2 救助
何十時間ぶりかに見る光だ。幻覚かもしれないと思ったが、光点ははっきりとしていて、次第に近づいてくる。
近くまで来ると、光を出しているものの正体が見えてきた。
帆船だった。ヨットよりも大きく、長さは、電車1両か2両ぐらいだろうか。3本あるマストにはいっぱいに帆が広げられている。船体も、帆も銀色である。
⸺なんでここに船がいるのだろう。そもそも、浮かぶ水があるのか。帆に受ける風があるのか。
照らされる光の中、自分の状況も見えた。自分は、最後の時と同じ格好、高校のセーラー服を身に付けている。自分を浮かべているものは、水のようにも見えるが、出した手も、ポニーテールでまとめた髪も濡れていない。その液体に沈んでいる身体と服は、銀色に光を反射している。
船は、帆の向きを変えて、自分のすぐそばまで来ると、ギギィと音を立てながらゆっくりと止まった。見上げる高さにある船べりから、縄梯子が投げ入れられ、人影がゆっくり降りてくる。逆光で、顔はよく見えない。
「そこの君。話はできるか」
若い男の声だった。
「あっ、はい。あの……」
「細かいことは後だ。君を助けに来たんだけど、一緒に来るか」
「えっ……はい、わかりました」
正体のわからない相手についていくことを一瞬ためらったが、これで行かなければ、いつまでもあの場所に浮かんでいることになる。それは避けたい。
男は、縄梯子を降りてくると、身を乗り出して、イロハの手首をつかんだ。力強くイロハを引っ張って、縄梯子につかまらせてくれる。男は、梯子の横に移動して、イロハが登る場所をあけてくれる。
「自分で登れるか。無理だったら、体にロープをかけて上から引っ張るけど」
「……登ってみます」
体力のあるほうではないので心配したが、イロハはそれほど苦労せずに梯子の上まで登ることができた。船の中からもう一人、女性のシルエットが手を差し出してくれている。その手につかまって、船縁を乗り越え、イロハは銀の甲板の上に立つ。
ここまで来ると、顔が見えるようになった。船の上にいる女性は、イロハより頭半分背が高い。三十代ぐらいだろうか。肩までの赤毛を無造作に束ねた感じで、あまり化粧っ気がない浅黒い肌に、切れ長の目が印象的だ。
「無事でよかった。私は、クシーよ。よろしくね」
イロハの後ろから、男が登ってきた。二十代前半ぐらいだろうか。背はさらに大きくて、見上げるほどだ。大理石の彫刻のように彫りの深い顔に、ブロンドの短髪と蒼い瞳で、口元は大きな笑みを浮かべている。
「僕のことは、ラムダと呼んでくれ。君は?」
「えっと、私は、イロハです。あの、ここは?」
イロハの質問に、クシーと名乗った女が答える。クシーは、背が高いし表情が読めなくて、ちょっと怖い。
「イロハ、よろしくね。細かい話は、長くなるから、船長と会った時に話を聞いてもらえるかな。まずは、部屋に案内するから、そこでちょっと休むといいわ。それとも、もし元気があるなら、先に船長のところに連れていってもいいけど」
イロハは自分の両手を見た。身体的には、特に疲れてはいない。荷物も何もないので、片付けるものもない。
「あの、何もわからなすぎて、気になってちっとも休めません。その、船長という人に会わせてくださいますか」
「いいわ。じゃ、こっちへどうぞ」
クシーがドアを開けて船内に入っていくのに続いて、私も入った。中は銀色ではなく、壁も通路も木製で、相当に年季が入っている感じだった。大航海時代の船がまだ残っていれば、このような船だったかもしれない。
クシーは、イロハを、ソファとローテーブルがある応接室のような場所に通して、座るよう促した。クシーが片付けをしている間、後から来たラムダは、お湯を沸かして、お茶を入れてくれているようだ。ソファもローテーブルも濃い赤色で、部屋の装飾も赤系統のものが多かった。ミントのような香りの湯気が立つカップを四つ、ラムダが運んで来たころに、ドアが開き、背の高い男が屈みながら入ってきた。グレーの髪に白い船乗りの帽子を被った、五十代ぐらいのダンディなおじさんである。イロハは立ち上がって礼をした。
「あの、助けていただいてありがとうございます。イロハと申します」
「アルファだ。船長をしている。ようこそ、シマノーメノ航界船へ」