苦い記憶
『差出人不明のチョコレート事件』
詳細から話そうか。と言ってもまんまなんだけど。
中学二年の2月14日、その放課後。
学校の駐輪場に駐めてあった轟天号(マイ自転車の名前)の前かごに、紙袋に入っている物体を見つけた。
ちょうどその頃、理由は全く不明だったが、自分は同級生および下級生の女子たちから妙に距離を置かれていた。
だもの、嬉しいと言うよりちょっと怪訝な顔つきで、その物体を手にした覚えがある。
まぁそんな具合だったから、当然チョコなんかじゃなくドッキリか何かのイタズラだと思うわな。
ところがガサガサとうるさい音を立てるその袋からは、子供の自分から見ても一発で「高級品」と判別できる包装紙。こんな片田舎ではまずお見かけ不可能なデパートのものである。
慌てて袋に戻しバババッと周囲を確認したが、幸い誰にも見られずに済んだらしい。
「らしい」と言うのは、その直後にやって来た同級生や後輩たちが、こちらを一瞥するでもなく思い思いに帰路へついたから。
とりあえず自分も轟天号にまたがり、ペダルを踏みまくって一目散に帰宅した。
で、ただいまの挨拶もそこそこに自室のある二階へと駆け上がり、カバンも放り出して再確認。
確かゴディバなんてメーカーは日本に入ってきたばかり。
しかし誰もが知ってるバラの包みで有名な某高級デパートの包装紙に、それはくるまれていた。
自分の学校に、こんなお金持ちの女子なんていたっけ? ていうか、これ本気のチョコだよね?
昭和50年代と言えば、まだ「義理チョコ」なんて概念の無かった時代。送られてくるチョコレートはすべて「本気」なのである。
そしてこの気合いの入り方は本気も本気。年齢が許せば翌日にはお互いの親に挨拶、一週間後には仲人さんを立てて結納を済ませ、一ヶ月後の式の予約を取っていたであろう。
「いやいや気が早いよ、つーかこれ、一体誰からだ?」
ワクテカしながら差出人の確認作業、箱の中にメッセージカードを探してみた。
……が、これが無いのである。
カードじゃなくてもメモ用紙ぐらいは同梱しているだろうと思ったが、これも何故だか見つからない。
改めて包装紙の裏や、果ては袋の中ももう一度見てみたが、やはり無いものは出てこないのである。
まぁ入れ忘れたんだろうと思い直し、一つ口に放り込んでみた。
ウィスキーの入ったそれはとても苦く、そしてオトナの味がした。