プロローグ・ドアマットを自作するミーヤ
本作は作者自身の企画「眼鏡ラブ企画」参加作品です。
プロローグ
雪深い土地とは聞いていた。
ゴーシェ伯領地の片隅にある、山に囲まれた丘陵地。
別名『ウサギ山』という。
だがこれ程急激に、天候が悪化するとは思っていなかった。
防寒対策はしていたが、フィーザは寒がりだ。
それも、極端に。
寒くなると本職の魔法の発動も出来なくなり、思考能力が固まる。
フィーザを乗せた馬が動かなくなった。
雪道に躊躇っているのか。
フィーザは鞍から降りて、馬を引く。
フィーザの眼鏡には雪が貼り付き、視界が滅法悪い。
風が吹き、木の枝からバサリ、雪の塊が落ちる。
フィーザがうっかり手を放した隙に、馬は行ってしまった。
ああ、俺の命もここまでか……。
せめて、火属性の魔法でも使えれば良いのに……。
俺の魔法は、氷結……。
氷結の魔法使いが、雪山で凍死……。
シャレにならん……。
後世、間抜けとして、語り……継がれる……のか。
意識が遠のくフィーザの、僅かに残った視界には、真っ白な生き物が立っている姿が映っていた。
◇ドアマットは私が編みました◇
ゴンと音がして、ミーヤは軽い眩暈を起こした。
同時に耳がキーンとするほどの怒鳴り声が聞こえる。
「この邸から出ていけ!」
声を上げたのはミーヤの父、ゴーシェ伯爵だ。
投げつけられたものは、餌入れにしていた古い皿。
当たった額から、つうっと血が垂れた。
「かしこまりました。では、七匹の家族と共に領地のはずれの別宅へ移ります」
「ああ、そうしろ。こちらから出向く以外に絶対帰って来るな!」
ミーヤが身の周りの物品をバッグに詰め、「七匹の家族」の箱と一緒に玄関まで降りて行く。
するとそこには、にやけた顔をした義姉のロアナがいた。
「あらあら。貴族令嬢が家出かしら?」
「はい、おかげさまで?」
「なんで疑問形なのよ! そんなんだから、ブルーノ様に嫌われるの!」
「はあ、おっしゃる通り、かしら?」
「だから何で疑問形なのよ! 馬鹿にしてるのね」
苛ついたらしいロアナが手を振り下ろそうとする。
その瞬間、ミーヤはしゃがんで玄関に敷かれていたマットに手を伸ばす。
「あ、このマット、私が編んだものだわ」
振り下ろした手が空を切ったロアナは、腹いせに箱を蹴ろうとする。
「死ねばいい! あんたも、コイツらも!」
ミーヤが、思いきり玄関のマットを引っ張ると、足を乗せていたロアナは、すってんころりんとひっくり返った。
「つっ! ミーヤ!!」
閉めたドアに何かがぶつかる音がしたが、気にせずミーヤは走り出す。
そのまま厩舎まで走り切り、老齢の小さな馬に荷をつける。
「ありゃあ、お嬢様、とうとう伯爵邸を出るんかい?」
厩務員の爺さんがミーヤに声をかけた。
「はい!」
「そりゃあ何よりだ。行先は別邸かな?」
「そうです」
「あそこは隙間風が入るから、気をつけるんだよ。これから寒くなるしな」
爺さんはミーヤに「ほれ」と言って袋を渡す。
「奥様からお預かりしていた物だ。いずれお嬢様に渡してくれと」
「わあ、嬉しい! ありがとうございます」
「元気でな」
「お爺さんも!」
老齢の馬はゆっくりと、しかし確実に歩を進めミーヤと荷物を運ぶ。
午後の日差しは柔らかい。
日暮れまでには「別邸」に着く。
そこはゴーシェ伯領地のはずれ。別邸とは名ばかりの、小さな小屋である。
「はあっ! 無事着いたわ」
軋むドアを開け、ミーヤは手早く掃除をする。
平屋建ての小屋には、小さな炊事場と湯浴み用の桶があるだけだ。
居間兼寝室となる部屋に、藁をしきつめ箱を開ける。
「さあ、出て来ていいですよ」
箱からは、ピョコピョコとウサギが飛び出て来る。
全部で七匹。
それがミーヤの大切な家族だ。
藁をシャリシャリと食べ始めたウサギたちの姿にホッとしたミーヤは、自分のために湯を沸かした。
ミーヤは十六歳の令嬢である。
二年前、ミーヤが十四歳の時に彼女の母が亡くなり、母の喪が明けると、ミーヤの父は男爵家から後妻を迎えた。
ミーヤの兄ルシアンは騎士養成所の寄宿生であり、父のゴーシェ伯爵は王都のタウンハウスと領地を行き来して不在がちだ。
ミーヤのために母親代わりが必要であると父は考えたのだろう。
後妻は大変美しく、ゴーシェ伯はすぐに溺愛するようになる。
後妻の連れ子であるロアナもまた、春先に咲く花の様なピンクブロンドの髪と、琥珀色の大きな瞳を持つ美少女であった。
ゴーシェ伯はミーヤよりも、ロアナを優先するようになる。
ロアナも最初は大人しかったが、徐々に本性を発揮する。
年齢はロアナの方が一歳上で、所作や言葉使いは洗練されていないが、華やかな面差しと貴族令嬢にはなかなか出来ない異性へのボディタッチは、多くの男性を惹きつける。
ミーヤの婚約者ブルーノも、ロアナに魅入られた一人となった。
もっとも、ロアナが現れる前から、ミーヤとブルーノの関係は、全くもって熱気のないものであった。
例えば婚約者との定例会。
お茶会というものだろうが、婚約者のブルーノはここで一緒にお茶を飲むことはない。
定時にやって来て、おざなりの挨拶の後は無言のままだ。
テーブルに用意したカップに口を付けることなく、時間が来ると帰って行く。
会話がなくとも、家のためには多少なりとも我慢が必要。ミーヤはブルーノに、表立って文句を言うことはない。
仕方なくミーヤも、ブルーノと会う時は糸紡ぎに精を出す。
ブルーノがやって来て、小難しい本を広げると、ミーヤもそっと窓辺に立ち、スピンドルに糸を巻きつける。
元々、ミーヤの実母とブルーノの母が仲良しだったため結ばれた婚約だったが、薄ぼんやりとした灰褐色の髪の毛と、同じような色味の瞳を持つミーヤに華やかさは少ない。見た目だけでなく、ミーヤの性格も薄ぼんやりしているようにブルーノには見える。会話も弾まない。
ブルーノは不満であった。
ファッションや装飾品に疎く、趣味は動物の世話と編み物というミーヤ。
話す内容も、領地の特産物とか、山羊や羊が子どもを産んだとか、そんな地味なことばかりだ。
せめて外見だけでも好みであれば良かったのに。
パーティにエスコートをする時に、皆から羨ましがられるような女性ならば。
そんな時、ゴーシェ伯爵邸でロアナに出会った。
髪の色に相応しい、パステルカラーのドレスを着たロアナは、肩幅と腰は細く、でも胸は豊か。上目使いの潤んだ瞳でブルーノを見つめた。
ロアナは呟く。
「シェルキー伯のブルーノ様ですね。なんて素敵な御方。……ミーヤさんが、うらやましい」
ブルーノはズキュ――ンと胸を撃ち抜かれ、以来こっそりロアナと逢瀬を重ねるようになった。
「ミーヤさん、わたしのこと嫌いなんです」
ブルーノの腕に胸を押し付けロアナは囁く。
「血が繋がらない姉妹でも、わたしは仲良くなれると思っていたのに」
「君は、優しいね、ロアナ嬢」
「ミーヤさん、わたしのこと、『不出来な紛い物の令嬢』だって言うの」
「可哀そうに……。ミーヤこそ、見た目だけじゃなく、心まで不出来な奴だ!」
その他諸々、ロアナはミーヤに酷いことをされていると、ブルーノに訴え続けた。
元からミーヤを気に入ってなかったので、ブルーノはミーヤに心底愛想を尽かし、代わりにロアナとの結婚を熱望するようになる。
そして、ブルーノもロアナもミーヤも通う、高等学園の収穫祭において、彼はミーヤに宣言したのだ。
「ミーヤ・ゴーシェ。お前との婚約を破棄する!」
家同士の婚姻なので、ミーヤがロアナに代わっただけだとブルーノは思っていた。
幸い、後妻を殊の外大事にしているゴーシェ伯は、婚約者の交代を認め、『不出来な』ミーヤを邸から追い出した。
お読みくださいまして、本当にありがとうございます。
眼鏡ラブ企画へ参加されました皆様、御礼申し上げます。