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十六歳② (終)



 コンコン、と扉をノックする音がした。


「エステル。具合が悪いのかい?」


 扉の開く音がして、セシルお兄様の声が聞こえた。

 私はベッドに突っ伏したまま、首だけを横に振った。


「エステル姉上……」


 弟のコリンの声も聞こえる。

 少しだけ顔を上げると、二人が心配そうな表情をしていた。


「デリック兄さんも心配している。元気がないエステルはエステルじゃないって」


 セシルお兄様はベッドに腰かけると、まるで昔いたずらをして隠れて泣いていた時にしてくれたように頭を撫でた。

 そっとコリンが淡いピンク色の花を差し出してくる。


「姉上、庭に綺麗なお花が咲いていました。姉上に差し上げます」

「ありがとう、コリン」


 起き上がってどうにか笑顔を浮かべてお礼を言うと、コリンは心配そうにしていた表情を安心したように微笑んだ。

 こんな小さな弟にまで私は心配をかけてしまっていたんだ。

 いつまでもこのままではダメだ。


「……セシルお兄様。もし、私がルイス様と結婚できなかったら、お兄様の結婚が難しくなったりする……?」


 私が王子であるルイス様と結婚できなくなったら、身分の高い異国の姫君とお付き合いしているセシルお兄様の結婚にも影響が出てしまうかもしれない。

 そのことを心配して尋ねると、セシルお兄様は眉間にしわを寄せて首を横に振った。


「何を言ってるんだ。妹に悲しい思いをさせてまで幸せになるつもりはない。私は自分の力で彼女を迎えに行くから、エステルは自分の望むようにして良いんだよ」

「セシルお兄様……」


 セシルお兄様の手が、もう一度私の頭を強く撫でた。

 私は心の中で、ごめんなさいと、ありがとうを呟いた。







 ルイス様との月に一度のお茶会。

 実を言うと、会うのはヒロインと遭遇したあの舞踏会以来だった。

 あれから気まずくてお城へは一度も行かなかった。

 月に一度のお茶会以外にも、私は時々ルイス様に会いに行っていたけれど、私がお城に行かなければルイス様と会うことはない。

 ルイス様が会いに来てくれることは一度もなかった。

 分かっていたことなのに、改めてその事実を知ってますます落ち込んだ。

 この婚約は周囲に決められたもので、ルイス様が望んだものではないのに。

 ルイス様にとって私は好きでもないただの婚約者で、会いたいと望まれる相手ではないのだと今更ながら思い知らされた。


 本当はまだ会えるほど心の整理はついていないけれど、王族とのお茶会を拒否できる権限は私にはない。

 重い足取りで一ヶ月ぶりのお城へと向かった。


「エステル!」

「デリックお兄様」


 お城の門をくぐると、結婚して今は公爵邸とは別のところに住んでいるデリックお兄様がこちらへと駆け寄ってきた。


「寝込んでいると聞いたが、大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。少し疲れがたまっていただけだから」


 多分セシルお兄様が伝えていたのだろう。

 普段は私にちょっかいばかり出していたデリックお兄様も、本当は家族思いでとても優しい。


「コリン。今日はおまえも一緒なのか?」

「エドワード殿下と会う約束なんです」

「そうか。エステル一人じゃ心配だし、おまえが一緒の方がいいな」


 第三王子のエドワード殿下と仲の良いコリンは、行き先が一緒だからと言ってついてきてくれた。

 お兄様たちも悪役にはならなかったし、私の家族はみんなとても優しい。

 私だけが悪役令嬢になるわけにはいかない。

 私はまだ迷っていた気持ちに区切りをつけて、城内へと足を踏み入れた。







 いつものお茶会の場所へ向かう途中、その姿を見て思わず私は足を止めた。

 ヒロインが立っていた。

 彼女は私に気づくと、ドレスの裾を揺らしながらこちらへと近づいてきた。


「あ、あの……私、エステル様に謝りたくて……」


 彼女は私の前に来ると、そう言った。

 その言葉の意味が分からない。


「謝る……?」

「あの日、エステル様がご様子がおかしかったので、何かしてしまったのかと思って……。殿下の婚約者様に失礼な真似をするつもりはなかったのです」


 そう言って小さく頭を下げた。

 この子は優しい子だ。

 ただ恋をしている少女。

 きっと、ルイス様もそんなひたむきなところを愛おしく思ったのだろう。

 望まれていない私が邪魔するべきではない。


 ちょうどその時、今日の約束の相手――ルイス様の声がした。


「何をしている?」


 ここはお城の中だし、これからお茶会の予定だったのだから彼がいても何の不思議もない。

 むしろ、小説の中ではヒロインの側にはいつだって王子がいた。 


 そう、小説では第二王子とのお茶会で悪役令嬢は婚約破棄を言い渡される。

 悪役令嬢の目の前で第二王子は心優しいヒロインを愛していると宣言して抱きしめ、嫌われ者の悪役令嬢は数々の罪と共に糾弾されるという見せ場で物語は締めくくられた。


 その三人が揃い、小説と同じ光景が広がった。

 緊張する中、私はこの一か月間考えていたことを伝えるため、強く自分の手を握った。


「――ルイス様、婚約の件を解消してください」


 ルイス様の目が細められる。

 本来は私の方から言い出していいことではないから、失礼だったんだろう。

 でも、ルイス様の口から突き放されることはきっと耐えられないから、私は自分で申し出た。

 このままルイス様のことが諦めきれず縋りつけば、いつか私は小説の中の悪役令嬢のようになってしまうかもしれない。

 そうしたら家族にまで悪影響を及ぼすだろう。

 大事な家族だから、そんなことできなかった。

 それに、もし婚約破棄されずに結婚出来たとしても、他の女性を好きなルイス様の側にはきっといられない。

 ルイス様が好きな相手と幸せになれるんだったら、彼の口から婚約破棄を言い渡されるより、自分から舞台を降りたかった。


「……どういうこと?」

「彼女のことが、お好きならば……」


 驚いた表情を浮かべているヒロインに視線を移す。

 それ以上は言葉が続けられず、唇を噛んだ。


「何の話?」

「え……? ですから……本当に好きになったお相手がいるなら、決められた婚約者よりもその気持ちを大事にしてください」

「婚約者がいる身で他の令嬢に心変わりをするほど、自分の立場をおろそかにはしていない」

「……婚約者だから気を使っているのなら結構です」


 ルイス様は他に好きな女性がいても、王子としての責務を果たそうとしている。

 それは王族としては立派だけど、私にはあまりに辛い義務だった。


「殿下」


 めったに口を挟まない護衛騎士の声に、ルイス様は眉を寄せてなぜかばつの悪そうな表情を浮かべた。

 しばらく口をつぐんだ後、静かに開いた。


「……私のことがいやになったのか?」


 こちらを見ないで言われた言葉に、私は慌てて首を横に振って否定した。

 私がルイス様をいやになるわけない。

 その逆だ。

 ルイス様が少しだけこちらを見る。


「……君への態度が悪かったことは謝る。装飾品を贈ろうとして断られたとき、初めて君に拒否されたから動揺したんだ」


 ルイス様がそんなことを考えていたなんて知らなかった。

 私は自分のしたことでルイス様の機嫌を損ねたとばかり考えていたから。


「ルイス様は私のことを嫌いになったんじゃ……」

「……私はとっつきにくい子供だっただろうに、君はいつだって話しかけてくれて、それが嬉しかった」


 初めて話してくれたルイス様の気持ちに、私は視界が滲んできた。

 そういえば、ルイス様と本音で話したことはなかったかもしれない。

 小説の結末を知っていたから、先回りしていつも一人だけで動いていた。

 本人がすぐ側にいたのに。


「私は話すのが得意ではないから不安にさせることもあるだろうけど、気をつけるからこのまま婚約者でいてほしい」


 少し困ったような様子で遠慮がちに差し出されたハンカチを、震える手で受け取った。


「君が良いんだ」


 ハンカチに顔を埋めながら、その言葉に何度も頷いた。







 ヒロインが私たちから背を向けたのが視界の端に見えた。

 多分、彼女は本当にルイス様のことが好きだったんだと思う。

 デビュタントが社交界デビューで初めて接する異性に恋することは多いけれど、それもきっと小さな恋だ。

 俯くヒロインに、弟のコリンが声をかけた。


「そんな顔をされて、どうされたのですか?」


 大人だったら気を使って声をかけないけれど、八歳の子供だから顔を覗き込んで心配そうに見つめた。


「あなたに、悲しい顔は似合いません。笑った方が素敵ですよ」

「えっ……」


 ヒロインを覗き込んでそう告げたコリンに、彼女の伏せていた目がぱちぱちと見開かれた。

 公爵家に戻ってから生まれた弟は、生まれながらにして貴族の教えを受けた立派な紳士の道を進んでいる。

 その上、一番お父様に似てフェミニストな性格だ。

 僅か八歳にして女性の扱いを心得たミニ紳士は、臆面もなくそう言ってのけ、失恋に傷ついていた女性の心を癒してしまったらしい。

 新しい物語が始まった瞬間だった。





全く出てこない第一王子。

これで本編終了です。

あと一話、護衛騎士視点の話の予定です。

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