3-3
――カール――
――はっくしょん! と。
何処かで誰かに陰口でも言われたのか、寒くもないのに急にクシャミが出た。
「春風邪でも引いたかな?」
鼻の孔から自然と流れ出る体液を啜りながら、カールは学院内の闘技場に佇んでいた。
ユッサーが言っていた『爆弾』。それはあくまで例えであってミサイル等の類ではない。
皇城カリスから向かって飛んでくる爆弾。悟極の一つである『本能』の探知・索敵能力で確認した。
この移動速度と魔力量、そしてこの圧倒的な威圧感には覚えがある。
……。
…………。
………………。
それにしても、まさかあのグハールが魔獣趣味だったとは意外だった。
てっきり英雄の血統、強者の血筋、如いては皇族・貴族の血にしか興味がないと思っていたが、よもや生前魔獣の研究を行っていたとは――
「一体何が目的で魔獣なんてモンを調べてたんだろうなー?」
瞼を閉じながら、静かに思慮を巡らしていたカールはゆっくりと背後を見た。
そこには実に珍しい金属の球体が浮いていた。
「その小型無人機みたいな真似事止めたらどうだ。オメーがただの浮遊物体でないことも理知ある魔獣だってのは判ってるし。既に大方の察しも付いてる」
「……」
「セレクションなる素人連中を目にした時からおかしいとは思ってたよ。あんな隠密の『お』の字も戦闘の『せ』の字も基本の『き』の字すら知らねーような似非貴族、もといド素人集団が国家転覆を図るだなんて」
「……」
「考えるだけならそこら辺の野盗程度にまだ可愛げがあった。けど実際にエムリスの素性を調べ上げ誘拐まで画策し実行したともなれば話は別だ。誰だって疑う。こりゃ裏に何かあるってな。それが保険的なモノなのか、あるいは切り札的なモノなのか。いずれにせよ本命は別にいる。それこそ帝国を落とせる程の化け物が」
「……」
「もう一度言う。いい加減、UFO《未確認飛行物体》の真似事なんざ下らねー事をしてねーで素のテメーで来いよ、頂点捕食者――いや! 元聖エクス大帝国・第二十六代皇帝:グハール=ジ=アリオス!」
「…………。ふ。くふふ」
一間置くと。
謎の球体は不気味な笑みを溢しながら溶けた金属のように液状化。縦横自由自在に伸び縮みしては大きく広がり、徐々にヒトの形を成していく。
しかしその姿はヒトに非ず。頭は竜骨のスケルトン。赤い目と二本の角を生やし、全身を隆起ある体鱗で覆い強靭な尻尾を生やしていた。まるでヒトの形をしたトカゲ、死を象徴とする悪魔そのもの。
「よく気づいたな小僧。しかし似非か。童風情が中々に言うではないか。連中とて仮にも貴族。知識や経験は乏しくとも受け継がれた魔力と宝具は本物だ。それを一人で軽く瞬殺するとは恐れ入った」
「いっくら血や才能に恵まれようが、それに見合うだけの知識と技術がなきゃ宝の持ち腐れさ」
「乏しい魔力を技術でカバーした貴様らしいセリフだ」
「まるで見ていたような口振りだな」
「事実見ていたからな。特等席で」
「妙だな。あの時は周りに誰も居なかったはずだが?」
「悟極か。神楽ノ国の初代長が切り拓いたとされる超感覚。悟りの境地を極め真理を体得した者。あらゆる五感を研ぎ澄ませる事で他の生物全ての位置や行動、攻撃のパターンまで読み取ってしまうとされる破格の力。――よもやその齢で極東の秘技まで体得しているとは何者だ?」
「カール=ジュワース、ただのしがない孤児さ」
「度し難し。王を前に戯れると為にならんぞ」
「戯れてんのはオメーの方だろ」
魔王。
魔獣が幾多の交配を続けていく中で稀の稀に生まれるとされる亜種であり『頂点捕食者』。
世界中を探しても数体程度しか確認されていない希少種で別名を『魔獣の王』と呼び、蜂で言う所の女王蜂に相当する。一見魔獣よりも矮躯で虚弱そうに見えるものの戦闘力は魔獣とは桁違い。かつてはたった一体で大国をも陥落させたとも言われる超S級の特定危険生物だ。
「何で死んだハズの人間が現世にいる? 地獄で閻魔に土下座でもしてきたか? それに何だよその姿? よりにもよって魔王の身体なんざで復活してくるだなんて冗談にしても質が悪ぃ。もっとも大方の想像はつくけど」
「ほぉー。申してみよ」
「オメーは生前からなにかと胡散臭かった。おそらく魔王の幼体でも密かに飼ってたんだろ。いざ自分が死んじまった時の保険として、魂の入れ物たる『器』とする為に。成体だと鹵獲は難しいが休眠状態の幼体なら不可能な事じゃねーからな。禁忌に手を出してまで玉座に座り続けたかったか?」
「『ジ』の血を持つ者は生まれながらに英雄であり王、『ジ』は人の上に立つ宿命にある。『ジ』は帝国の宝。強者の証。我程『ジ』を重んじる者はいない。であれば我の亡き後、一体誰が英雄の血を保守出来る? 誰が永続出来る? 当然保険くらい用意する」
「まさに血の亡者。死んで尚も血に妄執するか」
「妄想ではない。列記とした事実。英雄の血はこの世にとって必要不可欠な存在だ。童にもいずれ解る時が来よう」
「生徒を操ってんのもオメーだろ」
「ふむ。次代を担う優秀な血は補完しとかなければならんからな」
「魔道具《理想郷》――その鈴の音を聴いた者は夢幻へと誘われ『夢の牢獄』に囚われるだけでなく、現実の肉体の自由をも奪われる」
「左様。鈴の音の効果範囲は使用者の魔力量によって決定する。この魔王の身体をもってすれば学院の生徒全員を操るなど爪先を摘まむ程度のこと。――故に……なんとも不思議な光景だ。何故童は催眠に掛からぬ? 何故我の魔力の圧を前にしながら然も平然と立っていられる? 魔王の魔力に抗える童がいるとは実に信じ難い光景だ」
化けの皮を剥いでやろう、とグハールが高速で飛び掛かってきた。
カールは寸前の所で避けると同時に反撃に出る。
が、模擬剣で斬り掛かるも魔王の身体を持ったグハールは悠々と刃を鷲掴みにし、難なく俺の身体ごと振り払う。身体が小さく体重も軽いがゆえ布切れのように簡単に跳ね飛ばされる。
「……くっ!」
だが俺は布切れじゃない。飛ばされたまま風に乗って何処かに流されてやるつもりはない!
カールは胸の重心を使って態勢を変え、別宅の壁をバネのように反動をつけて反撃に出る。
突進術からの横薙ぎ、上段からの逆袈裟。そして真向斬り。流れるように剣戟を加えるも全て両腕で防がれている。けれど圧は与えられた。
すると――
「……」
グハールは怪訝な瞳で目を細め。同時に自身の手を眺めながら、何かを確認するように独り言をボヤき始めた。
「……どういうことだ、これは? 本来斬れぬハズの模擬剣に魔力を纏わせるだけでなく、悟極の一つである『気功』をも織り混ぜて練り上げる。魔力と気の練り上げは超が付く程の高等技術だ。それ故に習得するには才有る者でも数十年にも渡る歳月と鍛錬を要する。――それを然も手慣れたように。まるで出来て当たり前の如く使いこなしている。見様見真似でもただのハリボテでもなく。これは紛うことなき騎士の剣――」
「……」
「しかもこの魔力の質――悟極の練度と技巧――力の入りと抜きに無駄のない鋭い太刀筋――嵐にも似た怒涛の剣戟――そして人の身らしからぬ並外れた速力。加えて我に対する不敬で粗暴な態度――……よもや貴様!」
「なるほど。魔王の身体に入り、最上位級の魔力回路を得た事で目と感度が人間時の比じゃなくなっていたか」
なら、もはや隠す事に意味はない。
「カール=ジュワースってのはどっかの嫌味な皇帝がテキトーに考えた架空の人間の名前だ。ンな訳だから改めて名乗ろう――俺は新生ロイヤル・オブ・ラウンズ現聖騎士長アルト=ドラン。またこーして顔を突き合わせる事になろうだなんて思いもしなかったぜ、聖エクス大帝国・第二十六代皇帝グハール=ジ=アリオス」
直後。
頭を抱えながら天を仰ぐように、段を上げつつ高笑いした。
「ふ。ふふ。ふははは! フハハハハハッッ! そうか、やはりそうであったか! これは愉快! 先ほど貴様が言ったセリフをそのまま返してやろう! 何だその幼気な姿は? たった二年もの間に貴様も随分と可愛く退化してしまったではないか? 一度殺した相手だからと余裕の構えか? それとも我を謀っているのか? それほど我の癪に触れたかったか? ならば成功だ。貴様は見事我の逆鱗に触れている」
「ネタバラシはしねーよ。意味もねーしな。ただ俺が言いてぇのは――オメーの時代はとっくに終わってるって事だけだ! もう一度地獄へ送り返してやるよ、グハール=ジ=アリオス!」
カールは足に踏ん張りを掛けながら模擬剣を構え、
「驕るな」
グハールも「細切れにしてやる」と言わんばかりに鋭利な爪を立て、
「……」
「……」
コロコロっと。
瓦礫の小石が落ちていくのを合図に、双方が踏み出し。
――激突する。
しかし結論から言って勝負にすらならなかった。
模擬剣はいとも容易く砕け、獣の如き爪はそのまま俺の腕を掠める。
そもそもの話、模擬剣は剣の中身の芯を抜き空洞状にして子供でも簡単に扱えるようにしただけでなく、かつ幼児が振り回しても怪我をしないよう安全を重視して作られた物だ。元々戦う為に設計された物ではない。セレクションの連中を相手取った時のように互いの実力に圧倒的な差があるのなら未だしも。
敵が自身と同等、あるいはそれ以上の力の持ち主ともなれば得物の差は大きなハンデだ。
今のグハールは魔力を持った獣の王様。弱肉強食、食物連鎖の頂点に立つ『魔王』である。そんな相手に子供用の玩具で挑むだなんて無謀もいいとこ。自殺行為に等しい。
解ってはいた。
理解してはいたが、それでもここで退く訳にはいかない。
学院の皆も助けなきゃだが、今コイツを野放しにしてしまえば確実に帝都は落とされる。
多くの民草が血統だけで選別され、淘汰される時代に逆戻りだ。
「……くっ!」
「衝突の際に爪先をズラし、致命となる心の蔵を避けてワザと利き腕とは逆の方に当てたか。流石だと言っておこう」
「そりゃあ……褒めてんのか」
「賢明な判断だと言っている。もし脳筋に真っ向勝負していたのであれば今頃貴様はこの場に立ってはいなかった。いくら魔力や気を練り上げて纏わせようが、所詮は児童用玩具。我も爪に魔力を通しているのだからソレは何ら優位には働かない。同じ魔力同士がぶつかり合えば芯のある方に軍配が上がるのは必定」
「……」
「同時に愚とも言える。負けると分っていながら何故退かぬ? 今の貴様に勝ち目がないのは貴様自身が一番理解しているはずだ。どのような経緯で、どのような目的を持って、どのような手法を用いてそのような姿になったのかは知らんが。今の貴様はラウンズどころか平民の一学生にも劣る」
「……」
(ちっ。この野郎……気づいてやがる!)
俺が最も知られたくない事実に。
「貴様とて承知のはず。ヒトは生まれながらに魔力容量、泉たる絶対魔力量が決まっている。宝具や魔術を用いる際、ヒトはその泉から器となる杯を使って掬い取り、魔力回路を通す事で始めて力が発現する。器となる杯の大きさは個々人によって様々だが、それは当人の成長と共に大なり小なりと変化し、泉から掬い取れる魔力量に応じて強い力が行使出来る。それは精神面に限らず身体の成長も含まれる。言わば今の貴様は――魔力の泉こそ深く広大ではあるものの、肝心の『器』は身体が幼児化してしまった事で年相応のモノになってしまった。違うか?」
「……わざわざ一からのご説明痛み入るよ。思わず涙が出てくるね」
「それでも退かぬのは聖騎士長としての矜持か、あるいは使命か。いずれにせよ、今の貴様は多少ばかり魔力の扱いが器用なだけの只の童に過ぎん。いくら悟極と併用させようが子供の身体であれば恐れるに足らず。圧倒的な力(魔力)の前では全てが無意味だ」
「試してみるか」
得物の無くなったカールは拳を構えた。
「聖騎士長ともあろうものが剣でなく拳を構えるか。ご自慢の宝具すら使えぬとは。見苦しい事この上ない。哀れな。せめてもの情けに帝国の真王として引導をくれてやる」
グハールは人差し指を銃口のようにして狙いを定めると、鋭利な爪の先端から淡い紫色の魔力が集まっていく。一滴の蛍火にも等しい灯は徐々に膨らんでいき――一縷の光線となる。
一線に伸びる光は地表まで抉り、闘技場のみならず高等部区画を真っ二つにする勢いで長距離に延びていく。光の熱はコンクリート盤の道路だけでなく大気までも焦土と化し、気づけば溶土になっていた。
(……くっそ! デタラメな技出しやがって!)
間一髪避けたカールは「ちっ!」と舌打ちながら、グハール目掛けて駆けていく。
一区画を真っ二つにする程の超長距離砲撃。広範囲の極太レーザー。大気をも燃やす熱量。そしてそれらを連射可能される魔力量。乱射されようものなら闘技場どころか学院都市そのものが終わる。
カールは闘技場の石柱を足場に反動を付けて急加速。かつ背後へと即座に回り込み、魔力付きの小さな拳を顔面へと叩きつけるも届かない。届いていない。
「魔障壁を膜状にして全身を覆っているのか!?」
「そんな驚く事でもなかろう。原理的としては貴様も同じようなもの。魔力も気も身体に纏わせれば己が身を守る鎧と同義。攻撃を防ぐ盾にもなれば矛にもなる。貴様が矛を使ったゆえ我も盾で防いだまでだ。貴様の拳が届かないのは使用している魔力量の桁が異なっているが故」
「ぐっ……はぁぁっ!」
グハールは俺の頭を鷲掴みにし、掌で視界を奪いながらそのまま地に叩きつけた。
そして付け加える。
「何度も言わせるな。戦う前から既に分かっていた筈だ。幼児化してしまった今の貴様は帝国の守護神に非ず。ただの無力な童に過ぎん」
崩御せよ、偽帝の剣――