十六歳①
十六歳。
それは運命の年。
ヒロインが登場する。
私より一つ年下のヒロインは今年社交界デビューをする。
そう、小説の中でヒロインは、その社交界デビューの場で第二王子と運命的な出会いをする。
私の方はあれ以来、ルイス様と微妙な距離感ができてしまった。
六歳で小説の悪役令嬢に転生していることに気づいてから、婚約破棄される未来を回避しようと頑張ってきたのに。
ここにきてまさかの小説通りに進んでしまった。
「お嬢様、大丈夫でございますか……?」
馬車の中で、侍女のソフィアが心配そうに声をかけてくる。
彼女はいつも私の側についてくれているので、私とルイス様の状況も知っている。
「大丈夫よ。それより、髪型は崩れていないかしら?」
「綺麗でございますよ」
「良かった。国王陛下もいらっしゃる舞踏会だから、きちんとしなきゃね」
この馬車が走っているのは、お城への道のり。
今日は、お城で社交界デビューが開かれる。
きっと今年デビューするヒロインもいる。
デビューしたばかりの初々しいヒロインとルイス様が出会わないようにしなければ、二人は一目で恋に落ちて私は悪役令嬢となってしまう。
ルイス様との関係は悪化してしまったけれど、せめて二人が恋に落ちないように気をつけなければならない。
不安な気持ちのまま、お城で待つルイス様の元へと向かった。
「ルイス様、本日はよろしくお願いします」
「ああ」
ドレスの裾をもって挨拶をするけど、ルイス様は一言返すだけで口を閉じてしまった。
差し出される腕は儀礼的なもので、私の方を見ようともしない。
何か話さなければ、楽しませなければと思うけれど、そっけない態度を取られるとしり込みしてしまった。
ルイス様について挨拶に回りながら、周囲を警戒する。
周りにはデビューしたばかりの少女たちが大勢いて、どの子がヒロインか分からない。
ルイス様の方を見れば招待客と話し込んでいて、私の方も知り合いに声をかけられて応対をするのに忙しくなってしまった。
しばらく話をしていたら、先ほどまで隣にいたルイス様がいないことに気づいた。
そのことに慌ててその場を離れた。
ルイス様を探して、大勢の人混みの間を抜ける。
込み上げてくる不安の中、辺りを見回しながら探し回った。
「あ……」
ルイス様の金色の髪が見えて、ほっとして声をかけようとした時、思わず足を止めた。
一人ではなくて、誰かと話しているようだった。
人々が通り抜けていく中で、その姿が見えてくる。
目に入ったのは、可愛い少女と話しているルイス様の姿だった。
彼女がヒロインなのだと、直感で分かった。
まだデビューしたてらしく緊張した様子で、俯きながらも一生懸命話しをしている。
頬が桃色に染まっている様子は、はた目から見ても初々しくて可愛い。
ルイス様と会話をする少女は、たいていこんな風な顔をする。
婚約者として初めて紹介された時のルイス様は、愛想のかけらもなかったけど、あれから六年たつと人当たりも良くなり王族としての公務も立派にこなしている。
その上、最初は天使みたいな美少年だった姿は、今では背も伸びて逞しさを備えた国一番の美形と噂されるほどになった。
その美しい顔立ちと、王族として洗練された話し方で、少女たちは誰だって惹かれてしまう。
登場したヒロインも、ルイス様に恋をした少女だった。
楽しそうに会話をしている二人。
私が何年もかけてほんの少ししか近づけなかった距離を、ヒロインはたった一日で成してしまった。
それこそがヒロインの資質なのだろうか。
悪役令嬢には決して持ちえないもの。
二人の間に入ることもできず足を止めたままでいると、誰かに呼ばれたルイス様がヒロインに別れを告げてその場を立ち去った。
ヒロインはそんなルイス様の背を見つめている。
彼女の周囲を人々が通り過ぎていき、私の視線に気づいたのかヒロインがこちらを振り返った。
確かヒロインはあまり身分の高い貴族令嬢ではなかったはず。
家柄が格上の私の方から話しかけない限り、向こうが話しかけることは許されない。
でも明らかに目が合ったのに、デビュタントを無視してしまっては、第二王子の婚約者の評判にも傷をつけてしまう。
私は静かに彼女へ近づいた。
「初めまして。楽しんでいる?」
「は、はいっ」
なるべく落ち着いて声をかける。
私は公式にルイス様の婚約者だから、失敗するわけにはいかない。
私が名乗ればヒロインも私がルイス様の婚約者だということは分かったらしく、さっき困っていたところをルイス様に助けていただいたのだと紅潮した頬で言った。
その言葉を、私は努めて平静を装って聞いた。
小説の中での悪役令嬢は、ヒロインと婚約者の仲に嫉妬して苛めていく。
嫌がらせなどを受けて悲しむヒロインに、王子が余計に気にかけて二人の仲は深まる。
そのことにさらに腹を立てることで、ますます悪役令嬢は自分の立場を悪くしていく。
小説のようにならないためにも、落ち着いてやり過ごさなければと自分に言い聞かせて、ヒロインの話に笑顔で耳を傾ける。
けれど、彼女の口からルイス様の話が出るたびに、私の心は痛みで悲鳴を上げていた。
「それで、殿下が親切に教えてくださって……」
「――やめて」
ヒロインが言いかけた言葉をとめる。
違う。
私が彼女の言葉をとめてしまった。
「それ以上、ルイス様のことを口にしないで……」
無意識に、口から言葉が零れた。
ヒロインが目を丸くしてこちらを見ている。
もしもルイス様とヒロインが恋に落ちてしまえば、私には悪役令嬢として破滅の道が待っている。
やっとここまで順調にきたのに、それを壊したくない。
その時。
周囲の騒がしい声も聞こえないほどだったのに、今は一番聞きたくない声が耳に届いた。
「――どうした?」
ルイス様の声に私は弾かれた。
自分が言ってしまったことに気づき、血の気が引いていく。
年下の少女に嫉妬して、近づかないよう牽制する姿は、まさに小説の中の悪役令嬢と同じだ。
悪役令嬢の道に自分から足を向けてしまった。
訝し気にこちらを見ているルイス様の視線に耐えられず、思わず私は無作法にもそこから逃げ出してしまった。
デリックお兄様も、セシルお兄様も、小説通りの結末にならず幸せな未来をつかむことができた。
なのに、なぜ私は設定の通り、ヒロインに婚約者を奪われる悪役令嬢なんだろう。
急いで戻って謝ったら、許してくれるだろうか。
これ以上ヒロインを苛めたりしないで、ルイス様に縋りつくような真似をしなければ、婚約破棄をされても幽閉まではされないかもしれない。
ルイス様を奪われる嫉妬に狂ったりしなければ、きっと罪には問われないはずだ。
それを考えると、涙がとめどなく零れ落ちた。
やっと気づいた。
私はルイス様のことが好きなんだ。
婚約破棄の結末を恐れていたんじゃなくて、ルイス様の心がヒロインに向くことが怖かった。
そんなことに今更気づいてしまった。
自分の婚約者が他の少女と楽しそうに話しているところを嫉妬するのは、悪役令嬢なのだろうか……。