第一節【異世界転移】
「これからどうすればいい」
上空を覆うは青空。陽光を阻む雲はなく一つの町を照らしている。だが建物の裏には届くことなく、遮られ影で覆われる。
そんな建物の密集地帯の裏にある路地裏の壁に背を当てながら少年は切羽詰まった様子であった。
「少し寒いけど、コートを着てて良かった」
周りの空気が冷たく少年が軽く息を吐くと白くなり霧散する。それは気温が低い証である。
しかし手袋や長袖のズボンに黒い厚着のコートを着ている事から寒さは遮られており、大した問題ではない。
それでも現状を打破できる程の僥倖ではない為に暗い様子であった。
「不幸中の幸いってやつか……まあ今はそれ以上に何とかしないと駄目な事があるんだけどな」
普段は消極的な考えを殆どしない少年であったが置かれている状況が常軌を逸脱している事から、消極的な考えが脳裏を過ぎ去る。
「にしても漫画とかで見た事あるけど」
そして何となしに今の状況を呟いた。
「異世界転移か」
※ ※ ※ ※
想流一我。それが少年の本名である。
切れ長の目、顔立ちは中性よりでそれなりに整っている。髪色は黒で髪質は波打つ癖毛。前髪は短く、後髪は長くしており、ポニーテールで纏めている。その様な髪型にしているのは、髪が長いからとポニーテールを整えられた際、似合っていると言われ、その流れで続けていたら、習慣になったからである。
線は細く身長は平均の男性より高めで特にスポーツはしていない。しかし日頃の筋トレを欠かせずに行っており、それなりには筋肉質な体つきである。趣味は漢字の読みや言葉の意味を知る事である。
それが趣味となるきっかけは自身の名前の由来が唯一の存在である自身の我を通してほしい。
その様に親から教えられたが意味が分からずにとりあえず漢字辞典で自身の漢字を調べようとした所、漢字の読みや言葉の意味に面白さに気づくきっかけとなり、日頃か見る様になったからである。
しかしその事を他の人に初めて明かした際、つい熱くなり、無我夢中で喋り通してしまい、場を気まずい空気にしてしまった経験がある事から、それ以降は誰にも教えていない。
声は少し低めだが透き通った声質で非常に整っており、外見も合わさってモテそうである。しかし普段は愛想が悪く無表情。色として黒を好んでおり、服もそれに合わせて黒色にしており、何処か影がある雰囲気を醸し出しており、告白された事は一度もない。
そして本人も現在の所は色沙汰には無関心ではないが興味は殆どない。
だが他者との交流自体は嫌っていない事から友達もそれなりにいて普通の学校生活を送っており、現在は高校三年生である。
そんなイチガは冬休みを終えて、普通に学校に行こうと通学路を歩き始めた瞬間――目の前の景色が変容。今いる世界――異世界に足を踏み入れていた。
最初こそ目の錯覚かと考え込み混乱してしまったイチガであるが周囲の光景や人々の姿を見るとある種の現実味を抱いて落ち着く事が出来た。
周囲はコンクリートで建築されている現代からかけ離れた石造りや木造建築による中世世界で見かける様な建物が並んでいた。
そして歩く人の殆どの姿が髪色こそ、青や赤。黄色等、多様な色合いである点が異なるが自身と変わらない姿の人間であった。
男性、そして女性と性別の区別も一目で判別できる。その容姿は個々で違い、雰囲気も異なるが整った顔立ちな者ばかり――その様な第一印象を抱いた。
仲が良さそうな似た容姿の男女や髪色が違うが同じ容姿の少女が雑談しながら歩いており、兄妹や双子も存在する事に気づけた。
しかし色白で耳が長い者。全身から毛が生えて、獣耳を生やす者と、明らかに普通の人とは異なる見た目の存在が当然の様に闊歩して、周りは特に気にしている様子を見せていない事から、自身が知る世界とは違う世界。異世界であるとイチガは確信した。
そうと解れば悲観的に考えても仕方ない為に現在の状況を把握する事を兼ねてどの様な世界なのかを調べる為に行動する事にした。
幸いな事に快晴の空とは対照的に町の気温は低い。通り過ぎる人々の服装は現在イチガが着ている厚着な服装はデザインこそ異なるが、厚着である事には変わりない為に目立つ事にはならない。
何もかも知らない場所である為に不安感を抱きながらの試みであったが容易く歩く大衆に紛れ込む事に成功。
同時に花火の音が響き渡り、人が多いのは今日は祭りだからなのかと認識する。
どの様な花火なのか興味を抱いたイチガは振り向いた。しかし花火は既に消えており、何もない。しかし代わりに目に入り込んだ物に驚いた。
それは精一杯見上げる事で頂点が確認できる程の巨大な水晶であった。
色合いは限りなく透明に近く、とても巨大であり、背景と色味が全く異なっている為に輪郭を捉える事が出来た。
何なのか気になったのだが、その最中になし崩し的に周囲を歩いている大衆の話声を聞く事になるのだが――それだけでイチガは驚愕する事となり、水晶の存在が頭から離れてしまった。
何故なら周囲を飛び交う声全てが聞き慣れた言葉で構成されており、会話のニュアンスを把握する事が可能だからであった。
異世界である筈なのに言語が知っているもので構成されている事に違和感を抱いたイチガだが使い慣れた言葉で過ごす事が出来るのは安心感があり、異世界に住む人々とのコミュニケーションが円滑に進む可能性が高まった事から、抱いた疑問は頭の片隅に置いておく事にした。
しかし周囲を見ながら歩こうと瞬間に目撃した立て看板が目に入る込むと同時に抱いていた疑問は頭の中を再度駆け巡る事となる。
立て看板に書かれている文字や数字が馴染む形で構成されている。そしてそれを問題なく読む事が可能であった。しかし自身にとって都合が良すぎると抱いた事から、今いる世界が異世界である為に形が近いだけで読み方が異なる。
その可能性を抱いたが隣で喋っている人物が立て看板を見ながら文字どうりの言葉を口にしている事から、その可能性は潰える事となった。
後に少し考えると聞こえる言葉が聞き覚えある言葉ばかりである事から、文字の読み方もそのままであるのは当然の結果である。しかし異世界に来たばかりで混乱していた為に気づく事が出来ずに強く困惑するイチガであった。
しかし突如響いた何かが崩壊する物音によって困惑は中断される。
抱いている困惑に気が向いていた事から驚いたが気持ちを変化させる程の事ではなかった。怖心より好奇心が優先されて、何が起きたのか気になり、爆発音が鳴った方向にイチガは向かう事にした。
集う野次馬の視線の先に展開されていた光景は残骸となった建物、家具や調度品が散りばめられていた。そしてよく見ると鈍く輝く鋭利な鉄の欠片が霧散している光景であった。人が踏み入れれば大怪我では済まないと、誰でも察する事が可能であり、嫌な予感がしたイチガであったが、それ以外は何もない状況であった事から一安心するが、場の雰囲気は穏やかではなかった。
現場を調べているのはファンタジーの世界や中世世界では定番の軽鎧を身に着けて、背中には鉄製の盾を背負い腰に剣が入れられた鞘を身に着けている人々であり、周囲は衛兵と呼んでいた。
そして一部の衛兵は剣を抜刀して、盾を構えながら周囲を警戒している。
この様な場に初めて遭遇する事となったイチガであるが、普通の状況ではない事を何ともなくだが理解する。
そしてよく見ると怯えている女性が衛兵と話している。
何を話しているのか聞こえない。
しかし一部始終を目撃した人が他にいたのか何が起きたのか周囲で飛び交う人々の話から知る事となった。
目の前の建物は武器屋で起きた事は殺し。被害者は二人、そして売り物である武器の強盗であった。
その情報を知った瞬間、荒事に関われない自身が首を突っ込む事柄ではないと即断したイチガはそれ以上の話に耳を貸す事なくその場から離れる事にした――その最中に『契約武装』『契約者』『人喰らい』『冒険者』と聞き覚えある言葉や耳に残る妙な言葉が交わされている事を気にしながら。
その後、再び大衆に紛れ込む事も考えたが自身の状況を改めて確認する為に人通りが少ないと思える場所。路地裏に歩を進めて、足を止めると同時にある事に気づいて大きな溜息を吐いた。
それなりに身体を動かした事でイチガは今の身体が転移前と何も変わっていない事を思い知らされる。
異世界に転移すると何らかの特別な力や魔法を得られるが通例である。
しかし今の身体にその様な変化を感じる事が出来ない。
特殊な感覚も特になく。冷えた空気である事以上の何かを感じ取る事が出来ない。
そして異世界の物語でよく見かける案内人とも遭遇する事も呼び止められる事もなく孤立無援な事にも気づく事となり先行きが全く見えない――詰まる所、転移直後から手詰まりな状況に追い込まれている事に気づかされる事となった。
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「これからどうすればいいんだろう」
今いる場所に来る以前の事を思い返したイチガは途方に暮れながら視線を下に向けていた。