五月・2
ピンポンパンポーン♪
ピンポンパンポーン♪
ピンポンパンポーン♪
……恐い。
向けられている好意の数が。いい人を演じなければいけない期待の重さが。
最初はギャルゲーみたいで便利な機能かな? ぐらいに思っていたこの音が。
今は重く深く心の底に沈殿している。
例えて言うなら犬嫌いの人が、吠えられたり噛まれたりしたくなくて、妙に媚びた愛想を振りまいていたら、逆に犬に懐かれまくってしまうようなそんな感じ。
そして改めて、ハーレム設定の主人公とか、あいつらメンタル強かったんだなと思う。
いや戦う者同士の強い友情ってんならまだ許容範囲だけど、複数の異性からガチな恋愛感情なんてぶつけられたら、こっちの精神が保たんわ。
よく「複数の女性と結婚するならイスラームに改宗しよう」なんてネタでは出てくるけど、実際どうなんだアレ。
元既婚者の立場から言わせて貰えば、あの教えを真に受けるヤツは、頭がどうかしているとしか思えない。
だって一人の嫁ですらあんなに大変だったというのに、それが最大4人とか。いやもっとだっけ?
あの神サマだってきっとこんな風に笑ってるに違いない。
『複数婚? できるものならやってみるが良い、そしてお主も我と同じ苦労を味わうが良いわwww』
あ、脳内再生時は関智一さんの声でお願いします。
と言うか結構余裕あるじゃねーか俺。
ピンポンパンポーン♪
そして今日も、廊下ですれ違っただけでこの音を聞く羽目になっている。最近は同学年女子よりも下級生から聞くことが多い。
いや君たち、俺の何をそんなに気に入ったか知らんけど、中身は枯れたオッサンだよ?
幸い自分には、未成年女子に対し邪な感情を持つ性癖は持ち合わせちゃいないけど、まかり間違ったらあっという間にオオカミさんのエジキだよ。
確かに見てる分には可愛いし、ちょっかい出しての反応を見ながらホッコリすることもあるけど、どう頑張っても恋愛対象にはならんし、当然それ以上のお付き合いなんて想像ですらあり得ない。
子育て経験者なら確実に言える、これもまた宜なるかな。
そんな風に焼かれ・削られるケバブ肉みたいなメンタルの中、午後からは音楽の授業である。
昼休みに少しでも一人になる時間が欲しくて、ちょっと早めに音楽室に行ってみたら、既に山口がいて一所懸命にピアノを弾いていた。
流れているのは夏休み明けに実施される、合唱コンクール地区大会の課題曲だった。
「お疲れー、精が出るな」
「あ、初川」
まだ五月も中旬だと言うのに、額にはうっすらと汗が見える。
と言うかいま気づいたけど、二人でいる時は名字呼び捨てにシフトしたのな。あまりに自然すぎてホントに今更だけど。
そんな俺の心情など知るべくもなく、山口は「ふぅ」とため息をつき、ピアノから手を離してこちらに向き直った。
ちなみに先日、山口からも例の音が聞こえはしたが、それからも以前と変わらず接することが出来ているのが、不思議と言えば不思議。
まぁ山口の場合、好意の種類もどちらかと言えば友達に近いものだからか。
俺も生前(?)に、大人バージョンの山口と再会した記憶がある分、恋愛対象と言うよりは、良き友人という脳内ポジションになっていた。
山口も山口であれから特に何も言ってこないし、お互いこのほどよい距離感に満足してる気さえする。今や貴重な異性の友人なのだ、山口とは今後も仲良くやっていく所存。
うん、誰に対しての所信表明だ。
「なんかすごく疲れてないか?」
「そうなんだよねー、今回の課題曲が思いがけずやっかいでさー」
「うん? どんなふうに?」
「指の長さがもう少し欲しいなーって言ったら、伝わる?」
「あーわかるわかる」
楽器演奏も色々あるが、特にピアノは物理的に指の長さが足りていないと大変なのだそうだ。あと開く角度。
「山口って小柄だし手も小さいけど、それでどうやってカバーするんだ?」
「んー、頑張って指を思いっきり開く! だね。どうしても足りないときは諦めるけど」
「諦めるのかよ。あとはアレか、関節を柔らかくするとかか」
「そうそう。指のマッサージはよくやってるよ。でもあれだね、お酢は飲んでも効果無かったね」
たははーと頭をかいてふにゃけた笑顔を作る、なんだこのあざと可愛い生き物は。
「そう言えば初川って、ギターはもうやめちゃった?」
「ん? 実はこっそり嗜む程度には続けてる」
「いいじゃん、楽器って続けることが重要だし」
「そうなんだよなぁ」
高校での吹奏楽部に在籍していた経験が蘇る。
「一日サボると取り戻すには三日かかるよ!」
と、先輩によく怒られたものだ。そしてそんな部活を三年間も続けた俺を、誰か褒めてくれ下さい。
「でもギターの場合、指の長さはあんま関係無いんだよな」
「だねぇ、うらやましいよ」
「その代わりフォークギターなもんで、弦が金属だろ? 見てくれよこの指先」
そう言って左手を見せると、山口は最初目を丸くし、それからおずおずと触ってきた。
「……うわぁ指先カチカチじゃん。これ弦ダコってやつ?」
「そうそう、これぐらいに固くならないと、キチンと弦が押さえられないんだよ」
「っていうか初川って指長いねー、ちょっと開いてこっちに向けてみて」
「ん? ほい」
そう言って開いた手のひらを向けると、山口はそこへ自分の手をピッタリ合わせた。
あったかくてしっとりしてて、細っこくて華奢な手がそこにある。
と言うか、こんなちっちゃい手でピアノ弾いてたのか。すごいな、純粋に尊敬するわ。
「ねぇ初川」
「ん?」
実はちょっとばかりメチャクチャ恥ずかしく感じ始めた俺をよそに、山口は真剣そのものの顔で言う。
「……指交換しない?」
「できるのかよ」
「いやいや、現代の医療技術があれば」
「つか真顔でなに言ってんだお前」
やばい、コイツ目がマジだ。突然のおサイコさんっぷりにちょっと引いた。
「欲しい、今すぐこの指欲しい! これくれるんなら初川の奥さんになってもいい!」
「はぁ!?」
「指が無くて困っても、ボクが甲斐甲斐しくお世話してあげるから!」
「こえーよ!」
「もういっそ、手首ごと切り落としてボクにちょうだい!」
「うぎゃー!?」
俺の左手を奪い合うカタチでぎゃいぎゃいと騒いでいると、ふいに音楽室の扉がガラッと開いた。
ビックリして振り向けば、そこには目を丸くした度会先生が、俺たち二人を見てこれまた唖然としたまま突っ立っている。
「二人で何やってるのー?」
何と言われましても、我が左手の奪還闘争をですね。
「……え、あれっ? 何か先生お邪魔だったりする?」
丸くした瞳のままの先生の視線が、俺たちの顔から下がり、順に左手を辿っていく。
その左手の現在地は言うと、山口の両手にガッシリと囚われた状態のまま、気づけばその慎ましやかなお胸様に、シッカリと掻き抱かれ……て……?
ふにふに。
「「うわー!?」」
ハモった。
ピンポンパンポーン♪
うるさいよ!?
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あれからすぐに同級生達がドヤドヤとやって来たので、あの件はしっかりすっかりウヤムヤになった。
……と思ったんだが、そうはイカの金た、……やめとこ。
授業中はずっと、これから市中引き回しを言い渡される、下手人のような心境だった。
時々山口と視線が合ったが、その都度向こうは顔を赤くし、そっぽを向いてしまうのだが、ちくしょうあざといずるいやっぱり可愛い。
あと、そんな俺たちを青野と松元が怪訝そうな目で見ていたが、こればかりは許してくれ。何せ突発的な事故だったんだから。
授業の後、俺と山口は放課後に音楽室に来るように言われた。呼び出し先が職員室じゃないのは、あまり大事にしたくないという度会先生の考えだろう、正直助かる。
あんな話が関辺りの耳に入ったら、それこそ親を呼ばれて反省文の十枚は書かされるからな。
そして放課後。
訪れた音楽室で渡会先生を前に、俺たち二人は事の次第を詳しく説明した。
先生はジッと俺たちを見つめていたが、やがてふぅと息を漏らしてこう言った。
「えー、事情は把握しました」
「「はぁーっ」」
俺と山口は心底ホッとし、二人揃って盛大なため息をついた。
と言うか、何故女性に対してラッキースケベの言い訳をしている男って、浮気を疑われた夫が必死に釈明しているような絵面になるのだろう、解せぬ。
話は変わるが、浮気には死刑を。
俺はNTRとか言うジャンルは反吐が出るほど嫌いだし、昼の奥様よろめきドラマは即時&永久に廃止して欲しい、子供に悪影響しか与えんだろあんなの。
そして他人の伴侶に手を出すヤツは、須く極刑に処すべし、とも考えている。
江戸時代の『公事方御定書』にも「両者死罪の重罪」とあったので是非。
うん、話が走り幅跳びしたわ。
「ただねぇ、二人とも」
「はい」
「仲が良いのはうらやま、……じゃなくて微笑ましい光景だけど、見る人によっては必ずしも好意的な解釈をしてくれるとは限らないのよ?」
私生活で何かあったんですか先生。
「そうですね」
「反省してます」
俺と山口は大人しく頭を下げた。
「特に初川君。アナタは男性なんだから、とてもマズい立場に置かれるのよ、分かる?」
「ソウデスネ」
「ちゃんと理解してる?」
「はい、悪意ある国家権力により痴漢か暴行または強制わいせつの疑いで逮捕収監。裁判では弁明の余地なく民事刑事どちらも敗訴。数年にわたる投獄生活の末に多額の賠償金を請求され、一生を棒に振ることになるんですよね、分かります」
「そっ、そこまでは。まだ中学生だし。……と言うか初川君、妙に詳しいのね」
「ちなみに前科は無いです」
「そりゃそうでしょうけど」
しかしなんだ。
結婚した途端「実は私も狙ってたのになー♡」とか言って近づいてくる女性、あれなんなの?
なら結婚前に、とっとと告白でもなんでもすれば良かったじゃん。
既婚男性を安全パイ扱いし、大っぴらに手出しなど出来るはずが無いと、高をくくってるのかね。
それとも隣の芝は青く見えちゃうアレか? 何にせよ、そんな打算溢るる女性など、こちらから願い下げである。
それにうっかり二人で食事にでも行ってみろ、浮気だなんだと火種をバラ撒いた挙げ句、最後には「お幸せにー」とか言って、自分はチャッカリ別の男と結婚して、県外に逃亡するような人種なんだよアイツラは!
……はっ、何を力説しとるんだ俺は。
ただし浮気ってものには、法律的な意味で興味が湧いたので、ちょいと調べたことがある。
結果、そっち方面の知識には少しばかり明るくなった。
例えば婚姻関係に無いただのカレシ・カノジョの関係でも、浮気が立証できれば相手にお金が請求できちゃいますとか。うん、世知辛いね。
と。
「ぷっ、くくくく……」
おお、度会先生がお笑い遊ばされておられる。これは解放される時間も近いか?
「まぁ今回はこれで終わりにしましょう。二人とも、今後は気をつけてね」
「はい、お手数をおかけしました」
「はいっ、おてうっ、おあて」
「なにかんでんだ山口」
「は、初川君がすっごい言葉を使うから、ちょっとつられただけだよ!」
「つられた割りには言えてないな」
「ぐぬぬ」
そこで先生は完全に吹き出した。お腹まで抱えてるけど、そんなにですか先生。
「たまに思うんだけど、初川君は時々、妙にダンディな物言いをするわよね」
「そうでしょうか?」
「とても中学生には見えない時があるのよ、何故かしら」
「えーと、自分、親族の中で最初に生まれた赤ん坊だったもので」
「ああ、小さい頃から大人ばっかりの中にいたのね」
「そうなんです、お陰で車やバイクなんかも子供の頃から大好きでした」
親父が初めて買った三菱コルト1000とか、よくワックスがけを手伝ったりしたものです。
実は仮面ライダーが好きで、小五の時に母方の田舎でカブを乗り回していたのは内緒だ。とは言え公道を走っていた訳じゃなく、飽くまで農作業の道具を運ぶアシに使われたんだけど。
「そうそう、こないだも車のエンジンを修理してくれたしね」
「お役に立てれば幸いです」
そこで先生は再び吹き出した。あ、これ止まらないヤツだ。試しに箸でも転がしてみるか。
「え、初川そんなことできるの?」
おい山口、呼び方呼び方。
「そうなのよー、初川君てすごいのよ!」
「いや、あれは修理なんてものじゃ。プラグ磨いただけですし」
「へぇー、初川やるじゃん」
「地味に痛いから、ヒジでウリウリすんのやめてくれないかな」
「ねぇ山口さん、初川君って小学校の時はどんな子だったの?」
「それがですねー」
あんたら井戸端会議のオバハンか。プライバシーのプの字も無いな、全く。
俺は半ば諦めの境地で、何故か俺の話題で盛り上がっている二人からそっと離れて立ち上がる。
壁のベートーベンのパネルを見ながら、これ本当に深夜になったら目玉が動くのかな? などと現実逃避もしてみたりした。すると。
ピンポンパンポーン♪
どこから鳴ってんだよこの音。また山口か?
正直、最近は恐怖でしかなくなったこの音だが、山口のなら嬉しいかも。
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その後、俺たちは揃って音楽室を後にした。
今日は定期試験一週間前なので部活も無く、放課後の校庭はガランとしていた。
そんな中、俺と山口は肩を並べ、校門まで一緒に音楽の話をしながら歩いた。
「いつか初川と二人、ピアノとギターで何かやってみたい」
「いや、俺のギターはコード押さえてジャカジャカ弾くだけだから」
「それでもいいよ、ボクが主旋律を頑張るから」
「へいへい、期待しないで待っててくれ」
「うん、楽しみ」
平和で穏やかな学生時代。
勤務していた病院では日曜祭日も関係無く働きづめで、メンタル壊しかけた自分だったが、まさかこんな時間をまた過ごせるとは思わなかった。
帰ったらオオトモ様に謝意を投げておこう。
ふと唐突に、武者小路実篤の、『仲よき事は美くしき哉』の色紙を思い出した。
振り返れば、あの絵柄によく似たぽややんとした太陽が、寄り添う二つの影を作っていた。