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――エムリス――
滞りなく式が終わり、そのまま流れるように案内されたのが初等部棟・剣術科一年の教室。半円状に並べられた階段式の座席でどの位置からでも黒板が見やすいようになっている。
要はクラス分け。新初等部生徒と、そのクラスの担当となる講師の初顔合わせである。何事も始めが肝心……だというのに。
「ふわぁああ~……めんどくせぇ。俺はヴィル=ノーマン。今日からオマエら雛鳥の担当講師だぁ~。よろしくなぁ~。にしても自己紹介とかめんどくせぇなぁ……。何がめんどくせぇって、そりゃあアレだよアレ、あー……なんか説明すんのもめんどくせぇ……」
「「「…………」」」
あたしを含めた生徒全員が言葉を失った。呆れて言葉が出ないって本当にあるんだなー、と生まれて初めて実感している。
見たところ二十代後半から三十代。干からびて死んだカエルのような目に弛み切った目尻。覇気のない気怠そうな顔に締まりのない輪郭。寝癖だらけの黒髪頭。加えて猫背。まるで人生に疲れたオジサンのような風貌だ。
(……どんだけめんどくさいんですかっ!? というか、なんでここはこゆー人たちばっかりなんですか……!?)
「……ふわぁぁああああ~。ダメだ眠すぎる……」
式場での席配置がそのまんまクラス内での席順に反映された為、しょうがないとは思う。
けどこのままだとあたし自身、やる気のない生徒とやる気のない教師。いずれ二人の怠惰が伝播して自分まで怠惰になってしまいそうな気がする。
「ヴィル=ノーマン先生、よろしいでしょうか?」
「ん。あーお前は、え~っと……エムリス=メルリ。メルリ? ひょっとして帝国名物夫婦の御令嬢様かぁ?」
「その呼び方ヤメてください。けどあたしの夢はパパとママのような立派な騎士になること。あたしだけでなく皆本気で騎士を目指してるんです! ですからもっと真面目にやってください! あとさっきからずーっとあくびばかりしながら半寝しているそこの不良男子!」
「……ふぁぇ? ひょっとしてぼく?」
「あなた以外に誰がいるんですか!」
こういう不良な人たちにはビシッと言った方がイイ!
ここまで不真面目だとさっき言っていた入学の動機だって本当かどうか怪しいものだ。
まぁあたし個人としては嘘か真かなんてどうでもいいけど。
それでも他の生徒のやる気を削ぐそうな態度はやはり許せない!
「二人ともやる気がないなら出て行ってください! ほかの生徒にも迷惑です!」
「失礼な! ひとを見かけや態度だけで判断しないでもらおう! ぼくはやる気がないんじゃなく、ただ眠いからめんどくさいと思ってるだけだ! ぼくを死んだカエルのような目をしてた怠惰の塊と一緒にしないでくれ!」
「おいおい小僧。確かカール=ジュワースっつったかぁ。そりゃあこっちのセリフだぜ。それじゃまるで俺がただのサボり魔みてーに聞こえるじゃねーかぁ。俺はただ労働と勤勉が嫌いなだけだぁ。むしろ神聖なる授業の初日に堂々と惰眠を貪ってるオマエの方がよっぽど怠惰じゃねーかぁ」
「――お互いにしょうもないブーメラン投げ合わないでください!!」
もうこのクラス嫌……と思うと、何だかどっと疲れが押し寄せてきた。なんだろう……この虚脱感。これは悲しいや絶望というより諦め。これ以上物申した所で全くの無意味なんだろうなと思ってしまった。
そして今度は青色髪の男子が手を挙げた。
「センセー、自己紹介よりもおれは早く剣を振りてーんですけど!」
「え~っとオマエは……ベティ=ウィル? あー、大手重工グループのボンボンか。股間にぶら下がってるモンすらちゃんと振れねぇガキがせっかちなこったぁ」
「――なんだとコラぁーっ!!」
「――セクハラですっ!!」
虚脱したのも束の間、また突っ込んでしまった。
「はン。六歳児の楊枝なんざセクハラの内に入るかよ。ただまぁそうだな。元よりウチの学院は実力至上主義。新政権になって学院の環境や姿勢が変わろうがぁ、方針は変わらねえ。高みを目指さねーヤツに騎士たる資格はねーしなぁ」
「それじゃあ――」
「……しゃーねぇ。着任早々に面倒この上ねーがこいつも仕事だぁ。給料分は働かねーとなぁ。オメーら教室出ろ。これから学院の案内がてら修練場へ行く。……メンドーだがな。ちっ。『働く』とか俺がこの世で最も嫌悪する言葉だぜ」
「「「…………」」」
おそらくだけど生徒全員(一人居眠りしている少年を除いて)こう思ったに違いない。
……こんなのが担任でほんとうにだいじょうぶなのか? と。
◇
初等部専用・屋内修練場。
剣術の授業のみならず、雨天時の運動も想定して造られているが為にかなり広い。矮躯な子供くらいなら軽く百人以上は遊べそうなスペースがある。
おまけに考える事は皆同じと言った所か、どうやら先客がいるようだ。
「おォーノーマン殿! やはり貴殿も来られていたか!」
「……ちっ。よりにもよって一番暑苦しいヤロウと被っちまった。面倒くせぇ」
「そう言われるな! 同じ初等部の担任同士、粉骨砕身で頑張ろうではないか! 私のアン(上腕二頭筋)も喜んでおりますぞ! ――フッンッ!」
「自分の筋肉に名前付けてんじゃねーよ。めんどくせー」
生気全開の向日葵と枯れた雑草、綺麗な水と使い古した油のような二人が並んでいた。
「剣術科の諸君、お初に目にかかる! 私は槍術科一学年担当講師:アンソニー=デニーロと申す! シンボライズは筋肉! 好きな言葉は粉骨砕身・力戦奮闘・艱難辛苦・七転八起・絶対友情・完全勝利である!」
ノーマン先生とは対照的にゴリゴリの体育会系。
年齢はノーマン先生と同じくらいかやや若い感じの風貌。逆立った黒髪に爽やかな顔立ち。ローブをコート風に羽織り肩から下の袖を切り落として細マッチョな二の腕を強調するように晒している。
「あの! デニーロセンセーがアレク=サンダーさまの師って本当ですかー!?」
「うむ! ノーマン殿、あの少年はどなたですかな?」
「んあ……あーあれはベティ=ウィル、ウィル家のボンボンだぁ」
「なるほどそうであったか! あの大手重工グループで名高いウィルグループ家の御子息であったか! 確かに私は当時アレクの担当講師であった! よく知っていたな少年!」
「おれの夢はアレクさまの後を継いで将来はラウンズのエースになることだから!」
「うむ! あの者も今やラウンズの一番槍! 明確に高い目標を持つのは素晴らしい事だぞウィル少年! 科目こそ違うが、学院の生徒である以上紛れもなくキミも私の生徒だ! 訊きたい事があれば何でも訊き給え! ――フッンッ!」
「いちいちマッスルポーズ決めてんじゃねーよ。暑苦しいしめんどくせー」
確かに暑苦しい熱血先生だけど、やる気ゼロの不良先生より百倍マシかも。
「んじゃま。めんどくせーが、修練の前に軽く説明でもしとくかぁ。入学して早々に怪我でもされたんじゃあ更に面倒くさくなるからなぁ」
と、ノーマン先生は棺くらいの木箱から一本の剣を手に取った。
大人一人入れそうな位の木箱から取り出した割には随分と小さくて短い。かといって短剣にしてはやや長い気もする。
「んじゃ問題だ。おい、そこのリスっ娘。この剣何に見える?」
「――誰がリスっ娘ですか!?」
確かに同性同学年からしたらやや小柄で、身長体重ともに平均より下回っているし。周りの友達からも「小動物みたい」だとか言われた事もあるけども。
「別にリスは悪ぃ動物じゃねーし悪意も他意ねえ。んな事より今は授業中だぁ。問題に答えろ真面目っ娘」
「ただの鉄剣……にしか見えませんが」
「半分正解半分ハズレだぁ。こいつゎ初等部修練用の模造剣。鉄の重みこそあるが鉄製ほどの強度はねーし。当然刃も付いてねぇ。更に身体が未発達のオマエら一年生に合わせて外側を薄く中を空洞にしてある。んな訳で論より証拠――」
と、唐突にノーマン先生はすぐ真横にいるアレク先生に斬り掛かった。
「……なっ、あぶなっ――!?」
「――フッンッ!」
あたしの叫び声を他所に鉄剣の方が先に折れ、折れた刀身の中から砂が飛び出した。
「……へ?」
「ハハハっ! ノーマン殿も人が悪い! 如何に模造剣といえど鉄剣でいきなり人を斬ろうとするのは心臓に悪いですぞ! ハハハっ!」
「これも修練の一環だぁ。物事ってーのは常にこっちの都合に合わせちゃくれねぇ。いつも急だぁ。若けー内に慣れといても損はねえ」
斬り掛かられた方のアレク先生が何事もなかったかのように笑っている。
「見ての通り、この模造剣の外殻はめちゃくちゃ薄い。極薄にまで研いであるから硬度も皆無だぁ。ぶっちゃけ大人くらいの腕力があれば木の棒みてーに簡単に折れる。だから仮に斬られたとしても、オマエら初等部の腕力なら軽い打ち身程度で済む。加えてこの中には芯の代わりに砂が詰め込んである」
「あの……わざわざそんなメンドーな剣で練習する理由は何なのでしょうか? 木剣じゃダメなんですか?」
「木剣と鉄剣とじゃあ材質から重さに至るまでほとんど別モンだぁ」
「うむ! 騎士を目指すキミ達は遅かれ早かれ本物の剣を手にする日が来る! しかしキミ達が本物の剣を手に出来るのは早くても中等部からである!」
「流石にガキに本物を持たせる訳にはいかねーからぁ。かといって変に木剣を持たせて変な癖が付いても面倒だぁ。なら初めっから『鉄』に慣れといた方がいい。刀身の中に砂が入ってるのも本物の重さを早い段階から知って慣れておく為だぁ」
「うむ! 無論キミ達一年生の体格に合わせて本物より若干砂の量を減らせて軽くしてあるが、それでも木剣よりは重いぞ! 故に常日頃からの筋トレは必須である! ――フッンッ!」
「だからいちいちポーズを取るなうぜぇ。そして暑苦しい」
と、一間置き。
新クラスの交流も兼ねて一丁ペアを組んでチャンバラといくかぁー、と。
ノーマン先生は相も変わらず気怠そうに指示を出してきた。けどまぁ剣を使っての交流は騎士専門の学院らしい挨拶と言える。
「ノーマン殿、せっかくなら剣術科と槍術科でペアを組むのは如何だろうか?」
「それじゃあ槍術科が圧倒的に有利じゃねーかぁ。得物のリーチ差を考えろ筋肉バカ。相手は今日入学したばっかの初等部だぞ。交流以前に出鼻から生徒のモチベ下げてどーすんだぁ」
確かにそれはキツい。
いくらあいさつ程度の練習とはいえ剣と槍とじゃ武器の長さが違う。入学したばかりで基本の『き』の字も教わってないあたしら剣術科では一方的にやられて終わりそうだ。入学早々、剣術科と槍術科で溝も出来かねない。
デニーロ先生の合図で生徒の皆が挙って木箱から模擬剣を取り出し、ノーマン先生がペアを決めていっている。しかも心なしか身体の大きい子と小さい子、気の強そうな子とそうでない子、力の強弱を明確に分けている。おそらく差別や虐めを出さない為だろう。
(ノーマン先生、ちゃんとあたしたちのこと見てくれてたんだ)
気怠そうに「面倒くさい」を連呼してはいるものの、生徒の事をちゃんと見てるし考えてくれている。少しだけ見直した。
「おいリスっ娘、オマエはそこの惰眠を貪る睡魔小僧とペアな」
「――はぁあああっ!? ……なんでよりにもよって一番やる気のなさそうなカール君とペアなんですかっ!?」
「あーそれはアレだぁ。優等生と不良生徒って意外とイイ感じにバランスが取れたりするモンだろぉ? ラブコメのお約束だなぁ」
「…………」
前言撤回。やっぱりただのロクでなし教師だった。
「ふわぁあああ……。んじゃあやろっかエムリス」
「……もういいです。反論するのも疲れました」
あたしは観念して模擬剣を手に取る。
やる気ゼロの人と剣を合わせた所で得るものなんて無いだろう。そもそも入学初日から夜遊びした挙句に寝不足になって登院するだなんてありえない。信じられない。そんないい加減な子と交流を結んだ所で意味はない。むしろ自分にとってマイナスにもなりかねない。
しかしこれは授業だ。先生がペアを決めた以上は従わなくてはならない。
「先に言っときます。あたしは物心ついた時から剣を握ってます。悪いけど寝不足だからって手加減しないから。あたし不真面目な人って大っ嫌いなの!」
「ふわぁあああ……ひでー言われよう。にしてもようやく本音が出たね」
むっとするあたしに対し、カールくんはあくびをしながらも自然な笑みを浮かべた。
「なにがおかしいんですか?」
「いや。ただパパやママから堅すぎるとか、もっと柔らかくなれよとか言われない?」
「……うっ! そ、それは……」
確かによく言われる。
「マジメなのはイイことだとぼくも思うよ。でもそれって自分に対して常に厳しくしてるってこと。自分を厳しくし過ぎると段々その重みに耐えきれなくなっちゃう。やがて抱えきれなくなって潰されちゃう。だから今怒って、ちょっと本音を言えて、少しは気持ちが軽くなったんじゃない?」
「ハッ! ひょっとして……カール君がさっきから不真面目に振る舞ってるのはあたしの性格を最初から知って――」
「いや。夜出歩いて罰もらって餓死しかけて寝不足なのはガチ」
「……むぅ~~うぅ~! ――やっぱり嫌いですっ!!」
またもや騙される所でした。
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
エムリスは恥を隠すように、または今の恥を有耶無耶に消し去るように剣を振るう。
何故か全て簡単にガードされて往なされているけども、構わず攻め続ける。
その最中でそうこうしていると――
「センセー! おれはこんな剣じゃなく『宝具』を振るいたいです!」
ベティが声を上げ、先生らが初めて怪訝な顔をみせた。
「宝具だぁ~。オマエ、学院の案内書読んでねーのかぁ? 十年早え」
「残念ながらベティ少年よ。初等部で宝具の所持使用は認められてはおらん」
「そもそも宝具ってーのは魔導兵器だぁ。言わば戦う為の武具。子供でも大人を殺せてしまうような代物だぁ。ンな危険なモン、おしめも取れてねーようなジャリ公においそれと持たせられる訳ねーだろ」
「でもこの学院なら宝具も使ってもいいって、とーさまが……」
「ベティ少年の父君が仰っていたのはグハール政権時での話であろう。前政権下では確かに宝具の取り扱いに制限はなかった。しかし新皇帝たるユーサー殿の政策では宝具の取り扱いに関していくつかのルールが設けられたのだ」
「宝具を持っていいのは準騎士以上、または準騎士以上の階級を持つ教師の認可を得た十六歳以上の学生。それ以外だと皇帝、あるいはラウンズの認可が必要なる。元々ウチの学院は帝国認可の国立だかンなぁ。国のトップが決めたんならそれがルールだぁ。ま、そゆー訳で十六になるまで我慢するんだなぁ――って……おい! どこ行く気だぁ、マセガキ?」
「ならやめます! こんな学院」
「あぁン……?」
「おれは大手重工ウィルグループ家の人間で貴族だ! 鉄の扱いなんか今更だ! こんな玩具の剣なんかで練習して遠回りしてる暇なんかないんだ! おれには夢を叶えるだけの『力』がある! 父さまに頼んでそこら辺の準騎士に家庭教師してもらった方がよっぽどマシ――」
と言いかけた刹那だった。
ノーマン先生がふと消えたかと思いきや、気づいた時にはベティの後頭部を押さえ付けながら馬乗りになっており、そのあまりの速さに当の本人すら押し倒された事を後から気づいたようだった。
「…………。……え?」
「あんま調子くれてンなよマセガキ。鉄の扱いなんざ今更だぁ~? 乳離れも出来てねー小便臭ぇガキが他力本願で『夢』だの『力』だの『騎士』だのほざくな。思い上がりも甚だしいぜ。土台も基礎工事も出来てねえ家は簡単に瓦解する。ンなモンは見てくれだけの空っぽの家に過ぎねえ。剣も同じだ。見てくれだけの騎士擬きなんざ戦場ですぐに死ぬ。覚えとくんだな」
ノーマン先生が初めて見せる顔に、ベティはただただ畏怖するだけで「……は、はい。す、すみませんでした。ごめんなさい」と蒼白気味な顔で謝っていて、あたしら生徒はみんな無言のままその光景を眺めていた。
――そしてこの時、あたしらは初めて自分の担任を知った気がする。




