちだけど、めちゃめちゃ親切な方なのだ。
たかだか伯爵令嬢に過ぎない私のぼやきを、最後まで聞いてくれて、いつだって真剣に考えてくれる。
姉とはタイプは違うけど、シモーヌ様は優しい。
「救うだけの価値が己にあることを、きちんと証明するようにと伝えなさい」
「証明?」
「まずは第一クラスに戻ることからね」
学園は成績順でクラス編成がされる。
入学時には第一クラスだった姉は、今年はクズと同じ第三クラスになっていた。
「でも、姉がいい成績を取るとクズが暴れるんですよ」
「気の毒だと同情するのは容易いこと。だけど道を切り開くには、まず己が斧を振るうべきです」
シモーヌ様は厳しい。
ぴんと背筋を張るこの方は、私の愚痴を聞いてくれても慰めないし、甘えさせてはくれない。
それでもこの方の前で、辛いことを辛いと言うことを許されて、私はとても救われたのだ。
「マリア、本当に貴方の姉がその男と破談になってもよいのですか?」
何もかも見透かすような金の目が、私に覚悟を問う。
姉が家を継がないということは、あの男と私が結婚するということなのだ。
何度も何度も悩んではぐるぐる苦しんだ。
それでも私は、大好きな姉が不幸になるのは辛いのだ。
「姉を犠牲にして、のうのうと暮らせないですね。私は」
「そんなに震えて、泣いてしまうほど恐ろしいのに?」
泣いてはいけないと思うのに、ボロボロと涙が流れた。
多分、シモーヌ様の前だからだろう。
何でも話せる優しいこの人の前で、私は無防備になってしまうのだ。
猫から離れた手が、私の濡れた頬に触れる。
にゃーと泣いた小さな獣は跳ねてどこかへ走り去ってしまった。
「マリア、何を捨てるかを決めるのです」
長身のシモーヌ様らしい、女性にしては長い指が私の顎にかかった。
「お前が自分を諦めないで良い道を、私は絶対に探します」
私に道を指し示した尊いお方は、苦しげな顔で私に微笑む。
「あんな男に、決してお前を渡したりはしないから」
泣きそうな金の目が、私の体の動きを縛った。
シモーヌ様の美しいお顔が近づいてくる。
「マリア、私がお前を奪うことを許して」
その唇が私の唇に重なった時。
シモーヌ様が女性でないことに、私は初めて気が付いたのだ。
それから半年が経ち、姉は見事第一クラスに出戻った。
何しろ試験の度に上位十位に食い込んで、王子様やその側近とデッドヒートを繰り広げたので、先生方も認めざるを得なかった。
「お前! 俺よりいい点取るなんてどういうつもりだ! 」
「モーガン様、私だってお役に立ちたいのです」
姉の快進撃に、怒鳴り散らしたドクズだったが、姉は自ら絞り出した筋書きを熱演し、見事その口を塞いだのだ。
「マリアがシモーヌ様を紹介したと聞きましたの」
姉に頼まれてシモーヌ様を拝み倒し、一度だけモーガンを姉の婚約者として来賓室に招いてもらったことがある。
在学中の公爵家の息子なのに無能過ぎて、同級生の王太子様の視界に一切入っていないモーガンは、それはもう舞い上がった。
さんざん周りに吹聴し、お前と違ってマリアはすごいと、姉をくさすネタにしていたのだ。
「殿下と同じクラスになって親しくなれば、モーガン様を殿下にご紹介出来るはずです」
「ふぅん、すぐ妬きやがってよぉ。ま、お前が俺のためにどうしても頑張るって言うなら、やってみれば?」
都合よく勘違いしたのか、それ以来モーガンは姉の成績に文句をつけるのを止めた。
覚醒した姉は、調教師のように奴の手綱を取れるようになっていた。
突然頭角を現した姉は、クラス替え前から殿下達に一目置かれることになった。
何しろ成績不振で底辺クラスまで脱落した令嬢が、二学年の後半から、いきなりトップレースに躍り出てきたのだ。
第一クラスに戻ると優秀な人材として声を掛けられ、気が付いたら王太子様が会長を務める生徒会に、手伝いに駆り出されるようになった。
ドクズのせいで生気を失い、同級生との交流も控えるようになっていた姉は、ドクズとクラスが離れたことで、本来の人懐っこさを発揮しだした。
姉の奥ゆかしさや穏やかさは、じわじわと周囲の人々を癒やし、高位令嬢の扱いにくさを知っている高位貴族の子息達は続々と姉に心を奪われていった。
何より優しく、気配りのある姉である。
女生徒達もみな姉が大好きで、友達になりたがるわけで。
そんな姉がどんなにモテても、そりゃ好きになっちゃうねと、姉の好感度は同性の嫉妬までも抑え込んだ。
最終的に姉は殿下の御心まで見事射止めてしまったのだ。
ドクズはいっちょ前に嫉妬を燃やしたり、姉に横恋慕する子息たちに文句を言ったりしていたが、所詮公爵家の三男坊など王太子の前では無力。
娘の居ない公爵に殿下がさりげなく根回しすると、あれよあれよと言う間に姉とドクズの婚約は円満に破棄された。
実利に聡い公爵は息子の婚約者を養女にして、次代の王妃の実家になることを選んだのだ。
「モーガン様、こんなことになるなんて」
茫然自失のドクズに、ヨヨヨと涙を見せた姉は、すかさずドクズを奈落へと叩き込んだ。
あいつは王子ではなく、俺のことを愛している!
そう勘違いしたドクズは、夜会帰りの姉を待ち伏せして、無理やり自分の馬車に乗せたのだ。
すぐさま馬車は、王太子自ら指揮をとった近衛隊によって発見される。
そしてドクズは王太子の婚約者を拉致監禁した人物として、逮捕されてしまった。
公爵家が自領の四分の一を王家に献上することでなんとか極刑だけは取り止めになったものの、モーガンは貴族籍を剥奪され、王都から離れた辺境の修道院に預けられることになった。
実質流刑である。
「まさか本当に全部上手くいくなんて」
ガゼボから眺める庭は薔薇の甘い香りでいっぱいだった。
あと半月ほどで、庭でお茶は無理な季節になる。
そして来月は私達の卒業式だ。
去年王太子妃となった姉のお腹には、もう赤ちゃんがいる。
「シモーヌ様のおかげです」
「私は何もしていないよ」
ガゼボの長椅子に腰掛けて、私を腕の中に閉じ込めているシモーヌ様が男の人の声で囁いた。
「私がしたのは彼に一度だけ、この部屋を許しただけ」
「いっぱい助言してくださったし、ご協力してくださったじゃないですか」
姉がすぐに助け出されたのは、シモーヌ様がモーガンに見張りをつけてくださっていたからだ。
杜撰な計画だったのでいずれは捕まっていただろうけど、姉の名誉が保たれたのはシモーヌ様のおかげだった。
「だけど運命を変えたのは、マリアの姉が覚悟を決めたからでしょう?」
そう、シモーヌ様と初めてキスをしたあの日。
私は姉にすべてを打ち明けたのだ。
シモーヌ様が本当は隣国の王女ではなく、大国である帝国の皇太子だということも。
継承権争いで殺されそうになり、従姉妹である隣国王女のふりをして、縁が薄いこの国に匿われていることを。
帝国へ戻る時は、私を妻として連れて帰りたいと婚約の指輪を渡してくれたことも。
そしてそのために、我が家を食い物にする公爵家を逆に手懐けて欲しいということも。
「ずっと私さえ我慢をすればといいと思っていたの。だって私が逃げ出せば、マリアがモーガンと結婚することになるから」
すべてを話し終えた後、姉は泣きながらそう言った。
やっぱり私のために、優しい姉はドクズから逃げ出さないで耐え続けてくれたのだ。
「マリア、安心して。私が貴女をシモーヌ様の元に安心して嫁げるようにしてあげる」
優しい姉は私の結婚のために、本当の自分を取り戻してくれた。
あんなクズには絶対に釣り合わない、優秀で優しくて思いやり深い素敵な私のお姉様に。
「それにしても公爵家を本当に奪ってしまったね」
シモーヌ様がおかしそうに笑う。
公爵家が手放した所領を王太子様を通じて実家に渡せるように、姉は画策しているのだ。
跡取りが居なくなった実家を自分たちの子どもの一人に継がせて。
王家預かりになった公爵家の所領を賜り、新たな公爵家を誕生させるのだ。
モーガンの実家としたら苦々しい限りだろう。
だが姉は私を養女にすることまで取引材料にして、ドクズのことで大打撃を受けている公爵家を意のままに操っている。
皇妃を家から出すのは最高の名誉だが、財政的には公爵家はさらなる打撃を受けるだろう。
「お義父様、わたくしは受けた恩を忘れないつもりですわ」
楚々とした微笑みを浮かべながら、じわりじわりと公爵家を弱らせていく姉の姿を思い浮かべると痛快だ。
「モーガンがあれほど姉に執着していたなんて、思っていませんでした」
大丈夫だ。俺が絶対に守るから。
姉を辻馬車でさらった時。
ドクズは暴言など一切口にせず、姉の手を両手で握りしめて真剣な顔でそう言ったらしい。
まるで権力者に引き裂かれた恋人同士のような言い草で、姉はたいそう驚いたという。
「伯爵家の跡取りになりたいだけの人だと思っていたのに」
姉との破談直後。
次女の私との婚約を待たず、モーガンは公爵家のお金までかき集めて、本気で姉と駆け落ちをするつもりでいたらしい。
「私のことはお忘れになって。ご自分を大事して欲しいの」
「嫌だ! お前だって俺と離れたくないだろう?」
姉は吹き出しそうになるのを必死に押し殺し、貴方の身が心配だとしくしくと泣いて見せたそうだ。
「よく上手く乗り切れたね。彼も高位貴族の端くれでしょう。後が無いのはわかっていたはずだから、下手をすれば大変なことになっていたでしょう」
シモーヌ様の言葉に、私は改めてゾッとする。
追い詰められて無理心中とか、許せなさすぎるわ。
「でも不思議なんですよね。そんなことするほど姉が好きなら、どうしてあんなに姉をいじめていたのかしら?」
「少し、わかる気がするかもしれない」
シモーヌ様はそう言って、昼下がりの強い日差しに目を細める。
「私達は母親の身分や生まれた順番で、価値が決まってしまう。彼はきっと公爵家を出て、伯爵家の養子に入ることを恥のように思っていたのかもしれない。従姉妹に成り代わってまで、この国に逃げてきた私のようにね」
そう言ってシモーヌ様は後ろから私をぎゅっと抱き締める。
「私はね、マリアが子猫のように迷い込んでくるまで。誰とも深く付き合わないと決めていたのですよ」
いつ見ても無表情な、孤高の王女様だったシモーヌ様を思い出す。
たしかに近寄りがたい雰囲気で、令嬢達もそわそわしつつ、声を掛ける者は居なかったのだ。
「貴方にも最初は冷たくあしらっていたつもりです」
「でもシモーヌ様はお優しかったですよ。この部屋に招いてくれたし、話も聞いてくれたし」
「それはマリアが猫のように懐くから」
ふふふとシモーヌ様が思い出し笑いをする。
「許さなくていいのです」
春の終わりの小さな庭を眺めながら、シモーヌ様は長い年月で積み重なった澱のような私の暗い感情を許してくれる。
それはきっと、シモーヌ様も同じような仄暗い思いを隠し持つからなのかもしれない。
「どんな理由があったにしろ、貴方の姉を傷つけてきたのは彼なのですから」
甘い薔薇の匂いの風が、シモーヌ様の黒髪をさらって、私の顔をさらさらと撫でた。
ほんと馬鹿だったね、モーガン。
身分だけが取り柄の冴えない男であったとしても。
大切に扱ってちゃんと優しくしていれば、姉はきっと貴方を見捨てなかった。
大好きだったから、怖かったのでしょう?
姉が貴方より素敵な人に、出会って恋に落ちるのが。
自分の立ち位置に姉を引きずり降ろすのに必死になって、貴方はしてはならないことを姉にした。
人はすぐに大切なことを見失う。
「どんな相手であっても、知っている人を失うのは辛いものです」
「相手、ドクズなんですけどね」
「それでも、人を憎み続けるのはとても苦しいことだから」
殺されそうになってこの国まで逃げてきた人なのに。
思ったよりお人好しなシモーヌ様はそう言って、私の後頭部に鼻を押し付けた。
「ちょっと吸わないで」
「猫吸い」
「もう、猫じゃないです」
継承権を巡って争っていたシモーヌ様の異母兄の勢力は、先週制圧されて全員処刑されたのだという。
それでも仲良かった頃の思い出はあったのだろう。
誰もが最初から悪ではなくて。
少しずつ、少しずつ、変な風に変わっていって。
最後は取り返しがつかなくなってしまう。
そういえば初めて家に来たドクズが、すごく照れた顔で姉に人形を渡していたことを思い出す。
陶磁器で出来たその人形は、姉が家を出る最後の日まで姉の部屋に置かれていた。
何もかも最悪ではないから、人の心は複雑なのだ。
「もう、だから猫じゃないですって」
「ほぼ猫でしょう」
じゃれ合う私達の足元で、にゃーんとねこちゃんが不満そうに声をあげた。
( お わ り )