七月・1
梅雨明けである。
雲が多い日は直射日光こそ無いものの、妙な閉塞感から蒸し暑さも二割増しでキツかったが、すっかり晴れ渡った空の下では、多めの湿気でも清々しい。
温度はほとんど変わらないのに、不思議なもんだね人間ってやつは。
そんな夏の炎天下、俺たちのクラスは、神野先生からプール掃除を仰せつかっていた。
前日に水着一式を用意してきて、と言われた時は、クラスの半分が渋い顔、その残りの半分が待ってましたの顔、残った全員がニヤけ顔だったりする。
……女子の水着姿が拝めるからって、顔に出すぎなんだよお前ら。
自分も当時の記憶がかなり薄くなっていたが、こうして絶滅したはずの旧スクール水着を見ると、何やら感慨深いものがある。
そう言えば一度PTAの繋がりから、子供の通っていた小学校で、プールの監視員をしたことがあった。
もちろん学校からは教師も来ていたので、自分はPTA仲間の親御さん達へのお土産にと、買ったばかりのニコンF80を抱え、子供達の写真を撮りまくっていた。
その時初めて女子児童の水着が、自分の知っているものと違うことに気がついたのだった。
と言うかね、こんなものを見て欲情できる特殊性癖の持ち主の、その思考形態が完全に理解不能。
後に規制された経緯は定かでは無いが、これをセクシーなウェアだと認識可能な脳みそって、多分どっかにエラーがある。
ブルマーも同様だ、何故あれが規制対象になったのか、自分には未だに分からない。
俺が世の不可思議に首を捻りつつ、それでも懸命にプール底面をデッキブラシで擦っていると。
「初川ー、この辺り手伝おうか?」
「お、松元か、助かるよ」
スク水にポニテとか、その方面の人間相手なら破壊力すごそうだな、多分確殺。
近すぎず離れすぎず、背中合わせに見せかけて十分会話の成り立つ距離、これが今の俺と松元の関係にも思える。
そんな中、松元がちょっぴり声を潜めて口を開いた。
「実はちょっと噂になっちゃって」
「何が?」
「あの日、初川に抱きついちゃったじゃん、私」
「ああ、多部がケガした時の」
「そうそう」
「あれは気が動転してたからって言い訳が成り立つと思うけど」
「それにしたって初川じゃん」
「どういう意味だよ」
よっこらせと背中を伸ばし、前屈みでツラい腰を休ませてから、別方向にブラシを向ける。
「知らないの? 初川っていま、女子達の間で人気急上昇なんだよ」
「そうなの? 自分じゃ全然分からないけど」
ウソです知ってます。と言うか例のSE音とオオトモ様に自覚させられてます。
ええそりゃもうコワイぐらいに。
「そんな人の腕の中に、飛び込んでみちゃったりしてさぁ」
「まぁちょっとはな」
「あの時はホッとして、逆に涙が止まらなくなっちゃって」
「すぐに青野にバトンタッチした気がするが」
「そうだっけ?」
「そうだったろ」
そんなじっくりシッカリ抱きしめた訳ではない。単に走り込んできた松元を正面から受け止め、後頭部を撫でながら、背中をポンポンしてやっただけだ。
……おや?
「でも安心したのは事実」
「そりゃ良かった」
「そしてあのことを、事件が片付いた後から、他の女子にからかわれるようになっちゃって」
「それ単にお前が恥ずかしいだけだろ」
「そうとも言う」
「やはりか」
これ多分、照れ隠し48%、他の女子への自慢38%、プラス5%が俺への気持ちの自覚じゃないかと推察。
……あれ? あと9%はどこ?
「所で初川」
「んー?」
なんかイヤな気配が漂う。
「こないだから青ちゃんが妙にウキウキしてるんだけど」
「そうなのか、そりゃ良かったな」
「率直に聞くけど何かあった?」
残りの9%発見。
再び背伸びをしてから、今度は松元と頭を付き合わせるようなポジションを取る。
「つかなんでそう思った?」
「実は二人で映画を見に行ったのは知ってる、青ちゃん本人から聞いた」
ア ノ ヤ ロ ウ 。
「で、その日から青ちゃんの顔が、時々すごーく緩むのも見てる」
「そっか」
「……聞いてもいい?」
「うーん、ちょっと慰めてやったと言うか、励ましてやったと言うか」
「まぁ映画も面白かったとは言ってたし」
映画の話題からうっかり口を滑らせたとか? とは言え、別にやましいことはしてないつもりだし、このような尋問紛いの会話は、断固たる決意を以て阻止せねばなるまい。
「本人から、それ以上は聞いてないんだろ?」
「一生の思い出になった、とは言ってた」
「スターウォーズ本当に面白かったんだよ」
「らしいね。でもそれだけで、あんな風に蕩けた顔になるもんかなぁ」
「知らんがな」
「ふーん」
「ああでも『初川を独占しちゃって』、みたいなことは言ってたな」
「何ソレ」
「本人には自覚無いだろうけど、多分罪悪感じゃないかな。なんか申し訳なさそうな顔してた」
そこで松元は俯いていた顔を上げ、俺を真正面から見てニコッと笑った。
「青ちゃんらしいなぁ」
「うん?」
「安心しちゃった」
「意味が分からん」
「いいのいいの、初川は分からなくて」
「なんだよ、今度はこっちがスッキリしないぞ」
「うーん、でもやっぱりある程度の線引きは必要かぁ」
「は?」
「なんでもない、終わったから向こう行くね」
松元はそこまで言うと、妙に晴れ晴れとした表情で離れていく。
が、残された俺は、頭の周囲にハテナマークをいくつも飛ばしていた。
どうすんだよこのファンネル。
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その日の夕刻。
部活も終わった帰り道、俺は山口に声をかけられた。
「やっ初川、奇遇だね」
「確か山口の家は、俺の家とは正反対だったと記憶しているんだが」
「正解」
「それを奇遇とは言わないんじゃないのかな」
「冗談だよー、ちょっと話したいことがあって」
「立ち話もなんだし、公民館でも行くか」
「うん」
お金のない学生には、学校の周囲には田んぼしか無いようなこの田舎で、自販機と図書室があり、ちょっとした休憩の出来る公民館の存在は、非常に便利なものだったりする。
お互い自転車だし、少しぐらい寄り道したっていいだろう。
「ほら」
「んー、こういうところなのかなー」
俺から受け取ったMAXコーヒーのスチール缶を見つめ、山口がよく分からないことを言う。
「なんの話?」
「んーん、なんか手慣れてるなって思っただけ」
「?」
「女の子の扱いと言うか、対応と言うか」
「ああそういう。俺やたらと従弟妹が多いせいか、自分と対等か目下の子が相手だと、自動的にこういう行動を取るんだよな」
「初川の中身は甘やかしロボだったのかー、はい100円」
「え、いいよ」
「誘ったのはこっちだし」
「んー、じゃまぁそういうことなら」
施設前のベンチに腰掛け、二人並んでカシュッとプルタブを引く。
一口飲んで一息つけて、さて何の用事かと隣を見る。
すると山口は、改めてこちらを真正面に見据える態勢で、こう切り出した。
「ちょっと聞きたいだけなんだよ」
「何を?」
そして、今までに見たことの無い真面目な表情で続ける。
「この間、駅で青ちゃんと抱き合っていた件について」
─────あらゆる感情が停止する夕暮れ時。
ここは千年前から万葉集にも歌われた、由緒正しき安房の村。
俺の躰に染みついたマッカンの臭いに惹かれて、恋愛脳な奴らが集まってくる。
次回「言い訳」。 俺が飲む乳製品のコーヒーは(何故か)苦い。




