第三節【火葬】
「見失った」
壁に寄りかかり、休憩していたイチガは今の状況を愚直に言葉で表した。
追いかける決意をしたのが遅れたのが原因なのか相手側に土地勘があるのか分からない。
しかし追いかけ始めてから自身の鞄を盗んだ男を一度も見ていない。
「戻れるのか」
焦りと同時にイチガには不安も現れ始めていた。
今いる路地裏は一直線の道ではない。幾度なく道が分岐している。そして景色が一切変わらない事から迷宮に迷い込んだ気持ちとなる。相手が抜け道の様な場所から抜け出している事を考えて、汲まなく壁を見ながら進んでいるがその様な場所は一つたりとも発見できていない。
「腹も少し減ってきたな」
朝ご飯を食べて、少し経ってから異世界に転移した為にまだ余裕があった。しかし孰れ限界が訪れるのは明確である。
「腹を満たす為にも何とか取り戻さないとな」
何をするにも鞄を取り戻す必要だと抱きながら再び歩み始める。
その耳には何処からか打ち放たれた花火の音が届く、しかし既に聞き慣れたイチガは身を返す事なく走り始めようとする。しかしある疑問を抱いた事から歩きに切り替える。
「なんでこんな所に建物が?」
町であるなら建物があるのは必然である。
しかしイチガが見ている建物には窓や扉と言った人が住むのに必要な要素が存在しない。
「通路に人が住んでいるのか?」
しかし歩く最中に人が入り込む事が出来そうな毛布を見かけている事からその様な事を口にする。
「人はいないな」
だがその割には人を一人も見かけていない為にイチガは疑念を感じる。
「まあ俺には関係ない。急がないと」
今は人を追いかけている最中であり、発生した疑念を中断したイチガは走り始める。その背後では花火が再び空で鳴っていた。
だが花火の音に紛れる様に彼が辿った道を埋め込むが如く黒に染まる人骨――スケルトンが地から這い出る様に姿を現していたがイチガはそれに気づかない。
しかしスケルトン達は彼を襲う事はなかった。
何かに誘われる様に赤き眼光を光らせながら影の中に入りこんだ――そんなスケルトン達が辿る果てが黒き霞である事を知ってか知らずか――
「なんだここ?」
同じ構造の道を歩き続けていたイチガであったが、ようやく変化が訪れた。
道が大きく広がり、広場になった。その広さは先まで見た空き地が一つの部屋だと思える程のものであった。
床や壁は白を主体とした色合いで塗装されており、整備されていると感じる。しかし置物や草木が何処にもなく広さしかない殺風景であった。
「見る限り誰もいないな」
周囲を見渡した後にイチガは断言した。果てしなく広いが平たい。そして制止で満たされた空間である事から動き回る人影を見つければ即時に気づけると思ったからであった。
「三人組の筈だしな」
そう口にしながらこれからどうするか考え始めた直後。
「なんか黒いのがある」
白で包まれた空間の中である故に一際目立つ黒で塗られた何かを見つける。
広場の中の最奥地に置かれて、米粒程度の大きさであり、それが何なのか分からなかった。
「戻る前に行ってみるか」
純粋な興味心を抱いたイチガは向かう事にした。
その最中……
「これだけ広いと魔法の練習に最適だろうな」
何となくだがその様な事を呟いた。
「俺は使えないけど」
続いて紡いだ様に彼は魔法を使えない。それどころかこの異世界に魔法に該当するものがあるのか確認していない。
しかし言葉として傭兵。魔獣。魔物とファンタジー物語のお約束を既に聞いている。
そして町を歩いている中で魔法使いの様な格好をした者達を見ている事から、あるだろうと確信していた。
「使える様になるかな」
そんな疑問を口にすると並行して思い出した事を口にする。
「全身を隠していたのは何なんだろう」
魔法使いの様な冒険者の他にも戦士や弓兵の格好をした者が多くいたが何故かフードやヘルムで顔を隠す者が多い印象をイチガは受ける。
「そういえばあの子も」
赤いコートを着た子もフードで顔を隠していた事を思い返す最中に視界に変化が現れる。
「黒い粉?」
それは宙を舞う黒い粒子であった。
「普通じゃないよな」
既に自身の常識が通用しない世界である事を把握していたイチガは警戒して注視する。
「消えた」
しかし流れる清風によって霧散してしまう。それを確認したイチガは多少の疑問を内に抱きながら歩を進めた後に目的の場所に到着した。
「こんなに大きかったのか」
それは巨大な両開きの形をした扉であった。
普通ではない雰囲気であった為に好奇心を抱いたイチガは表側が見える場所まで移動して視線を向ける。
色は漆黒で統一されている。艶はなく暗黒がそのまま塗られた様な色合いであった。
装飾は一切施されておらず、表面には鍵穴一つあるだけであった。
精一杯見上げる事で見える場所に上枠がある。縦枠の場所も同じ様な長さの先であり、途轍もなく巨大であった。
「こっちはどうなっているんだ?」
扉は完全に開いている事から裏側も確認しようとイチガは歩を進めて視線を向ける。
完全に開いている事から扉の裏側が陽の光を浴びている状況であるが扉の色合いや表面の形は何も変わらない。
そう思ったイチガだが一つだけの決定的な違いに気づいた。
「こっちには鍵穴がない」
表側に鍵穴がある事から、裏側にもあると思っていたが注意深く見ても見当たらない。
どういう事なのか疑問が浮かび上がったイチガであった。しかし靴に何かが当たった為に意識が移る。
「これは……」
地面に落ちていたのはイチガが転移する前いた世界の出身国では身近な硬貨である一円玉であった。
「何でこんな所に」
いきなり知っている硬貨が見つかり、驚きを見せたイチガだが少し冷静に考える。すると脳裏に自身の鞄を盗んだ男が浮かび上がり、同時に答えが現れる。
「もしかして、あいつがここに落とした」
男が鞄の物色をこの場でした時に一円玉を落とした。そう考えるとここに落ちている理由になる。そう抱いたイチガは急いで扉の先を見る。
「暗いな」
扉の先は暗闇で満たされている。
「階段?」
しかし手前は太陽の輝きによって見える状況になっており。構造を把握する事が出来た。
「もしかして地下街に繋がるのか」
人混みの中に紛れ込んでいた時に聞こえていた単語を思い出したイチガは階段の先にある場所の予想をする。
「よく見ると明かりもあるな」
そして丹念に見ると距離こそ離れているが光が見えており、先を進んでも問題ないと思えてきた。
「いきなり閉まったりしないよな」
訝し気に扉に視線を向ける。
仮に扉が閉ざされてしまうとこちら側に戻ってこれない。
「行くしかないよな」
だが鞄を開けられたかもしれないと思った事から鞄の行き先を見つける事が最優先事項になってしまったイチガにとって、それは些細な事であり、扉の奥に歩み始める最中――背後では花火の音が聞こえる。
「ちゃんと見なかったな……まあ夜に見た方が綺麗だろうから、鞄を見つけたら、夜の花火を見る事にするか」
花火は映える場面を想像しながらイチガは暗闇に沈む階段を降り始める――花火の音が過ぎ去る広場であったが別の音が数多に鳴り響いた。音を鳴らす者達の正体はスケルトンである。
彼の者達はイチガが扉の事を調べ始めた直後に出現していた。しかしその事に気づく事なく、耳に届く筈であった骨が軋む音も花火の音によって搔き消された結果。一切気づく事なくその場を去る事となった。
だがスケルトン達は違う――微かに感じる気配から進んだ道を辿る事は容易い。数も既に百を超えており、蹂躙する事も容易い。
意志等存在しない彼の者達であった。しかし開いた扉の元に歩み続けるその姿が結実とした意志を感じさせる。
されどもその意志は背後より現れし轟音を鳴らしながら流れ出た多量の赤き炎によって止められる。
動く屍であるスケルトンに命脈ある者としての感覚はない。本能に導かれるままも気配を淡々と辿るだけ――故に即時に把握する。
数多に現れた気配である炎の内より姿を見せた洋紅色のコートを着た少女の姿を……
「ここが目的の場所」
轟々と燃える赤き炎が辺りを舞う最中、少女は周囲に視線を巡らせる。
「まだいるんだ。スケルトン」
距離こそ離れているが広場に数多のスケルトンがいる事を確認した後に少女は呆れる様に息を吐いた。
「もう数え切れない程倒したのに」
今いる場所に辿り着くまでの道中。少女は幾度なくスケルトンと遭遇しており、そのたびに足を止めて倒し尽くしている。
そして最初こそ倒した数を数えていたが先に進む事に数が増大が続いた為に途中で数えるのを止めていた。
「一掃出来るから別にいいけど」
しかし少女は数が増えた所で何も問題なく対処出来ている為、スケルトンが増える事には問題を感じていない。
「とりあえず終わらせようかな……いつ壊れるか解らないからね」
そう言いながら視線は右手に向かう。
右手には杖を携えている。しかし普通の物ではない。全体が硝子の様に半透明であり、全身に赤色の罅割れが発生している。
「本当にわたしにはこっちの素質は無いね」
その状態を見ながら少女は自虐する様に語り、動きを止める。
しかし全てが静止している訳ではない。スケルトンの集団が徐々に距離を縮めている。
だがたかがその程度の事は視る事なく把握していた少女は、おもむろに杖を前方に向ける。
「奔って――焔」
地を埋める雪の様に冷たい声色で言の葉を奔らせる。すると周囲を舞う炎がその言の葉に応じる様に脈動を始めて前方に奔り始める。それと同時に杖も赤きの輝きを解き放つが、罅割れの内より強烈な閃光が放たれた後に音を伴いながら破裂。赤きの粒子に変化する――その瞬刻に炎は燃え上がる赤き波となり数多のスケルトンと広場そのものを瞬く間に燃やし尽くした。
「無駄が多い」
その光景を見ながら手招きする様に手を動かした。すると周囲に浮かぶ赤き粒子は少女の身体に入り込んだ。
それと同時に炎は火の粉となり、その中に混じる黒き粒子を連れて行く様に霧散した。
「スケルトンは骨の粉になっても動く個体もいるって書いてあったからね」
確認する様に少女は呟いた。
「この国は火葬じゃない、そもそも弔う事も出来ない……だけど骨が現れて遺るんだから、わたしに出来るのは火葬だけ、だけどせめて安らかに」
祈る様に言い放った少女は通路に向けて走り去るが、即座に踵を返した。両手に細長い何かを抱えた状態で……。
「これ何とか出来ないかな」
自身が抱える物に対して悪態を吐きながら歩み始める。
「少しめんどくさい」
何かをする度に手放して、終わる度に拾う事を繰り返している現状に少女は不満を抱き始めていた。
「けどわたし以外に触れさせる訳にいかない」
だがそうしなければ駄目な重要な理由がある事から、手放す事はなく淡々と持ちながら歩き続ける。
「あの時に三人組の誰かに渡せば……手で持ち運び必要がなくなったのに」
歩きながら後悔の感情を乗せながら唐突にその様な事を口にする。傍から聞くと理解できない言葉の流れである。しかし張本人である少女にとっては今の状況を間違いなく打破できる事を確信した上で口にしていた。
だがその言葉を口にしてから数秒流れた後に歩を止めて「そんな事を考えたら人として駄目だよね」と自身に言い聞かせる様に口にする。
「――人ではなくなったわたしが言える事じゃないね」
しかし自身を追い落とす様な事を口にした後に再び歩み始めた数分後、開いた黒き門の前に到着する。
「やっぱり完全に開いてる。誰がどうしてこんな事を」
そう口にしながら少女は表側にある鍵穴の場所まで進む。
「鍵は付いていないね」
そして裏側を入念に見る。
「主の言うとうり、裏側には鍵穴は無し」
情報が正しい事を確認した少女であるが同時に疑問も現れる。
「何で鍵穴が表だけにしかないのかな?」
表側にある以上、裏側にも鍵穴があってもいい筈である。その様な純粋な疑問であった。
しかし今はそれ以上にするべき事がある為に思考を中断。門が開いた事によって開かれた入口まで歩を進めた。
「触れて流せば、門は閉じる」
少女は門が誤って解放されてしまった時の対処法を教わっていた。
「そうすればスケルトンが地上に現れる状況が終る。わたしは責任重大だね」
門に触れる必要である為に動き始めた刹那――光が照らされた空間側から僅かな視線を感じ取る。
「誰!」
持っている細長い何かを無造作に放り投げた後に警戒する様に周囲を見渡した。しかしそこには人影は一切ない。
しかしそれでも少女は警戒心を解く様子を見せない。
「祝福持ちかもしれない――急いで閉めないと」
そう口にした後に細長い何かを拾い上げると即座に門に触れる。すると一瞬、門から輝きが放たれる。
それが終ると同時に意志を得たように誰の力を借りる事なく重い音を上げながら閉まり始めた。
「本当に閉まるんだ!」
聞いただけであり、その光景を初めて見て、歓喜の声を上げる少女であるが階段側から、軽い音が鳴るとそちらに注意を向ける。
暗闇の合間に置かれている灯の輝きを浴びる動く黒き骨、スケルトンの姿が視線に入る。
「いるよね」
眼前にスケルトンが現れた事に驚きは存在しない。逆に当然だと少女は抱いている。
「スケルトンは地下の方が多い。二倍いると考えようかな!!」
歓喜の色が込められた声を出すと同時に細長い何かをスケルトンに向けて投擲する少女――しかし。
「――呑まれない様にしないと」
一転して冷静な声を出すとそのまま地下に入り込んだ。
――場には何もいない。生ある者の手を借りる事なく駆られる様に動くのは黒き門、影の位置が変わった事で正確にその姿は見る事が出来ない。しかし存在は重さ故か重厚な音色を周囲に響かせる事によって示していた。
だが唐突にそれは中断――否――新たに現れた苛烈なる音によって上書きされる。
「――――!」
音を鳴らし者の正体、それは意味なき叫び音を鳴らし門の真正面の地点を起点に地を這う様に姿を現したスケルトンであった。
されども先まで出現していたどの個体ともその姿は異なっている。
全長が門と殆ど同じであり巨体。頭部からは髪の毛の様な蔓が多数生え独自に動き続ける。双腕も巨体に準じる大きさであった。しかし上半身が地上より生える形で出現しており、下半身が存在しない異形な姿である。
門の前に出現したスケルトンが行っている事、それは赤い眼光を奔らせながら閉じている門を動きを巨大な手で握りしめて、再び門を開こうとする様な動きであった。
その力は凄まじく握りしめられている部分からは軋めく音が鳴り渡る。それはまるで甲高い悲鳴の様である。
その腕に制止は無い。対照的に門の動きが徐々に遅くなり、制止しそうになったが――静粛たる刃の音色が場に割り込んだ刹那――巨体の中心に空白が生じる。
「何があるか分からないけど」
スケルトンの真後ろから突如言の葉が響き渡る。
だがその体は深き影に阻まれて確認できない。声も老若男女の声が混ざり込んだ様である。しかし物から聞こえる音の様に感情が込められておらずに声帯から現れる音では決してない。しかしそれでも言の葉は紡ぎ続けられる。
「阻止はさせてもらう」
声が止まると同時にスケルトンの身体は左右に両断されて切り離される。その結果支えるものが無くなり体勢を大きく崩した。
その流れは双腕にも繋がり門から離れて傾き始める。
だが外形が理と異なると言わんばかりに自ら意志を持ったかの様にうねりその身は直立する。
そして手は握られて拳となり、動き始めるが……
「無駄」
言葉が空間を奔ると――空間を穢す様な音が鳴る。同時にスケルトンを形成していた黒き骨を何かが覆い尽くす――それは微かに蠢くおぞましい量の何かであった。
だが出現するや否や破砕音が鳴り響きそれと同時にそれは喪失、影から分離する様に多量の黒き粒子が風に吹かれる様に現れて消失――残された少量の黒き骨は地に落ち破砕した。
「この門が開くところ――初めて見る」
未だに影に潜む者は先までの起きていた事に触れる事なく呟く最中。門は独りでに閉じる動きを始める。その光景には驚きはない。要因となっている動力に心当たりがある故……
「何でスケルトンはこれを開けようと」
それよりもスケルトンの動きに疑問が抱いている。
「知能が無いスケルトンはあんな事をしない筈」
スケルトンは出現すると他の生物を襲う。それ以外の動きをしないと言われている。
実際に遭遇して、襲われた事がある経験がある為に抱いた疑問であった。
「これ以上は関係ない」
けれどもその事を思案する事を無駄に感じると、心に入れながら周囲に視線を送る。
「誰もいない」
その者の目的はこの場にいる筈の人であった。
「当然」
だがスケルトンを目撃した故に人がこの場にいる筈がないと納得できる。
「スケルトンに殺されているならそれでいいけど」
淡々と言葉は繋がる――そこに人の感情は入れ込む事は無きに等しい。
「この先にいる?」
開かれし門の先の暗闇――何があるのか知らない。だが無力な人間がスケルトンに追われたとしたら、逃げ込む場所として選ぶ可能性がある。
ふっとそう思うと、門の先を見る必要があるかもしれないと抱いた。
しかし先に隠れて見た門に入り込む人物の事を思い返すとくすくすとした声が漏れる。
「あの子も同じ筈――今日は十人の始末は済んでる」
その者にだけ分かる言葉が並んだ刹那――人とは思えない声は途切れ――影から気配が消え去る。
空間を揺らす門の音が辿る終幕は閉ざされる音――当たり前の帰結の後に響くは門の鍵が静かに閉められる音――追走するは静寂――
「――――!」
されども静寂は刹那に途切れる――上半身だけで形成されたスケルトンの掠れた叫び声によって。
姿は先に現れたスケルトンと同様。しかしその体積は普通の人と同じ程度に縮んでいた。
「――――!」
それはひたすら叫び――地を這いひたすら進む。
「――ヶル!」
それの叫びが僅かに言霊として現れ始めると同時にその手は門に触れると――音無く崩れ去る。
「ァァァァ!」
歳後まで残る骸骨から放たれるは掠れた歓喜の声――途切れるや否やスケルトンの身体は力尽きる様に倒れ伏せて粒子となって這う様に霧散が意志を持つかの様に門の僅か隙間に流れ込んだ。