第四節【橋】
解放感とは程遠い閉鎖的なその場所は壁に埋め込められた何かから放たれし光で照らされていた。下は鉄製の階段。壁、天井も鉄で覆われた空間、硬い足音だけが淡々と鳴る。
「いつまで続くんだ」
階段を下りながらイチガは苦言を口にする。
地上の町から地下の町に移動する。その様な過程である為にそれなりの距離を歩くとは思っており、距離の事は最初は気に留めていなかった。
しかし形が螺旋階段に変わってからは、幾ら進んでも終わりが見えない。先に進んでいない。その様な感覚を抱いていた。
「明るいのが幸いか」
階段の形が螺旋に変わると同時に道の幅が縮まっている。それによって階段を照らす輝きが全体を照らす形となっており、視界は良好であった。
「そのせいで同じ道なのも分かるのがな」
しかし明るく何もかも見えている事によって光源が置いてある。それ以外は代わり映えしない殺風景な中を歩いている事を自覚させる原因となっていた。
「引き返すのも面倒」
螺旋階段を降り始めてから少し経って、嫌な予感を抱き始めたイチガは引き返そうかと考え始めた。
そして実行しようとした瞬間、微かであるが背後から複数の物音がした為にその動きを止めて、階段を下る事にした。
誰かが入ってきたからには、この先には何かあるのは間違いない。そう思えた為である。
しかし階段が長い事には変わらない為に何かないか、降りながら視線を巡らせるとある物が視線に入り込んだ。
「何を燃料にしてるんだろう」
暗闇を照らす光り輝く物に対してイチガは疑問を呟いた。
常に光が放たれており、その輝きを止める手段が分からない為にその造形を確かめる事は出来ないが原動力無しに光り続ける事は不可能だと思えた故の疑問であった。
「まあ何らかの理由があるんだろう」
しかし今いる世界がどの様なものなのか全く知らない今の状態でその様な事を考えても仕方ないと思えたイチガは集中を歩く事に向ける。
「妙に爽やかな?」
その道中自身の周囲に少しひんやりとした清らかな空気をイチガは感じ取り、それから程なくして……
「やっと床が見えた」
視線の先にある下側の形が平坦である事を確認してその地点に到達すると同時にイチガは周囲を見る。
「部屋か」
微かな輝きによって周囲が壁で囲まれている事を把握する。
「風はこっちから」
しかし先から感じていた清らかで冷たい風の流れ、そして新たに聞こえ始めた僅かな音を感じ取る事が出来ており、その流れを沿う形で先に進む。
すると突然空気の広がりと何かが穏やかに流れる音を感じる。
「正に地下空間な感じだな」
視界の大半は地下空間らしく暗闇であった。しかし閉鎖的な感覚はなく、とても解放された感覚を抱けた。
上に視線を向けると同じく暗闇であった、
「穴が空いてるのか?」
しかし所々から微かであるが白い光が漏れている様に見えた。
何なのか疑問を抱きながらイチガは正面を見据える。
「地下なのに空気がいいのはこれが原因か」
上下左右関係等ない。周り全てが暗闇であった。だが階段と同様に所々に灯火が置いてあり、周囲を照らしている。
そして輝きは静止した部分だけではなく常に流動している箇所――水の流れも照らしていた。
「川……大河の規模か」
常闇の中に立ちながらもイチガはそう断言する。無論、それには理由が存在する。
イチガの真正面にも灯火が存在する。しかしそれは対になる様に一定の距離を保ちながらも二つの灯火が並んでおり、その組み合わせがまるで道無き道を照らすが如く、奥に繋ぐ様に均一に置かれていた。
そしてその輝きの下に水の流れを確認する事が出来ており、水の流れが大規模である事を視覚的に伝えていた。
「多分橋だよな」
明かりの下には道が存在しており、川の上を架ける様に繋がっている。故にイチガは橋と呼称する事にした。
「スマホでも」
中々幻想的な光景である為に保存したいと抱いて、とある電子機器の事を口にした刹那――
「俺は観光に来た訳じゃない」
今現在奪われている物を口にしたイチガはこの場に来た理由を思い返した。
「多分あの男は地下にいるんだろうけど」
脳裏に自身の鞄を奪った男性の事を浮かべながら視線を巡らせる。周囲は広場であり、あるのは川に落ちる事を防止する為の柵と階段に繋がる出入り口と橋だけであり、隠れ潜む事に適した場所はない。
だから誰かがここに来たのなら橋を渡る筈だとイチガは思った。
しかし即時に行動に移る事なくその場に留まる。
「向こうに行って大丈夫なのか?」
今イチガの心中に渦巻いているのは不安感であった。
「この先に町があるのか」
地下街に到達すると思った矢先に現れたのが目の前の暗闇である。
そしてイチガがするのは町に到着する事ではない。それはあくまで通過点であった。
「鞄を俺だけで探さないと駄目なんだよな」
目的は盗まれた鞄を取り戻す事である。しかし今の状態に立たされた事でそれを成し遂げる事が不可能ではと抱き始めている。
「向こう側の状況を少しでも確認できたらいいんだがな」
そう口にしながらイチガは柵の近くまで歩んだ後に向こう側を覗き込んだ。
「明かりはある」
相変わらずイチガの視界の先は暗闇が支配する空間である。だが川で隔たれた向こう岸にもこちら側と同様に点々とだが明るい場所を確認できる。
「ここまで来たなら行ける所まで行くか」
今いる場所と同じ様な場所があるなら、何も問題ないと抱きながらイチガは橋の目の前まで移動して試しに橋に触れる。
「階段と同じか」
触れた感触から材質が鉄だと気づけたイチガは安全だと思って一息ついた。
「途中で途絶えたりしないよな?」
しかしそれでも不安要素が存在しているが……
「明かりもあるし問題ないだろう」
均等な距離感で建ち並ぶ灯火からの輝きで安全を確認しながら進めば大丈夫だと納得、慎重に進む事を決めながら橋に足を運んでそのまま歩き始めた。
イチガが橋に浮かぶ光に包まれて姿を消したや否や――地より引きずり出されるかの如く、場を埋める様に数多のスケルトンが骨の軋む音を鳴らしながら姿を現す、その起点となったのは彼が佇んでいた場所であった。
彼の者達は最初こそ表面を水が流れる方向に向けていた。だが何かに誘われる様に彼の者達は一斉にその身を反転――引き寄せられる様に階段に繋がる入口に我先にと殺到すると同時に響くは破砕する骨の音――入口より溢れ出るは灯火の輝きすら覆う多量の黒き粒子、されども骨の音は水が鳴らす音に阻害され広がる事はない、黒き粒子は暗闇に溶け込んでおり、その場の変化は第三者には決して届く事はなかった。
※ ※ ※ ※
「案外簡単に到達できた」
水の流れる音を伴いながら暗闇を照らす灯を頼りに橋を渡っていたイチガは対岸の地形を確認できる場所まで進んでいた。
「普通の橋だったな」
明かりで照らされているが暗闇の面積も多い為に慎重に進む事を余儀なくされたイチガであった。しかし特に欠けている箇所もなく、元々住んでいた世界に建てられた橋と同じ構造であり、抱いていた杞憂は不要であった。
「警戒しなくて良かったかもな」
橋を渡る前に抱いていたものは何なのかと抱きながらイチガは歩く事を止めて水が流れている方面に視線を送る。その先には水の流れを裂く様に白い輝きを放つ何かが置かれていた。
「他とは別だよな?」
階段に置いてある物や橋に設置されている灯火の光の色合いは暖色系である。
だが川の中で輝くそれは白い輝きであり、一目で別物であるとイチガは気づけた。
「光の規模も小さい様な」
そして他の灯火と比べるとその光は周囲を照らしていない。自身が光っているだけであり、それはまるで夜にひっそりと現れた蛍が放つ仄明かりの様であった。
「よく分からないけど、とりあえず先に進むか」
気を取り直して歩を進めたイチガは、橋と床の境目が見える場所まで到達する。
「暗いな」
橋を越えた先に灯火はなく暗闇であった。
「問題なさそうか」
だがそれは一部分だけであり数歩進めば暗闇を照らす灯火がある。
「ここから先も明るそうだな」
更にその先に視界を向ける。そこには灯火が距離感を縮めて配置されている。
「もう少し進んでみるとするか」
これだけ明るい空間であるなら、問題ないだろうと判断した最中。
「なんだ?」
灯火で照らされた先を見ると光が遮られている場所を見つける。その先に角があった。その近くを注意深く見ると窓の様なもの透明なものが確認できる。そして川側に視線を移すと、水の勢いを利用して回転して音を鳴らす円状の物体があった。
「水車がある小屋か?」
想像できた建築物の名をイチガは口にする。
「人が住んでいるといいが」
その外観から内部には人がいるかもしれないと思案する。
「飲み水もあるといいけど」
水車をよく見ると水を汲み上げている。そこから考えた発想であった。
イチガはこの世界に転移してから腹に何も入れていない。まだ余裕があった。だが限界はいずれ訪れる。
そう考えると水を飲める可能性がある場所を無視する事は出来ない。
「都合よく行けばいいけど」
いきなり訪問して、水が貰える確証がない為、心持たないがとりあえず向かうべき場所を決めたイチガは橋から降りて暗闇を踏んだ刹那――液体を踏みつけた感覚が全身を震わせる。
「水が零れていたのか」
すぐ近くには水が流れている。その事を考えると何かの原因で水が溢れて、近くを水浸しする事は不自然ではない。
しかし……
「変な感じがする」
普通の水とは違う妙な感触だと思ったイチガは、手袋を外して、床に触れた。
「水じゃない!」
妙に質感がある感触から異常に気づけたイチガは、驚きから即座に大声で断言すると床から手を離した。
「確認してみるか」
匂いを嗅ぐ勇気が湧かないイチガは、触れた液体が何なのか見る為に光がある場所に向かう。
――何か嫌な臭いが。
その最中に嗅いだ事が無い、だが本能が拒否する嫌な臭いが鼻腔に入り込んだ事に気づくが、明るい場所に到達した為に液体を視認したと同時に――イチガの思考は一時停滞した。
「こ……これって」
自身の右手を塗り替えた色――それは赤色。
「血ぃ!」
驚愕すると同時に血とは縁がない生活をしていた事から目を背けるとそれを隠す様に慌てて手袋を付ける。
「――!!」
それと同時にイチガは言葉にならない音が喉より現れる。
何故なら目を背けた先。それは更なら混乱の扉を開いただけ――双眸を満たすは光に照らされた血の池であり、赤色に染まっていた。そしてそれだけではない。
「腕!」
腕だけが転がっていた。あちこちが抉れており、色は赤に染まり、砕けた骨――細かい白がその周囲に撒かれていた。
イチガは何が何だか把握出来ずに、混乱しそうになった瞬間、襲い掛かる様に何かが放つ鋭利な咆哮が周囲を満たし――血の池は飛沫を上げる。
「何が――」
驚きが重なった事で逆に動ける様になった事に気づいたイチガ反射的に身体を咆哮が放たれた場所に向ける。
「!」
――それは灯火の真下にいた――それを視界に捉える。
だが先は無き道――気づくとそれは既に目前に――それの腕はイチガの肉体を刺し貫いていた。
「な――」
イチガの口から言の葉は出ない、出るのは身体の内を循環していた血液、鉄の匂いが喉に染みこむ。
――なん……だよこれ……。
突如の害――故に意識薄れる中、脳裏を満たすのは死に対するものではない。疑問であった。
イチガの視界を埋めるのは赤き瞳を輝かせる。黒で染まる狼であった。
「こ……んな」
意味すら分からずに意識だけが薄れていく――霞む視界に映るのは口を開く狼の姿――
「何も……」
全てが無駄であったと宣言されたかの様な心持となり、諦めそうになったイチガ――だがせめて最後の力で何か出来ないかと身体を動かそうとしたその瞬刻――
「――って!」
辛うじて聞こえるのは少女の声――それを追跡する様に鉄の音が右側から聞こえ、斬撃音と一緒に狼の顔が宙を舞い。
「!!」
声が出ないイチガの内が驚きで満たされる最中――再び斬撃音が鳴り――狼の顔と身体が両断される。瞳の輝きが消えると変転する様に数多の血が流れる。上から流れる姿は滝の様であった。
――何……が。
だが朦朧としていたイチガには届く事はない――既に意識が欠片しか残っていない。
狼の頭が宙に舞うと同時に身体に空洞が空いた感覚となり――地に倒れていた。
「――――に!」
飛沫の音や走ってくる音と少女の声が近づいている――それだけ――それだけに気づく事が出来たイチガの意識は暗き深淵の中に放り込まれた。