第15話 The Beginning ②
「それにしても、いつもながら見事な技の冴えだ。合気柔術というのは凄いな。目の前で見ていたのに、何が起こったのかさっぱり分からなかった」
アーサーは露天でアイスクリンを二つ買うと、一つを惣吉に渡した。
惣吉は笑顔でアイスを口に運ぶ。
「君でも使えるよう、ステッキと組み合わせた柔術を考案してあげたが、どうやらモノにはならなかったようだね」
「あはは。僕にはその辺りの才覚が無かったようだ。その代わり、別の才能があるからいいんだ」
「別の? 医術のことかい?」
アーサーがニヤリと笑う。
「いやいや、そっちじゃない。実は密かに小説を書いているんだ。ストランド・マガジン社に知り合いがいるんだが、ちょっと見て貰ったら感触が良かったんだよ。もちろん、まだまだ修行が必要だろうが、いずれ必ず本を出版してやるんだ。日本でも翻訳されるくらい売れるものを書くよ。その時には、君にもチョイ役として出演して貰うよ?」
「そいつはいい。楽しみにしてるよ」
ポーーーーーー!
汽笛が鳴る。
いよいよ出発のときが来たのだ。
荷物は既に船に預けてある。
後は乗り込むだけだ。
惣吉はアーサーに向き直った。
「そろそろ行くよ、アーサー。もう会うことは無いだろうが、たまに手紙を出すよ」
「楽しみにしているよ、惣吉。我が終生の友よ」
「あぁ。さらばだ、アーサー。アーサー・コナン・ドイル」
惣吉はアーサーとガッチリ固い握手を交わすと、船に向かって歩き出した。
これから惣吉の長い船旅が始まるのだ……。
と、アーサーが感傷に浸りかけた絶妙なタイミングで、惣吉が慌てて駆け戻ってきた。
「あ、アーサー、今思い出した! どうしよう。半年前にキミに借りた仮面舞踏会の衣装を返し忘れていた!」
「あぁ、そんなのあったっけねぇ」
アーサーが大学の仮面舞踏会で惣吉に貸したのは、臙脂のマントと、同じく臙脂のヴェネチアンマスクだった。
惣吉の慌てぶりにアーサーは笑い出す。
「確か今朝詰めた荷物には入って無かったんだ。だとすると、先週先んじて送った荷物の中だ。あぁ参ったなぁ。とりあえず見つけたら送り返すから、それまで待ってくれないか?」
「おいおい、配送費の方が高くつくよ。いいよ、あげるよ。おぉそうだ。ついでだ。このステッキも持って行ってくれたまえ」
「アーサー?」
「三点揃えてトルソーにでも飾ってくれたまえ。それを見れば楽しかった留学生活を思い出せるだろう。そうやって忙しい中、たまにでも思い出に耽ってくれたなら、僕も嬉しい」
「アーサー……」
ポーーーーーー!
再度汽笛が鳴る。
アーサーが惣吉の背中を叩いた。
「さ、行きたまえ! この船に乗り遅れたら海を泳いで帰ることになるぞ!」
ウィンクをするアーサーと再びハグをすると、惣吉は慌てて船に乗り込んだ。
甲板にいる乗客が、船着き場に向かって一斉に手を振る。
船着き場からも見送りの人々が手を振っている。
惣吉も上甲板まで行くと、空いてそうな場所を見つけ、船着き場に向かって手を振った。
アーサーも惣吉に気付いたようで、手を勢いよく振り返す。
だが、手を振っていたアーサーの手が突如止まった。
その顔がしばらく固まっていたかと思うと、次の瞬間、大爆笑しながら大きく手を振り出した。
惣吉もアーサーのその変化には気付いたが、離岸してどんどん離れていく状況で、何が起きたのかアーサーに尋ねる術は無い。
「さよなら、我が故郷。元気で、我が愛する人たち……」
別れを終えた乗客たちが、次々と船室に帰っていく中、惣吉の横で手を振っていた女性がポツリと呟いた。
その声に、何気なく振り返った惣吉の動きが止まる。
惣吉の目が見る見る内に、大きく見開かれる。
アーサーはこれを笑っていたのだ。
そこにいたのは……金髪の若い女性だった。
エディンバラ大学一の美女。大学始まって以来の才媛。英国に名高いキングストン商会会長の孫娘。その名も、クレア・キングストン。
昨日まで惣吉の恋人だった女性だった。
だが、彼女とは今朝方別れたはずだ。
「く、クレア、何で……」
「何で? あなた、わたしを何だと思っているの? 日本に戻るから別れるとか、ふざけたこと言ってるんじゃないわよ。その程度のことで別れるわけないじゃない。あんまり甘く見ないでよね」
「いや、だって、もう英国に帰れないかもしれないんだよ? そんなのに付き合わせる訳にいかないじゃないか!」
「グダグダうるさい。ふむ。新婚旅行の最初の一歩としては船旅も悪くないわね。さ、船室に行きましょ、あ、な、た」
クレアは惣吉に向かって、ウィンクをしてみせた。
――そうだった。この女性は、こういう人だった。でも、両親にどうやって説明したものか。いきなり外国人の嫁を連れ帰って、さぞかしビックリするだろうな。
惣吉は想像して、苦笑いを浮かべた。
そんな二人を祝福するかのように、海はどこまでも青く輝いていた。
◇◆◇◆◇
「やれやれ。惣吉もクレアも素直じゃないんだから」
アーサーは船が遠く見えなくなるまで見送り、その場を離れた。
そのまま近くにあったカフェーに入ると、テラス席に陣取り、手帳を取り出した。
「だが、お陰で早速小説のネタが浮かんだぞ。ジャンルは探偵モノ。当然、主人公は僕の分身だ。ちょっと悔しいので、惣吉は助手として登場させよう。ソウキチ……和谷さん……、ワトソン! これだ! それに、主人公は何かの武術の達人ということにしよう。架空のモノにしないといけないからな。んー、武術……ブジュツ……バリツ! よし、これでいこう。ちょうど惣吉にステッキを使用した合気柔術を教わったことだしな。僕自身はモノにならなかったが、文字で表現することならできる。うん、いけそうだ」
アーサーは通りを眺めた。
眼の前を馬車が勢いよく通り過ぎていく。
――これから世の中がきな臭くなってきそうだ。自分が惣吉、クレアと再会することはおそらく無いだろう。だが、小説を通して彼らと心を通い合わせることができたなら……。
アーサーは二人の愛の行く末を思いつつ、そっと手帳を閉じた。




