十二月・10
─────そろそろいいだろうか? そう思っていたら、上の階から声がした。
「も、もういーよー」
かくれんぼかよ……。
ツッコミを入れたいのをグッと堪え、俺は靴を脱いで階段を上がっていった。
見れば突き当たりの部屋の前で、玲華が手招きしている。
「な、何もない所ですがっ」
そして一歩踏み込んだ先は……、なんと言うか、これ以上「玲華らしい部屋はない」と思える空間だった。
ベッドとクローゼットはまぁ当然あるとして、壁にはエレキが2本、床にはスタンドに載っているベース(このあいだのグレちゃんだ)が1本と、ローテーブルが一つに座布団代わりのクッションが二つ。
……ベッド上の「Yes, No枕」は、この際見なかったことにする。
視点を変えると、壁際の本棚には大量の音楽雑誌。
そして学習机の上には。
「『ゼロから始められる作曲入門』……、へぇー」
「あっ」
いや、なんと言うか、すごいなお前。
生前(?)メンタルが壊れかけたとき、SNSで見かけた”神絵師”と言われるアカウントや、動画配信の”やってみた”タグで見かけた楽器演奏など、「何かを作り出せる・生み出せる人」を非常に羨ましく思ったものだ。
玲華は中学生でありながら、もう俺の想像の数歩先を行っていた。言い方は悪いが、かなり焦った。
俺が音楽を本格的に始めたのは高校の吹奏楽部からだったし、それまでは音譜の読み方すらよく分かっていなかった。
パーカッションパートに入ったのも、音階に関しての知識が今からじゃ追いつかなそうだったのと、リズム音符ならなんとか理解が及んで読む事ができたという、実に消極的な理由からだった。
「いや、なんと言うか、すごいなお前」
「ふえっ……」
さっき思った言葉が、そっくり口を突いて出た。
そして妙な鳴き声をあげた玲華はと言うと、顔を真っ赤にして茹で上がっていた。
「演奏だけじゃ飽き足らず、その先へ進もうとしてるんだな」
「い、いずれは自分で作詞作曲した歌を、世に出してみたいという欲求がっ」
「いやマジですごい。呆れとか感心を通り超して、もう崇拝の域だわ。崇め奉っちゃうわ」
「うぇっ」
「いよっ、ミケーネ王!」
「へ?」
「悪い、アガメムノンって言いたかっただけ」
「なにソレ?」
「ギリシャ神話の英雄の名前」
「ぷっ、くふふふふ」
そこで玲華はハッと気がついたようになり。
「と、取り敢えずテキトーに座ってて! いま飲み物とか持ってくるから」
「悪いな」
「ううん、ゆっくりしていってね」
そう言い残し、階下へと降りていった。すぐにキッチンらしき所からパタパタと音がし始める。
俺は改めて机に近づくと、そこにあった作曲関連の書籍をパラパラとめくってみた。
音楽は、自由だ。
しかし他人に伝えるためには、どうしても共通の手段や方法が必要になる。
言うなれば「音の言の葉の具現化」、それが楽譜だ。
多分、「何かを生み出したい」というぼんやりとした欲求は、中学生頃に一度強まるんだと思ってる。
でなければ、「自分で書き込む詩集帳」みたいな商品が売れるはずが無い。
ええ、自分も買いましたが何か?
それにしても今の時代、受験勉強や部活動に追われる中、それでも時間をひねり出し、自分の好きな道を歩くために邁進する。
それが一介の中学生にとって、どれだけハードルが高いことかは、想像に難くない。
ふと、机の上にある紙の山の中に、玲華の手書きの譜面に気がついた。
─────おお、これは。
「トーちゃん……、あっ」
気づけば玲華がトレイにティーポットとカップ、それにお菓子を載せたまま、部屋の入り口で立ち止まっていた。
「あ、すまん、ちょっと視界に入っちゃって」
「うわーうわー!」
慌てふためいた様子でローテーブルにトレイを置くと、玲華がこっちに向かって突進してきた。
「は、恥ずかしいから見るなよー!」
「お前、プログレとか好きなの?」
「っ!」
正直チラ見だけじゃ判断できかねるが、リズム譜を見た限りでは、変拍子を多用してるのは分かる。
「俺も好きだぞプログレ。GENESISとか最高だよな」
「えっ、トーちゃんも!?」
「そんなに驚くことか?」
「てっきり今はやりのポップとか、CMソングみたいのばっかり好きなのかと」
「いや、クラシックも含めて、音楽は結構聴く方だと思う」
「じゃ、じゃあ、ちょっとお願いがあるんだけど!」
「落ち着けっ!」
やや食い気味に顔を近づけてきたのと、例の枕が”Yes”側になっていたのを思い出し、おかしな流れになってしまわないよう全力で回避する。
「あたたたー!?」
具体的にはアイアンクロー。
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「へー、トーちゃんずいぶん渋いラインを突いてくるねー」
「そうかぁ?」
「うん、『ナーサリー クライム』って、かなり前のアルバムだよね?」
「確か71年だったっけな。『大ブタクサの逆襲』とかいいよな」
「うん、あのイントロのうねる様なキーボードとか好きー」
「わかる、でもベースがカッコイイのは『サルマキスの泉』だよな」
「それだー! さすがトーちゃん、好きー!」
まさか女子中学生相手に、こんなに濃い音楽話が出来るとは思わなかったな。
それは玲華も同じだったようで、お互い夢中になって、好きな曲やお勧めの演奏箇所を語り合った。
玲華はいま、変拍子の多様な表現や面白さに夢中になっているらしい。俺は思いつくまま、クラシック音楽の世界なんかも耳に入れてやった。
アーロン・コープランドのバレエ曲、『エル・サロン・メヒコ』の複雑さ加減を話してやると、目を輝かせて食いついてきた。
なんなんだあの「6+2/8」って譜面の表記は。変態め。
「ふーっ」
満足したらしい玲華が、やや上気した顔で息を吐いた。
「やっぱりトーちゃんとアチキ、相性ばつぐんだったかー。これはもう結婚するしかないのでは?」
「気が早ぇよ」
「むー、このどケチー、いけずぅー、スカポンタンのこんじょーくさりー」
「根性腐りってお前……」
「ふーんだ、トーちゃんには言って良いことと良いことと、あと良いことしかないもーん」
「罵倒が全肯定なんだが!?」
「つーん」
と、玲華の視線がこっちを向いた。
ちょっと潤んでいるように見えたので、ついっと視線をカップに移す。
「でさー」
「ん?」
「あの、ベ、ベッドの上を見て、何か気づいたこと、なーいー?」
よし、力いっぱいとぼけるとしよう。
「特に変わった物はないと思うが?」
「ま、枕」
「ママ蔵?」
ホラーかな? 蔵の扉を開けたら、母親のクローンが培養槽に入って、壁際にズラッと並んでいる光景が浮かんだわ。
「ちがうー! 枕じゃよ枕ー!」
「枕がどうかしたのか?」
「ぐぬぬ」
あ、ちょっぴり涙目になってる。
俺ははぁーっと長目に息を吐き出し、改まった顔で玲華を見た。
今だけは父親視点、お説教モードに入るとしよう。
「そういうのはまだ早い、と、俺は思ってる」
「えっ……」
「少なくとも、法で定めた年齢に満たない内は、例えお互いが本気だとしても、あってはならない事だ」
頼むから、ちゃんと伝わってくれよ?
「将来的に、玲華の両親に顔向けできなくなる様な事は、俺はしたくない。それは分かって欲しい」
「う、うん……」
大丈夫かな? ある意味、彼女の重大な決心を拒否してしまった訳で。
まぁこれが元で距離を置かれたり、最悪嫌われてしまっても仕方ないとは思う。
そうしてしばらくの間。
黙りこくってしまった玲華が、ハッと何かに気づいた様子でこっちに向き直った。
「えっとー、つまり」
「?」
「『将来的』にってことは、あたしとの将来をちゃんと考えてくれてるって意味、だよね?」
「まぁ、そうなるな……、うん?」
おや?
「ふっ、ふふふ……」
───── オレ、何か言っちゃいました?
玲華は握りこぶしをグッと天へ突き出し。
「やったー言質取ったー! やっぱりれいかちゃん大勝利ー!」
「いや待てまてステイ! 今のはあくまで一般論であって!」
「きゃほーい! 今夜はお赤飯だー!」
聞いちゃいねぇ。
浮かれまくった玲華は、学校からの電話が鳴り響くまで落ち着きを取り戻す事はなく。
その間、オレは激しいキスの嵐に見舞われ続けた。




