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とある王女の秘め事

作者: 黒猫B

大罪人ガゼルの釈放が今日、城で執り行われた。


二人の衛兵に囲まれ、

城門に向かって中庭の中をのっそりと歩くその様子は、折り重なった歳月の重さを物語っていた。


ガゼルが第一王女殺しの罪で、王国の城に幽閉されたのは、実に50年前のこと。


勇敢で、心優しく、義に厚いガゼルが、なぜ第一王女を殺したのか。


国中にひろがった疑問も、長き時の中で風化していった。


彼の名を覚えている者も、もう少なくなった。

それは、良いことか悪いことか。


そして、その数少ない一人が、私だった。


城門にたどり着いた、ガゼル一行の前に、私は立ちはだかる。


心地よい風が舞う、温かな陽だまりの中で、私とガゼルは見つめ合った。


「お久しぶりです、ガゼル。50年ぶりね」

「相変わらずお美しく。お久しぶりです、第二王女・サラ様」

「今は…女王よ」

「大変失礼いたしました、女王陛下」


ガゼルは顔を伏せ、視線をそらしながら、私の横を通り過ぎていった。


衛兵たちはガゼルの出所を確認すると、身を翻し、城に戻っていく。


第一王女殺し…姉殺しのガゼルに、私は言わなくてはならない言葉がある。


衛兵たちが遠ざかったのを確認すると、私はガゼルの背を追って、老いた足を走らせた。


私がガゼルに出会ったのは、隣国との戦争が終わって、しばらく経った頃だった。


ひどい戦争だった。数年間にわたるそれは、おびただしい被害をもたらした。

破壊された住居、トラウマを負った兵士、両親を失った孤児。


当時7歳だった私もまた、例外ではなかった。


父である国王の死、そして母である王妃の衰弱。

停戦協定は結ばれたものの、事実上、私の国は隣国の植民地になってしまった。


そんな中で残された、2つ年上の第一王女ルリアと第二王女の私。


女二人。

強い君主をひそかに熱望していた国民の、無言の落胆を私たちは誰よりも敏感に感じ取っていた。


押しつぶされそうな空気の中で、けれどルリアだけは違った。


「私たちで見返してやりましょう。必ずや富国を実現し、復興を果たすのです」


ルリアは、私にはまぶしすぎる人だった。


揺るぎない意志の強さ、皆が振り返るほどの美貌、そして大人を凌ぐ高度な知性。

幼い頃の私にとって、ルリアはまさに自分の理想だった。


そんなルリアと私には厳しい教育がなされた。


いつかの復興を果たすべく、

社交術から護身術まで、ありとあらゆるものを厳しく植えつけられた。


時折行われた、隣国との交流会では、辱めをうけることもあった。


辛く厳しい日々。

けれど、その中で唯一、心休まるひとときがあった。


それは、ルリアとともにお忍びで町に繰り出すことだった。


戦禍(せんか)の中で作られた、王宮の地下道。

避難用のこの道を使って、こっそりと町に繰り出すのである。


町にある市場では、珍しい食べ物やアクセサリ、かわいい洋服に満ちあふれていた。

そして、市場を歩く人々や商人たちはことさらに私たちに優しくしてくれたものだ。


今思えば、慣れない変装をしていた私たちのことなどお見通しだったのだろう。


そんなある日である。


ルリアが1人の男の子を抱えて帰ってきた日は、心底驚いたものだった。


避難用の地下道から戻ってきた彼女の背の上のガゼルは、

骨の浮いた痩せこけた体で意識を失っていた。


明らかに戦争孤児だった。


身寄りのないガゼルは、命の灯火が消えるまさにその狭間にいたのだ。


城の医務室にガゼルを連れて行った後、ルリアは数日間ほぼ寝ずに彼の容体を見守っていた。


そして、数日の介抱ののち、ガゼルはついに目を覚ました。


ルリアや医師が喜びの声を上げる中、ガゼルは放心状態で周囲を見渡した。


そして、その瞳が私と交差した。


まだ回復しきってはいない。

けれど、生命力を感じさせる鋭く力強い彼の瞳は、私の心をつかんで離さなかった。


それが、私とガゼルとの出会いだった。


ーーー


それから10年間、私とルリア、そしてガゼルは城の中でいつも一緒に過ごしていた。


身寄りのなかったガゼルは、城の衛兵として雇われていた。

城内の兵舎で暮らしていたガゼルは、私たちとすぐにでも会うことができたのだ。


中には、血筋のないガゼルと私たちが戯れることを快く思わない人たちもいた。


ガゼルはそうした視線を気にすることもあったが、

私とルリアがお構いなしに関わろうする、というのがお決まりのパターンだった。


年の近かった私たちは、すぐに意気投合した。

とりわけ、衛兵ガゼルの話は、王女生活に縛られていた私たちを楽しませてくれた。


最新武器を使用した隣国との合同訓練、地方視察で見た顔を覆うふしぎな民族、兵舎で行われる月に一度の腕自慢大会…


時にユーモアを交えて話されるそれを、私はいつも楽しみにしていた。


けれど、一つだけ、私には密かな悩みがあった。


ルリアとガゼルについてだ。


私は、ルリアとガゼルの間に、どこか入ることができない何かを感じていた。


二人が同い年だったからだろうか。

ガゼルを助けたのがルリアだったからだろうか。


二人が互いに交わす、誰にも見せることのない優しげな瞳を、私はいつも遠くから見つめることしかできなかった。



ーーー

だからきっと、私は嫉妬していたのだ、自分の姉、ルリアに。

私は大きな過ちを犯してしまった。


ある日のことだった。


隣国の貴族との舞踏会に、私とルリアが招待されたのだ。


事前に渡された招待状には、数曲の曲名が羅列(られつ)されていた。

そして、各曲の横には踊りたい貴族の名前を書く欄があるのだ。


「サラ、誰選ぼうか!」

「私は…誰でもいいかな」

ルリアの好奇心に満ちた顔を横目で見ながら、私は極力、身分の低い男性の名を記入した。


きっと、ルリアは私に気を遣ったのだろう。

彼女も同様に、身分の低い男性の名を書いた。

私の目から見れば、極めて不釣り合いに見えるほどに。


顔を上げたルリアの、健気な作り笑顔に、私は顔を背けることしかできなかった。


舞踏会当日、ガゼルら衛兵に連れられ、隣国の城内にある大広間に私たちは入っていった。


そこで、私は分かり切っていた結末を目の当たりにしてしまう。


隣国の上級貴族の男性が、こぞってルリアにダンスを申し込んだのだ。


上級貴族の誘いを断れば隣国との関係が悪化しかねないことを、私たちは事前に再三伝えられていた。


なのに。


ルリアは私の方にたびたび視線を送りながら、私を気づかうように貴族たちの申し込みを断ろうとした。


壁際でぽつりと立つ、周囲に誰もいない私の方を見ながら。


それが…当時の私には、耐え難かった。


「踊りなさいよ!私たちに、選ぶ権利なんかないでしょう?」

私はそんな捨て台詞を吐きながら、舞踏会の大広間を抜け出してしまった。


煌びやかなシャンデリアに照らされた、隣国の城内を無心で駆け抜けた。


そして、どれくらい走っただろうか。


気づくと、私は城外の庭園に一人立ちつくしていた。


夜空に浮かぶ三日月が、庭園をほのかに照らしている。

冬の冷たい夜風が、火照った頬を優しくなでるように過ぎ去っていった。


この夜の中で、いつまでもたゆたうことができるのならーー。


そんなことを考えた時だった。


「サラ様」

誰もいないと思っていた背後から靴音が聞こえた。

私は大慌てで瞳を拭いながら、振り返る。

そしてそこに立つ人物に、思わず目を丸くする。


「ガゼル、なんで」


灰色のミリタリーコートを着たガゼルが、白い息を吐きながら

私を見つめていた。


「わかりません。気づいたら私も、広間を抜け出しておりました。

 少しの間だけ…お供させてもらってもよろしいでしょうか」


私のことなんて、何とも…。

一瞬、そんな考えが頭をよぎって、けれど私は頭を振った。


そして私は唇を噛み締めながら、ガゼルの前で小さく頷いたのだった。


ーーー

「…私には、何もございません。

 第一王女としての地位も、意思の強さも、知性も、そして美しさも。

 人を思う…優しさでさえも」


庭園の噴水を囲む縁石に、ガゼルと共に座りながら、私は一人悔いていた。

ルリアへ言ってしまった心ない言葉を。


ガゼルはただじっと私の言葉を聞き、そして独り言のようにつぶやいた。


「そんなことはございません。…サラ様は覚えておいででしょうか?」

「…?」

「私が、小さき衛兵として雇われ始めた頃を覚えておいででしょうか。

 あの時の私はまだ、自分の過去に囚われておりました。

 けれど、城の花畑で、サラ様にいただいた言葉で私は…救われたのです」


花畑。その言葉で、私は10年前、自国の城の花畑で、ガゼルと二人きりで向かい合ったことを思い出す。


あの時のガゼルは、両親を戦争で亡くした心の傷を抱えていた。

そして、それは兵役をこなす上で大きな障害となっていたのだ。


彼は、武器を手に取るだけで、体が震えてしまった。

戦争の恐怖が、彼の体の自制を奪ったのだ。


花畑の中で彼は一人、その葛藤に苛まれていたのだ。


「サラ様はあの時言いました。

『もしも、私とガゼルが二人だけになって、敵が襲いかかってこようとしたとして。

その時、もしやはりあなたが怖くて戦うことができないのならば』」


ガゼルは一呼吸おき、晴れやかな顔で夜空を見上げた。


「『私を盾にしてでも逃げ延びなさい』、と」

「…言うだけなら、簡単だもの」

「ですが私は、その時、ようやく覚悟が決まったのです。

 この人のためなら、命を捨てることが、きっとできると」


ガゼルはこの時を境に、体の震えが止まったという。

そして、これまで衛兵としての務めを果たすことができたのだと。


私は一人、無言で地面を見つめる。


「サラ様、サラ様は誰にもないものを持っております。

 ルリア様にさえ、ないものです。

 サラ様は…誰よりも人の痛みを知っております。

 その優しさに、私は確かに救われたのです」


私は顔を上げて、横に座るガゼルを見た。

ガゼルは優しげな瞳で、私を見ていた。

その瞳はやはり、ルリアに向けられるそれとは違う。


けれど、私はこの時、ようやく生きるべき道を知ることができたのだ。


この胸に宿る思いをすべて秘し隠して、ルリアとガゼル、そして国のために、この身を捧げる道を。


「ガゼル、ありがとう。私、行かないと。…ルリアに謝らないと」

「…ええ」


そして、私は立ち上がった。

この覚悟が、事件を引き起こすことを知りもせずに。


嫌な予感を感じたのは、それから数週間経った頃だった。


ルリアは、城を空けることが多くなった。

教育係や、侍女、執事、誰に聞いてもその答えを教えてくれない。


しかし、不自然に目をそらす彼らが、何かを隠しているのは明らかだった。


日に日に会えなくなっていくルリアの表情が、胸を締め付けるほどに暗くなり始めた頃、私は思いがけずガゼルを問いつめた。


ガゼルもまた、教育係たちと似た反応を示した。

けれど、明らかに彼らとは違う感情が含まれていた。


唇を真一文字(まいちもんじ)に結び、拳を握りしめたまま肩を震わせるガゼルは、

明らかに深い感情の渦中にあった。


「ガゼル、私だけ知らないなんて、そんなの嫌よ。

 また、ルリアに守られるなんて、嫌」


私だけが知らない理由。それはルリアがきっと口封じをしたからだ。

私に余計な心配をかけさせないように。


ガゼルはしばらくの間、(まぶた)に力を込め葛藤していたが、独り言のように呟いた。


「舞踏会で一緒に踊られた、隣国の王族に、身初められたようです」


ーーー

「私は、国のためならこの身を捧げることができる。そう考えておりました。

 ですが…人の心というのは、こんなにも脆い」


数日後の夜。ルリアの部屋で、ベッドに腰掛けるルリアが、おもむろに目を伏せた。


隣国の王族に見初められる、それは植民地の立場にとどまる私たちの国にとって、この上ない名誉に違いなかった。


上手くいけば、対等な立場まで国の地位を上げることができるだろう。

それは、ルリアが幼き頃から望んでいた富国、その実現でしかなかった。


「ガゼルには、なんて」

「私のことは忘れるように、と」


一段と深い影を落としたルリアの、悲痛に歪んだ表情は、私の心を深く揺さぶった。


そしてその感情は、愚かな言葉を私の口から吐き出させた。


「…忘れる必要なんて、ないよ。恋人のまま、いられなくなったとしても、

 ガゼルは、私たちの良き友人でしょう?」


ルリアは、思い悩むように床を睨めつけたのち、小さく頷いた。


「ルリア、ガゼルに謝ってきて」

「そうね」


そして、ルリアは立ち上がり、私に背を向けて部屋を出た。

迷いのない、昔の彼女のようなその背中は、しかしなぜか私の胸をわずかにざわつかせた。


ーーー

それから半年後のことだった。城の中で、大きなニュースが駆け巡った。


ルリアが、妊娠したのである。膨らみ始めた腹を幸せそうに抑える彼女は、もう以前の翳りある彼女ではなくなっていた。


これで全てがうまくいく、そう思い始めた頃、私はとある夜にルリアの部屋に呼び出された。


ベッドの上で、大事そうにお腹をさする彼女は、見ているだけでこちらまで頬が緩むほどだった。


彼女はぽつりと言った。


「彼との子よ」

「隣国の王族でしょう?私の好みじゃないけど、整った顔立ちよね。きっと、子供も…」

「ガゼルとの子よ」


ルリアはピシャリと言った。しかしその表情にはもう迷いのようなものはない。


「この子を産んで、私たちの国の次の王としましょう。きっと、皆が喜ぶわ」

「どうしたの、ルリア、何言ってるのか、わからないよ」


その時の私の戸惑いを、どう表現すればよいだろうか。

けれど、ルリアは私の言葉がわからないかのように、ガゼルとその子の未来を楽しげに語り始めた。


きっと勇敢で国思いの子に育つわ、ああガゼルが大変ね、新しく王族になるのだもの、社交の基本を教えてあげなくちゃーー。


「ねえ、ルリア、隣国の王族にはなんていうつもりなの。

 もしかしたら、ルリアもそしてガゼルも、お腹の中の子も、殺されちゃうよ。

 私たちの立場を、わかっているでしょう」


しかし、ルリアは屈託のない笑顔で言った。

「もちろん、全てを包み隠さず言うわ。きっと彼も喜んでくれるでしょう」


すでにルリアはこの時、壊れてしまっていたのだろう。


私は、ルリアが強い人だと信じて疑わなかった。

けれど、それは違ったのだ。

私の二つ上の、まだ10代で瑣末なことで憂い、喜ぶ、脆く儚い存在なのだ。


ガゼルを忘れる必要がない、と私は言った。

けれど、ルリアには忘れることなどできなかった。


そして、どうにもならない葛藤の末の答えが、今目の前にいるルリアだった。


「そうだね、きっと…喜んでくれる」

私はただそう言い、部屋を出た。


自室に戻ると、私は考えを巡らせた。

もしもルリアが、このまま真実を王族に話せば、ルリアだけの問題ではなくなる。


隣国を侮辱したも同然だろう。きっとこの国はもうーー。


長き思案の果て、夜明けを告げる朝日が小窓のレースをほのかに照らし始めたころ。


私は、一つの結論に到達した。


ルリアを、壊れてしまったルリアを…生かしておくことはできない。


ーーー

その日の夕暮れ、私は、ガゼルを城の花畑に呼び出した。

10年前、彼と向かい合ったあの思い出の花畑だ。


私は全てを話した。

ルリアのお腹の子供、彼女の心の状態、そして国の未来。


「このままでは、この国は滅びゆくでしょう。

 ですが一つだけ、全ての問題を解決する方法があるのです」


夕日を見上げながら目を細めた私に倣う(ならう)ように、ガゼルも同じ方向に顔を向けた。

彼もまた、その答えに辿り着いていたのだろう。


「私がやりましょう。すべての罪を、私が今ここで…」


私は彼に向き直る、ガゼルもまた私の方を見た。

10年の時を超え、私たちはまた同じように向き合った。


「私は、この国を守らなければなりません。…ガゼル全てを託します」

「仰せのままに、サラ様」


ガゼルが、背を向け、城の方に歩き出したその瞬間、

私はガゼルの手を取り、私の口元に彼の耳を当て、秘めた思いを告げた。


彼は目を丸くし、私の方を見る。

私は優しげに微笑むと、彼を突き押し、背を向けた。


「行きなさい」

「…はい」


私は、夕焼けに染まる空を見上げ、心の中で一つ呟いた。



長き時を超えたその先で、またーー。



あれから50年、本当に多くの出来事があった。


ガゼルは後日、ルリア殺害容疑で、幽閉されることとなった。


ルリアの死体は見つからなかった。ガゼルが夜、死体をバラバラに切り落としたのち、城の抜け道を利用して遺棄したのだという。


当然、隣国の王族の怒りは計り知れないものがあった。


私たちの国は、隣国の命令に逆らうことなどできるはずもない。


まもなくして、ガゼルは死刑を宣告される。


では、なぜガゼルは今生きているのか。


私が交渉したのだ。衰弱した母を除き、唯一の直系王族である私が。


ある日裁判官、死刑執行人、執事、関係者全員を城の広間に集め、

私は鋭利なナイフを首元に当てた。


『ガゼルの死刑に関して、皆様にお願いしたいことがございます』


戸惑いの表情を浮かべた彼らは、私の首筋がわずかに流血し始めた瞬間、両膝を折り、頭を伏せた。


私がお願いした内容は、こうだった。


『ガゼルには死刑の代わりに、50年の懲役刑を与えます。

ただし、表向きガゼルは死刑ということにします。

もしガゼルが生きていることが隣国に知られれば、国の未来はありません。

このことは、絶対に口外してはいけません。よいですね?』


ただし、執事だけは一つだけ条件をつけた。

それは、『私とガゼルの面会の禁止』だった。私を想う執事は、王女殺しのガゼルと私の面会を危険視した。


私は快く承諾した。それは何ら障害ではなかった。


そして、城の牢に秘密裏に幽閉されたガゼルを抱え、50年という月日が何事もなく経過した。


当時を知る者も、すでに命を落とし、ガゼルの生存を知るものは、ついに私と側近の数名の衛兵だけになった。


…私の作戦の完成は目前だった。


ーーー


「ガゼル」

老いた足を走らせ、私は彼の丸くなった背に追いついた。

深緑豊かな並木道の中で、木々がゆれる音だけが、二人の間を包み込む。


彼が私の方を振り返る。

久しぶりに見た彼の顔は、私の胸をどうしようもなく締め付ける。


「サラ様、あなたには、なんと言えば…」

彼は静かに瞳から涙を流した。


50年前の花畑で、ガゼルの手を取った私は自分の考えた壮大な作戦を耳打ちした。


それは、国とガゼル、そしてルリアを救うための大芝居だった。


そう、ルリアは今もなお生きている。


当時の私はガゼルに聞いた、顔を覆う民族の話を思い出した。

そして、ルリアにその民族に紛れて50年間、身を隠すよう伝えた。


ルリアは私の作戦の全貌を聞くと、涙を流しながら私を抱きしめた。

その瞬間、彼女の精神は確かに昔のように戻った。

そして、彼女は固く頷いた。


ガゼルによる殺人事件はただの芝居にすぎなかったのである。


今、この世界では、ルリアとガゼルは死んだことになっている。


そして50年の時がたち、多くの人が入れ替わったこの世界で、

老いたルリアとガゼルの存在を識別できるものは、

もはや私と側近の衛兵を除いていないだろう。


隣国に真相を知られる危険はなくなった。

これをもって国は完全に守られたのだ。


そして、もう一つの目的も。


この世界で、ルリアとガゼルはようやく、心置きなく身分違いの恋を成立させることができるのだ。


それが、私の作戦の全貌だった。


ーーー

舞踏会の夜のあの庭園で、ガゼルが私を救ってくれなければ、

きっとこの作戦を思いつくことはなかった。


これは、私からガゼルへの贈り物なのだ。


そして、それはある言葉をもって完成する。


ルリアの居場所だ。

私だけが知っている、彼女の居場所。


彼女の所在を言うためだけに、ガゼルを追いかけてきたのだ。


けれど、それはもう一つの意味を持っていた。


ガゼルとの、永遠の別れ。


死んだことになっているルリアとガゼルとの交流は、すべての作戦を水泡に帰す危険があることを十二分に理解していた。


「サラ様、ルリアは今…」

「ええ、ええ、わかっております。ルリアは…」


喉元まで浮かんだ言葉が、口をついて出ようとした瞬間、私は膝から崩れ落ちた。


その後は、ただただ、子供のように泣きじゃくるばかりだった。



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