四月・2
「あ、初川じゃん、今から?」
「早いな松元」
飛び終えたばかりのマットの上から声がかかる。こちらも元気いっぱいの、いかにもスポーツ少女然とした出で立ちである。
長い髪を赤いハチマキでキリッと結わえた姿が、よく似合っていた。
「私は陸上部一筋だしね。って言うか、朝からどんだけ疲れてるの?」
「あーやっぱそんな風に見える?」
「バッチリ」
「テニス部で散々動きまくったし、今日ぐらい走り込みはカンベンして欲しいんだけどな」
顧問に挨拶に行く前に、お互い軽口をたたき合う。周囲を見れば、他の部活から抜けてきたメンバーも何人か歩いていた。そろそろ集合時刻なのだ。
走り高飛びに限ったことではないが、陸上の種目は選手の身長が高い方が有利っぽい。
その点、松元は同学年女子の中で一番背が高いため、文句なくこの種目に選出。
実際去年まで、俺は松元よりも低かったぐらいだ。多分170cmに近いんじゃなかろうか?
本人的にはその高身長がひどくコンプレックスらしいが、聞けば両親・兄弟全員が高身長家族とのことで、これは遺伝なのだろう。素直に諦めろ。
「あ、関センセが集合かけてる。一緒に行こうか」
そう言いながら当たり前のように隣について歩き始める。男女ペアで歩いているので、同級生からの視線が刺さりまくりである。お前も少しは気にしろよ。
ちょっと気になりテニスコートを振り返ったが、次のメニューに入ったのか、こちらを見ている顔は無かった。何故だかホッとしている自分がちょっとイヤだ。
しかし。
朝から今の時間まで夢中で過ごしてきたが、意外と普通に中学生男子できてるな、俺。
もっと視点がオッサンぽくなったり、同級生達がガキっぽく見えて浮くんじゃないかと危惧していたが、こうなってみると大人の頃の記憶自体、丸で夢の出来事のようでもあり、昨日も一昨日も中学生やってた気分になっている。
(それはじゃな)
ヒッ!?
突然脳内に声がする。
(何を吃驚しておるか、儂じゃよ儂。ああ、返事なら考えるだけで良いぞ)
(あ、ああ、オオトモ様でしたか)
初めての体験なので脳が色々と追いつかない。俺は隣の松元と二人、集合場所へ黙々と歩く風を装ってオオトモさんと会話する。
(続けて良いか? 実はお前さん、なんだかんだで精神が肉体に引っ張られておるのじゃ)
(あ、そうなんですね。なんとなくそんな気はしてましたが)
(左様、十四の肉体であれば物の考え方も引きずられるし、年を経れば年相応に変わっていくのじゃな)
(ははぁ)
(どうじゃ、若返った肉体を手にした気分は)
(生前と違ってやたら前向きな感じですね。しかしなまじ年齢を重ねた記憶がある分、色々と踏み外すことは無いと思います)
(それは僥倖)
迸る感情に任せっぱなしの行動が、言わば「中二病」最大の原因だからな。あれで盛大にやらかすと、大人になって振り返った時に「黒歴史」へと名称が変わる。くわばらくわばら。
(それで、わざわざこの日を選んだ理由はなんじゃな?)
(それは……ああ、えーと、家に帰って時間のあるときにお話しします)
(左様か、ならばまずはお主の横を歩いている女子に、妙な顔をさせぬようにな)
(はい?)
気がつけばこちらをジッと見つめていた松元が、片方の眉を上げて神妙な顔をしている。
「え、なに?」
「いま誰かとしゃべってた? 独り言?」
うげ、完璧に無自覚だったけど、なんかブツブツ呟いてたらしい。これじゃ不思議ちゃんの仲間入りだよ。今度オオトモさんと会話するときは、周囲に誰もいないのを確かめてからにしよう。
「あーええと、昨日の深夜ラジオのネタが面白くてさ、ちょっと思い出してたんだ」
「またエッチなヤツ? なんだっけ、つるこーの」
「それ土曜日、昨日は平日だろ?」
「……やっぱ聴いてるんじゃん!」
「おーっと、そんなことより集合だ。なんかみんな駆け足になってるぞ」
「えっ」
「急ぐぞー」
あの番組は正直、純朴な中学生やってた自分には理解の追いつかないエロネタが多かったんだよね。
分かるかなー? わっかんねーだろーなー、イェイ。
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あの後ミッチリと走り込みをし、それから松元と二人で走り高跳びのメニューをこなした。
え、「二人ってなんだうらやまけしからん」って?
だって仕方ないだろ、「走り高跳びのレギュラーは俺と松元の二人だけ」なんだし。田舎の学校ナメんな。
うん、言っててちょっと寂しくなったぞ。
疲れてヘトヘトになったまま帰宅し、着替えを済ませて自室のベッドに倒れ込んだ。あーしんど。
話は前後するが松元のヤツ、打ち合わせをするフリをして雑談を始めた時は、ちょっと肝が冷えた。
テニス部の吉田ほどではないにせよ、陸上部顧問の関先生もなかなかの熱血漢なのである。練習をサボっていたなんてことがバレれば、グラウンド5周は走り込みを追加させられてしまう。
そんなスリルがいいんだと松元はうそぶくが、巻き込まれる俺はたまったモンじゃない。
「神野先生に聞いたんだけどさ、初川と私って今年同じクラスらしいよ」
……神野先生、お口がちょっとばかりライト過ぎやしませんか? ヘリウムでも詰めてるの?
「へー」
「……なによ、あんまり関心が無いとか?」
「いや、神野先生が言うってことは、担任が神野先生になるのかなーって」
「あ、そこまでは分からないけど、でもそうかもね」
「じゃあ関が担任になる、っていう最悪の事態は避けられた訳か、よかよか、よかことですたい」
「なんで九州弁?」
クスクスと笑い始める松元だが、おいおい練習中に笑顔とかマズいぞ。俺はとっさに、関の方角から松元を隠すように位置を変えた。
陸上部の顧問は一人だけ、しかも体育の指導ができるのも関だけだ。
更に言うと関は、走り高跳びは専門外とのこと。
練習のメニューは関が持参した大学の教材か何かの書籍から、走り高跳びに関連のありそうな箇所を抜き出し、俺と松元の二人で工夫しながらこなしているのだった。
要は基本放置なのである。
「そうそう、そういうトコだよね」
突然、松元がちょっと熱っぽい笑顔でそう言った。
「んん? 何が?」
「今みたいにさり気なく周囲に気を配ってくれるトコ。初川は自覚無いだろうけど」
「よく分からんが」
「だからぁ、今みたいに関からの視線を遮ってくれるとか」
「ああ、なんだそんなことか」
「や、なかなか出来ることじゃないと思うよ」
うんそうだな、年下ばかりの従弟妹が12人もいる、なんて境遇は伊達じゃない。
子供の様子をさり気なく見てしまうのは、これはもう遺伝子レベルで組み込まれたオートスキルみたいなもの。法事だ帰省だで親戚一同が集まると、従弟妹の面倒は全て俺が見ているから、自然と鍛えられた結果なのである。
例えば、酔っ払って声が大きくなるオトナ勢から子供たちを遠ざけたり、別室で早めに寝かしつける、なんてのも俺の「仕事」なのだった。
そのせいかも知れないけど、女の子なんかは同級生であっても、なんとなく庇う立ち位置になることが多かったりする。……か、勘違いしないでよね?
「前にも話したけど、うちって兄貴ばっかりでさー」
「ああ、前に聞いたっけな」
「妹のことなんかぜんっぜん気にしてないと言うか、女扱いされてないと言うか」
「そうなのか?」
「うんだから、……初川がそういうトコ見せたりすると、その、ちょっと」
ピンポンパンポーン♪
……この懐かしのロマンスカーみたいなSE音はどうにかならんのか。引っ越し以前に住んでいた神奈川県大和市の、当時の記憶が蘇るよ。
と言うか、勘違いしないでよねって今言ったばかりなんだけど。(言ってない)
「ちょっと……、うんそうだな、ちょっと喋りすぎたようだ」
「えっ?」
「目くらましのためにストレッチやるぞ、そりゃっ」
「いたたたた、いたーい!?」
「お前カラダ固いなー、ちょっと念入りにやっとくかー?」
「固いって分かってるんならもうちょっと加減してよ!」
ふと気がつくと、関の視線がこちらに向いていたのだった。うん、我ながら上出来だと思われるごまかし方である。
そんな松元の尊い犠牲の甲斐あって、グラウンド周回は無事回避できたのだった。
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と、取り止めも無くそんなことを回想していると。
(では話してくれるんじゃろうな?)
オオトモさんからお声がかかった。そうだな、今ならタイミングもいいだろう。
「ええ。実はこの四月からやり直そうと思ったのはですね、来年以降の俺の周囲が、なんとなくおかしくなったからなんです」
(と言うと?)
そこで俺は、頭の中に箇条書きしていた疑問を、そっくりそのまま伝えることにした。
・3年になってから同級生はおろか、何故か2年女子からも避けられるようになったこと
・そんな中、新1年女子からの告白を受けてオーケーしたのに、これも数日後になって相手からお断りをされたこと
・そのわりに部活の時間は、青野や松元とは以前と変わらない付き合い方が出来ていたこと
・それと生前(?)再会して話をした、山口みたいな例もあったこと
・最後に一番不思議だったのは、卒業式当日になって松元とウワサになっている風を装われ、盛大にからかわれたことである。それもやや好意的に、だ
正直、まず何故女子全員が申し合わせたかのように、俺と距離を置くようになったのかが謎なのである。
(単に嫌われたからではないのかの?)
「次に言ったらなきますよ? 盛大に、力の限り、四つん這いになって、三べん回ってワンって」
(う、うむ、すまなんだ)
流石に人類として、その行動はどうかと思ってくれたらしい。
「ご理解頂けたようで幸いです」
(そして例の「アレ」か)
「そうです、例の「アレ」です」
差出人不明のチョコレート。
関連性は不明だが、3年次の理不尽な境遇のキッカケは、あのチョコを受け取ったからではないかと今は思う。それに山口の言ってた「相手」のことも未解決だしな。
(なるほどよう分かった、要はお主、周囲の変化とその原因を観察したいのじゃな)
「観察……、うーん、まぁ観察と言えば観察なのかなぁ」
(ハッキリせんな?)
「だってそれだと、観察するだけして誰ともお付き合いせず、そのまま中学校卒業という流れになるじゃないですか」
ここだけの話、その一年間のせいで俺はすっかり女性不信になり、高校に上がってからは反動からか、女性をナンパしまくっては自爆を繰り返した。
要は色々と拗らせた結果、女性を意図的に遠ざけまくったのである。
この「女性から嫌われたい」という悪癖は、大学に進学して一人暮らしを始め、彼女が出来るまで続いた。
その彼女でさえ、まさかあんな雑なナンパが成功するとは思っていなかったので、お断りする理由がまず思いつかず、気づけばそのままズルズルと結婚までしてしまう羽目になった相手なのだ。
結論から言えば、子供まで授かったのに、このカップルは破局を迎えた。
自分が心の底から女性を信じ切ることが出来ず、また彼女もそういった「匂い」とでも言うべきものを、薄々感じていたからだろう。
別れ際の最後の言葉は、「あなたは優しさの使い方を間違えている」だった。
「オオトモ様、今回の転移はですね、過去の自分を悔い改める絶好の機会だと思ってるんです」
(じゃろうな、儂もお主を見ていて、つらかったからの)
「そうなんですか?」
(毎年元旦に帰省するたびやつれていく、お主の貼り付いたような笑顔を見るのが少々な)
「あーそんな顔してたんですか、俺は」
(特に離婚直前なんぞは、そりゃヒドイもんじゃったぞ)
「でしょうね」
最後には「家庭を持った自分自身」にすらおどおどしていた。俺こんな境遇でいいのか? みたいな不安と恐れ、端的に言えば猜疑心だ。
早くに亡くなった叔母の言った、「お前は幸せのどん底だね」という言葉がピッタリだった。
(まぁ儂はお前にどうしろとか、どっちへ進めなどとは言わぬ。ただ明らかに間違っていると思しきときは、余計な口を挟ませて貰うぞ)
「ええ、それで結構です。有り難いことです」
(それと、儂と話すときは)
「はい、時間と場所は選ばせて貰います」
(ではのうて、いちいち口にせずとも良い、と言うかするな)
「え、何故です?」
(面を上げてみい)
そこには小さくて可愛らしい目をまん丸にした幼女がいて、こっちをじーっと見ているのである。
(誰に聞かれて何を囁かれるか分からんからな、忠告だけはしておくぞ)
おーまいごっど、いや本当に神様なんだから何とかしてって下さいよ。
(気をつけてのー)
「おにーちゃん?」
「なんでしょうマイリトルレイディ」
思わず敬語。
「おばさんがばんごはんだよってー」
「イエス、ユア・マジェスティ」
「?」
どうやらミキちゃんには、「そこに誰かいるかのように独り言を呟く奇妙な行動」は理解の範疇を超えていたらしい。
ホッと胸をなで下ろしつつ、俺はミキちゃんと階下に向かった。
ちなみに今夜の夕食は、リンゴとハチミツがトローリととけているカレーだった。
ヒデキ感激ィ!