凋落の足音・ゴーシェ伯爵の後悔
◇そしてその頃、ミーヤの実家、ゴーシェ伯爵邸では◇
当主の執務室で、ラスディ・ゴーシェは頭を抱えていた。
順調だったはずの投資先が次々と倒産。
負債が膨れ上がっている。
そして次々に届く、高額商品の請求書。
妻のレイラとその娘のロアナは、葉を食い荒らす害虫の如く、ゴーシェ家の財産を激減させている。
不味い。
大層不味い!
このままでは、早晩……。
しかし、なぜだ。
なぜなんだ!
今までは、上手く回っていたじゃないか。
そのそもそもが、ラスディが後妻とその娘を溺愛し、我儘を増長させたことに起因するのだが、彼は気付かない。
いや、敢えて気付かないフリをしている。
ゴーシェ邸の中には、熊以外にキツネや猪の毛皮が並び、気のせいか獣臭さが蔓延している。
その割には、邸全体が寒々しい。
去年の冬は、こんなに寒かっただろうか。
帰って来て玄関のマットを踏むと、ほっとしたのだが。
貴族として最低限の事務仕事はしているが、なかなか捗らない。
国に治める税金をどう捻出するか。
ラスディの頭は上手く働かない。
こんなことは今までなかった。
自分がそんなに事務処理をしなくとも、全て滞りなく進んでいた。
家令に訊いても首を振るばかり。
「ああ、そう言えば……」
ふと家令が呟く。
「昨年度までは、ミーヤ様が執務をされてました」
「何? わたしはレイラに任せていたのだが……」
「レイラ様がミーヤ様に丸投げしてましたので……」
ラスディは唸る。
そんなこと、一言も聞いていないぞ。
よく考えれば、平民に毛の生えたような男爵家の子女が、高度な経理など出来るわけもない。
レイラとロアナは二人共、「ミーヤさんが苛める」だの「わたくしの言うことに逆らってばかりで困ります」という愚痴不平は何度も聞いた。
『後妻は、娘よりも孫よりも可愛い』
昔誰かが言っていた。
その通りだとラスディは思った。
妻を亡くした寂しい気持ちを、後妻のレイラが埋めてくれたのだ。
病気の妻を看取り、娘の為にもと再婚をした。
訳あって離婚したという女性とその娘を、邸に迎えた。
最初は同情ばかりの視線だったが、ラスディの後妻を見ると、男の友人たちが妙に羨ましがる。
なるほど。美しい配偶者を持つことは、男にとっての勲章なのだとラスディは今更ながら実感した。
『美人な後妻なんて最高だろうな』
『連れ子も将来楽しみだね。ひょっとしたら、王族に見初められたりして』
実子のミーヤが可愛くないわけではない。
でも、血が繋がっているのだ。
言わなくても分かるだろう?
わざわざ後妻に来てくれたレイラと、もう一度幸せな夫婦になりたい。
それがいけないことなのか。
ロアナは血が繋がっていない分、大切にしないといけないのだ。
決して依怙贔屓ではないのに。
元々物欲が低く、地味なミーヤだったが、レイラやロアナの華やかさにすっかり隠れてしまっていた。
ミーヤの婚約者、ブルーノが、美しいロアナに目移りしたと聞いても、仕方ないとさえ思った。
ラスディは執務室の隣にある、亡き妻の部屋に入った。
書棚と机だけが残っている。
そう言えば、先妻のソーニャは資産家の令嬢だった。
嫁いでくる時に、豪華な宝石をたくさん持参したはずだ。
何か、残っていないだろうか。
ラスディは机の引き出しを開けた。
白っぽい小箱が一つ、引き出しに残されていた。
箱に刻印された文字には見覚えがあった。
婚約指輪を買った店のロゴだ。
ラスディは、突き刺さるような痛みを覚える。
箱を開けると、折りたたんだ紙が入っていた。
妻の字だ。
『私の加護の力は、死んだら三年しか続かないのです。
続いている間は、あなたもこの家も幸せでしょう。
それが消えてしまったら、気をつけないと幸せが逃げていきます。
幸せを逃さないためには、どうしたら良いのでしょうか。
加護の力は、ミーヤも持っています。ミーヤは知らないことですが。
ああ、あなたにも言ってなかったですね。
ミーヤの力を知ったシェルキー伯爵夫人が、ミーヤとブルーノ様の婚約をさせたのですよ。
シェルキー伯爵夫人は、魔力を感知出来るのです。
だから、何があっても、例えあなたが新しい奥様を迎えても構わない。
ミーヤを幸せにしてあげて下さい。
ミーヤはあなたに似て、賢い少女です。
出来ればルシアンではなく、ミーヤに家督を継がせたいくらい。
間違っても、この家から、追い出したりしてはいけないのです。
お願いします。』
そうだった。今思い出した。
病床のソーニャが繰り返し言っていたことを。
――ミーヤをお願いね。大切にしてね。あなたのためでも、あるのだから
ラスディは泣きそうになる。
この期に及んで、ようやく自身の選択ミスを自覚する。
震える手で妻の手紙を元に戻し、ラスディは明日、ミーヤを迎えに行こうと思った。
やな親父。
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