岐路の先、そして――
夕焼けさえも遮る分厚く黒い雲が、天を支配していた。
カラン、コロン 。カラン、コロン。
市街地の外れ。
人気の無い舗装された道を老人が下駄を鳴らしながら歩いている。
(……っち、降りそうになってきやがった)
時間的には夕暮れだが、黒雲のせいで普段よりも薄暗くなりつつあ
昼前に確認した天気予報ではあと一時間は猶予があったはずだがどうやら雨雲の動きが予報よりも速いらしく、今にも降り出しそうな気配だ。
「――ふぅ」
老人――鈴木兵丞は道着と袴を身に纏いゆっくりとその足を進めながら、感覚を、神経を、研いでいた。
今日は兵丞にとって特別な日。
(ようやく、……ようやくだっ)
己の宿望を遂げるため。
そのために世界を渡り歩き、その手を血に染め続けたのだから。
狙うはただ一人の、命。
ただそれだけが、今の兵丞のすべてであった。
(ようやくお前を――――あん?)
ほんの一瞬だけ感じた、鋭い殺気。
その方向は兵丞から見て左側。通り過ぎようとしていた神社の鳥居の先に、ポツンと立っている人間がいた。
「――俺を誘ったのは、お前さんだな?」
兵丞は男に歩み寄りながら声をかける。
「鈴木兵丞殿とお見受けいたします」
濃紺の道着と黒い袴だけを着た男、が真っ直ぐに兵丞を見ていた。
「ああ、確かに俺は鈴木兵丞だが、……そういうお前さんは何モンだ?」
兵丞の記憶には無い顔だった。
「俺は、そうッスね……名乗るほどの者じゃありませんよ」
悩むような仕草をした男だったがそれも一瞬のこと。気を取り直し、戯けた口調でそうのたまった。
「そうかよ」
そんな男に対して、兵丞は一言だけ返す。
(ぱっと見で得物は無し。手足も鍛えちゃいるが拳士には見えんな)
視線を気取られぬように、兵丞は男を分析する。
(となると暗器使いの類いか、あの服装で術師か異能持ちか。どちらにせよ、今は並だな)
現状の情報から兵丞は男を脅威だと感じてはいない。
しかし、いかなる敵であれ侮ることなど愚の極み。それを兵丞はよく知っている。
戦場に立つ者ならば『切り札』や『奥の手』を持っていても、なんら不思議ではないのだから。
なので兵丞は男から視線を外さずに周囲へと意識を向ける。
(……なるほど、そういうことか。くくくっ、俺も随分と有名になったものだ)
「気にならないんスか? 俺がどこの誰なの――」
「――隠れているもう一人も含めて、だ」
「……さすがッスね」
少し驚いた様子の男を無視して、兵丞は淡々と答える。
「お前らがどこの誰であれ、興味は無い」
見た覚えが無いということは親類縁者ではないし、弟子でもその関係者でもないだろう。
つまり最近斬った輩の関係者か、もしくは警察やそれに準ずる組織の者という線が濃厚かもしれない。
どうであれ――
「これから死ぬヤツのことを、いちいち聞いて覚える必要があるのか?」
――罠だろうと謀だろうと、ただ斬り捨てるのみ。
――最上厳十郎以外、全てが瑣事なのだから。
「俺は、興味がありますよ。だってここ最近、よく貴方の話題を耳にするんですから」
そんな兵丞の激情を知ってか知らずか、男は口を開く。
「有名どころじゃアメリカの【新月】、【殺刃鬼】アンダートン、【葬剣】の張兄妹、【闇舞】リーマ、【改人】沢田勝路とか、ぱっと思い出せる有名どころだけでもこんなにいるんですから。ああ【超越剣】にもちょっかいかけたらしいじゃないッスか。随分と派手に暴れ回ってるッスよね」
男が挙げた名前達。彼ら彼女達は今の兵丞を語るうえで外すことのできない存在だ。
「ゴミ掃除の何が悪い? どいつもこいつも、法で裁けんロクデナシ共だ」
「ゴミ、ですか。確かに【新月】と【超越剣】以外は、クソみてぇな奴らなのは否定できませんけどね」
超常現象が関わる事件や事故などにも派遣される【新月】や、ただ『剣の極み』を目指す男は市井の人々にとって脅威ではない。
だが、他の面々は違う。
刃の異能を持つ『快楽殺人鬼』
中国闇社会の最高傑作と名高い『殺し屋』
アフリカの秘密結社を渡り歩く『悪霊の姫』
人体改造の天才を自称する『闇医者』
命を尊いなどと毛ほども思わない、心無き者。
趣味嗜好や金。理解不能な目的や利益のために犯し、奪い、弄び殺す者達。
兵丞が『ゴミ』と呼んだことも理解できる外道達だった。
「――でも、一気に殺しすぎなんスよ。おかげで『裏側』はいつも以上に混沌になってるんスから」
特殊魔合金の檻を斬り裂いて【殺刃鬼】と監獄内で斬り合い、数十名の凶悪犯が脱走。および数百名の終身刑受刑者が死亡し監獄は半壊、周辺国の治安が著しく悪化する。
【葬剣】が出てくるまで犯罪組織の主要幹部を斬り続け、小規模な組織が一七組壊滅。さらに最大組織である『鳳凰会』の頭領と六幹部が死亡し、新興派閥の争いに発展。血みどろの抗争が勃発する。
アフリカ南部では膾斬りにされた【闇舞】を各組織が奪い合う戦闘が発生。それに引き寄せられるように死霊などが大量発生し生者と死者が入り乱れる地獄絵図が展開される。
【改人】から解放された人々が一斉に市街地に押しかけ一時パニック状態となったが、奇跡的に死傷者がゼロで解決。ただ七〇年を超える膨大な研究資料、その一部の流出が確認され現在も流出経路などを捜査中。
白昼の市街地で【超越剣】へ刃を向け、周囲の人々などお構い無しに斬り結ぶ。戦闘の余波に巻き込まれた少年を庇った【超越剣】の左腕を斬り落とすも、そのまま姿をくらませる。
それ以外にも兵丞の『ゴミ掃除』によって何人も始末され、大小様々な影響が出ていた。
「ホント大変だったんスよ? 色んな国の色んな組織とかが協力し合ったから、今んとこ『表側』にゃ目立った被害が出てねぇんスから」
「そうかよ。そいつはご苦労さんだったな」
疲れたような表情と仕草をした男を兵丞は軽くあしらうが、つられて思い出すのはこれまでの人生からは考えられない戦いの数々。
有象無象は別として、名うての強者は当然だが強かった。
それでもその全員を斬って得たものは、今も兵丞と共にある。
(さて、無駄話もここまでにするか。こいつともう一人斬って、次だ)
兵丞はこれまでと同じように立ち塞がる者達を斬ろうと、意識を左手の指輪に集中させる。
「はぁ、つれないッスね――兵丞先生」
「………、なに?」
男の言葉に兵丞の動きが止まる。
「もしかして、教え子のこと忘れたんスか?」
「何を言ってやがる。お前が俺の弟子だと? ふざけるのも大概にしとけよ小僧。歳食っちゃいるがまだボケてねぇんだ、お前みたいな弟子おらん」
兵丞には多くはないが弟子がいる。それに、最年少の弟子ですら年齢は三〇歳を超えている。
よく聞かれるが兵丞は弟子の名前と顔は全て覚えている、だから間違いなくこんなに若い弟子は存在していないのだ。
「いや俺は弟子じゃないッスよ。俺が教わったのは基礎的な部分だけでしたから」
「なんだと」
その言葉に、兵丞は何か引っかかりを感じる。
「そうっスね、ならコイツで思い出せますか?」
男はどこからともなく灰色の板のような物を取り出し、兵丞が見えやすいように掲げてみせる。
「なんだそれは……面か?――っ!?」
それは約六、七年前のこと。
――どうした? もう降参か?
――ま、まだ、できるしっ。
――くくく、なら這いつくばってねぇで立てよ。
――うる、せーよ。今起き上がるから、ちょっと待てよ!!
――誰が待つかよ。
――イッテぇぇええ!!??
それは弟子ではなくとも自身の知識や技術を少し伝えた子供がいたという、記憶。
「くく、くくくっ。はははははははっ!! 随分とデカくなったな――クソガキ」
「――では、改めまして。お久しぶりです、兵丞先生」
ひとしきり笑った兵丞へと、男――最上総護は深く頭を下げた。
**********
「俺が思ってた通り男だったのかよ。それに、もう仮装はやめたのか?」
「それに関しては色々と事情があったんスよ。俺の師匠が誰か、なんて言わなくても分かりますよね?」
二人は五、六メートル程度離れた距離で言葉を交わす。
「……有名人の弟子は大変だな」
「その『有名人』の括りに先生も入ってるんスけどねぇ」
「そうかよ」
そんな他愛もない世間話をしつつ、総護は背中を垂れる冷や汗を感じていた。
(……マジで、変わったみてぇだな)
先程、総護は兵丞が斬りかかるかもしれない気配を感じた。だから自分が厳十郎の弟子であるという情報を使った。
【鬼の兵丞】いや――【大剣魔】と呼ばれ始めた『斬師』からできればもう少し自身で情報を引き出したかった総護だったが、どうやら上手くはいかないらしい。
「――おい、いい加減に出て来やがれ」
それがに総護へ向けた言葉ではないことは、あまりに明白だった。
「おう、久しぶりだなぁ兵丞」
最初からずっと、狛犬に隠れながら様子をみていた黒い着流し姿の厳十郎が姿を現す。
「……ああ、久しいな、厳十郎」
――ポツリと兵丞の肩に水滴が落ち、それを合図にしたように雨が降り始める。
「最近はぁ、ヤンチャしてるみてぇじゃねぇか」
「『ヤンチャ』か。そうか、てめぇにはそう見えるのか。相変わらず偉そうで安心したぜ」
「この程度でぇ『偉そう』なんざぁ思うのはぁ、お前ぐれぇなもんだぜぇ? 相変わらず真面目なヤツだなぁ」
「っち。それで? 真っ黒な服装でどうしたよ? 誰かの葬式でもあったか?」
「いいやぁ、まだだなぁ」
――瞬間、兵丞から鋭利な殺気が撒き散らされる。
「くくくっ、くはははははっ!! そうかよっ、俺を斬りにきたか厳十郎っ!!!!」
――同時に兵丞の左手の指輪が小さく光ると、いつの間にか妖しげな大太刀を肩に担いでいた。
(やっぱあの指輪『魔道具』かよ。どおりで手ぶらだったわけだ)
「お前ぇ紛らわしい指にぃ指輪嵌めてんじゃあねぇよ。ついに堅物がぁ結婚したのかと思うじゃねぇかよぉ」
冷静に分析する総護をよそに、殺気を向けられながらも厳十郎はそんなことを口走る。
「俺をてめぇと一緒なタラシにするんじゃねえよ。お前と違って遊んでる暇は今も昔も無いんでな」
――じゃり。
そう言って兵丞が一歩、踏み出す。
「おい師――」
「――分かってらぁ」
咄嗟に声をかける総護を、厳十郎は手で止める。
「なぁ、兵丞」
「なんだ、厳十郎」
「どうして――」
少しづつ強くなり始めた雨音よりもハッキリと、総護の耳に厳十郎の声が響く。
「――どうしてぇ、こんな馬鹿げたことをぉやってやがる?」
その言葉に、鬼は――剣魔は答える。
「いかに穢れようとも、成すと決めたからだ」
真っ直ぐに、狂気を宿す瞳で厳十郎を睨む。
「てめぇを超える為なら、喜んで魔の道を歩もう。死んで地獄へ墜ちるとも、けっして止まらず、振り返らずに」
それはもう止まることのできない男の、不退転の決意だった。
「……そう、かぁ」
「師匠」
「ああ、任せたぜぇ」
厳十郎と入れ替わるように、今度は総護が一歩踏み出した。
「先生、まずは俺が相手だ」
「ふざけてる、ってわけじゃなさそうだな」
もう一歩、総護に視線を向けた兵丞が踏み出す。
「俺は本気ッスよ。こんなクソみてぇな師匠でもまだ死んでもらっちゃ困るんでね」
斬れ味を持っていると錯覚しそうになる殺気の中で〝隠蔽〟の魔術を解除。腰の魔力を解き『得物』を握ると、再び一歩踏み出す。
「……なるほど。クソガキ、お前もそっち側の人間か」
「なんのことッスか?」
自分の前に堂々と立つ総護を見た兵丞は、独り言近い言葉を紡ぐ。
「才ある者の側ってことだ」
「それは違――っ!?」
否定の言葉はさらに膨れ上がった殺気に断ち斬られる。
「無駄話はもういい。お前を斬って、俺は俺の道を進むだけだ。これ以上、御託を並べたところでそれは変わらん」
雨が、本格的に降り始めた。
「……先生。師匠に代わり俺がアンタを止めよう」
降り頻る雨の中、
「いざ」
――方や身の丈もある大太刀を頭上に掲げ、嗤い。
「……、尋常に」
――方や身の丈もある十手を構え、無表情を装いながら。
「「勝負ッ!!」」
――死合が始まる。




